ちくま学芸文庫

世界の全体像を追いもとめた時代
「原著者序」(ボイス・ペンローズ著『大航海時代 旅と発見の二世紀』より)

世界の全体像は一体どうなっているのか――人類が命懸けの冒険を重ね、初めてその答えに至った大航海時代こそ、間違いなく一つの〈世界史の基点〉といえる。しかしこの時代の全貌を知るには、膨大な原典群を通読するほかなく、専門家以外には長らく閉ざされた門であった。本書は、20世紀半ばに、「大航海時代の旅と発見に関するできるだけコンパクトで密度の高い俯瞰図を一般読者に与えうる」ことを意図して書かれ、以降、関連書籍でこれを基本図書としないものはない画期的作品となった。200年にわたる全期間を全世界について概観することのできる、圧巻の決定版通史の解説が以下である。 


 十五世紀から十七世紀へかけて行われたヨーロッパ人による非ヨーロッパ地域の探検と開拓は、その古今未曾有の規模と現代世界に今なお占める大きな意義とによって、ルネッサンス時代の最も偉大な事象の一つを形成している。それ故、一八八一年のゾーフス・ルーゲの『発見時代の歴史』Sophus Ruge : Geschichte des Zeitalters der Entdeckungen の刊行以後、この人間的努力の極めて重要な一段階を簡潔に論じた手頃な一巻本が見当らないというのは、全く奇妙と言ってよかろう。ルーゲの著書は優れているけれども、ドイツ語で書かれている上に絶版であるから、一般愛好者にとっては容易に近づき得ないものになっている。加えてルーゲ以後、幾多の新知識が明らかにされて来た。『開拓史叢書』Pioneer Histories(London : A. & C. Black, Ltd.)(全十巻)がかなり良くこの主題を網羅してはいるものの、必ずしもよく整った叢書とは言い難い。あるいはまたハクルート協会の刊本を挙げる人もあろうが、これは何しろ二百巻にも及ぶ大叢書なのである。
 しかしながら、航海王エンリケ王子の華々しい登場に至るまでの地理学史上の期間についてならば名著の誉れ高いレイモンド・ビーズリイ卿の大観『近代地理学の曙』Sir Raymond Beazley : The Dawn of Modern Geography(1897-1906)があり、一六〇〇年から一八〇〇年の時代を扱ったものには同じく学殖の典型とも称すべきエドワード・ヒーウッドの『十七・十八世紀の地理的発見』Edward Heawood : Geographical Discovery in the Seventeenth and Eighteenth Centuries(1912)を挙げることが出来る。けれども、これら二つの傑出した古典的著作が対象とした時代の間には殆ど二世紀の――セウタの攻略からエリザベス女王の死に至る――空白が、七十年前のルーゲの労作の出現以来、然るべき研究もなされぬままに残されているのである。人類の年代記に遺る最も重要な地理的活動の演ぜられたのが他ならぬルネッサンス期であったことを想えば、この状態はいよいよもって不可解と言わねばならない。そこで私はこの間隙を塡めるべく、偉大な探検家達の物語のみでなく群小の自由旅行者達の、また地図学や航海術の、そして地理文献の物語をも、出来れば簡明且つ遺漏のない形で伝え得る一冊の本を纏めることを微力ながら企図するに至った。総てこれらの要素は全景の中に緊密に統合された部分を成すものであり、各種各様の要因の適切な強調なくしては、全体像の正しい把握もまたあり得ないのである。
 同様に、ある地域における初期の発見の諸々を述べただけで主題から逸れてしまうのも正しいこととは思われない。未知の国々に造った足場の強化や植民事業の草創期に払われた努力に対して更に一瞥を与えることも、主題の全き理解にとって不可欠であろう。換言すれば、本書のテーマは植民の歴史に吸収されて行った〝発見と旅行〟なのである。例えばカブラルの航海以後の印度におけるポルトガル人、あるいはピサロ以後の南米におけるスペイン人を抜きにしては、この物語は半ばをも語ったことにはなるまい。
 幾つかの大航海とその直接的な結果をそのまま月並に述べたところで、これもまた失格であろう。探検家達がそれを頼りに旅をした地図、彼等を乗せて航海した船の様々な型式(タイプ)、そして彼等が故国へ帰還した後にその旅について書かれた本、のこともまた語られるべきである。別の言い方をするならば、彼等が何を為したかだけではなく、それを如何に遂行したかを、当時の人々に与えた彼等の開拓の衝撃やその後の植民史に及ぼした彼等の探検の影響と共に考察すべきであろう。本書において私はそのようなことを試みてみた。それに成功していないとすれば、それは主題乃至私の意図の故ではなく、専ら私の力不足に帰せられるべきである。
 古典古代及び中世的背景に関する序章を以て本書を始めるのが枢要と思われた訳は、それなくしては後章の大部分の理解が不完全なものになることを危惧したからに他ならない。物語のもう一方の端に一六二〇年という終結点を置いて、余り成功したとは言えないけれども、それに合せようと努めたのは、単にその年がエンリケ王子のサグレス定住より(かなり疑問が残るけれども)二百年目に当るという純然たる象徴的意義のためだけではなく、むしろルネッサンス期における発見の英雄時代というものの最後の幕が下りたのは丁度その頃であったとも言えるからである。事実、旅と航海の年代記を繙けば、十七世紀の最初の三分の一以降には停滞が認められるが、その期間はアジアの場合は一世代以上、アフリカにあっては一世紀半の余も続いている。南米ではアマゾン河流域を別にすれば、極めて長年月の間、殆ど見るべき成果はない。北米だけはフランス人のお蔭で探査の進展が長年に亙って続いていたが、他の地域では(日常一般の旅とは異り)発見 というものには、長い間余り重きを置かれて来なかった。私は便宜上、一六二〇年という一つの終結点を設定したけれども、それにはかなりの融通性を与えておいた。前述の情況を考える時、このことは本書にとって適切であったように思われる。更に附言すれば、物語の筆が余りに深く十七世紀へ入り込まぬように抑えたが、これは私にはエドワード・ヒーウッドの本と競う気など毛頭なかったからである。むしろ先に述べた通り、ビーズリイの著作とヒーウッドのそれとの間隙を本書が塡め得ればと庶幾したに過ぎないのであって、諸家の批評によって本書がもしその位置に値するとなれば、私にとって身に余る光栄という外はない。
 以下に記す私の謝辞は簡単ながら何れも心からのものである。就中ボルチモア在住のダグラス・ゴードン氏、ハクルート協会会長のマルコム・レッツ氏、名高いペル・メル商会(ウィリアム・H・ロビンスン社)のライオネル・ロビンスン、フィリップ・ロビンスンの両氏、そして拙稿の相当量を長い間辛抱強く読んでその洗煉に貴重な批判と示唆を惜しまれなかったジョン・カーター・ブラウン図書館のローレンス・ロース博士に衷心より感謝を捧げたい。特にロース博士の数々の御厚意に対して御礼申し上げる。ボストン文庫(アセネアム)館長兼司書のウォルター・ホワイトヒル氏には船の型態(デザイン)に関する部分では色々と教示を忝くした。ボストン美術館のW・G・コンスタブル氏及び米国学術団体協議会のルネッサンス研究部会座長として私の仕事に懇切且つ友情溢れる関心を寄せられたフォルジャー・シェイクスピア図書館のルイス・B・ライト博士にも負う処が誠に多い。自身の設計になる〈サンタ・マリア三世〉号の写真を恵送されたマドリード海軍博物館館長ドン・フリオ・F・ギレン大佐、ラ・コーサ地図に関する情報を与えられた『開拓史叢書』編輯長ジェイムズ・A・ウィリアムスン氏、決定稿の編輯について大変お世話になったハーヴァード大学出版局のジェイムズ・E・ダフィ夫人にそれぞれ厚く御礼申し上げたい。同じくイェール大学地図研究所のロバート・L・ウィリアムズ氏にはその素晴しい幾つかの地図に関して感謝する。またウィリアム・フォスター卿には、私のアマチュア的熱中に寄せられた終始変らぬ同情ある援助を記念して、敬意を表する次第である。そして最後に、私に本書の執筆をまず慫慂し、一貫してその完成を力づけられたハーヴァード大学のウィリアム・A・ジャクスン教授に深甚なる感謝を捧げるものである。
 なお、地名の綴りは大抵の場合、英国王立地理学会の用法に則り、人名のそれはハクルート協会の刊本に用いられた方式に従ったことを附記しておく。


  ペンシルヴェニア州デヴォン
  バルバドス・ヒルにて
一九五一年 コロンブス記念日  B・P

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