清少納言[1]零落の後、若(わか)殿上人あまた同車し、かの宅の前を渡る間、宅の体(てい)、破壊(はえ)したるをみて、「少納言、無下にこそ成りにけれ」と、車中にいふを聞きて、本より桟敷(さじき)に立ちたりけるが、簾(すだれ)を搔き揚げ、鬼形(きぎょう)のごとき女法師、顔を指し出していはく「駿馬の骨をば買はずやありし」と云々〔燕王[2]馬を好み骨を買ふ事なり〕。
[1]清少納言 966?〜?。清原元輔(もとすけ)(908〜990)女。『枕草子』作者。一条天皇中宮定子に仕えたが、その後没落したと、『無名草子』などにも記されている。
[2]燕王 戦国時代の燕の昭王(在位前311〜前279)。賢者を国に招く方策を郭隗(かくかい)に尋ねたところ、「天下の名馬を集めようとしたら、死馬の骨さえ五百金で買う王だとの評判を立てるとよい。同じように、人材を集めるなら、まずわたくし郭隗を用いなさい。そうすればわたくしよりすぐれた人材はこぞって集まるだろう」と答えた(『戦国策』燕)。これが「死馬の骨を五百金に買う」「まず隗より始めよ」の故事の源となった。
訳 清少納言がすっかりおちぶれた後、若い殿上人たちがたくさん車に乗り合わせて、清少納言の家の前を通りかかったところ、家が壊れてしまっているのを見て、「少納言も落ちぶれたなあ」と車の中で言うのを、もともと(行列などの観覧席である)桟敷に出て、道を眺めていた清少納言は、この言葉を聞き漏らすことなく、すかさず簾を搔き上げると、鬼のような尼姿で顔を出し、「駿馬の骨は買わなかったかな」と言った〔踏まえているのは、天下の逸材を招こうとする燕王に、名馬がほしいなら死馬の骨を買うように、との喩えを用いて説いた郭隗の故事である〕。
評 清少納言の言葉は「すぐれたものなら骨になっても大切にする。そうよ、すぐれた女性は老婆になっても大切にする。そういう心がけでないと、あんたたち、偉くなれないよ」という意味である。彼女が漢籍の知識に秀で、当座に見事な対応をした話は、例えば『枕草子』280「雪のいと高う降りたるを」の、香炉峰(こうろほう)の雪の段などで有名。桟敷は行列などの観覧席で、臨時に設置して解体するものもあったが、大路沿いの大きな邸には、常設のものが据えられていた。すぐれた女性の末路や後生が不幸、という説話は小野小町、紫式部にも見られるところである。本話の殿上人たちは、清少納言を憐れんでいるというよりも、昔の宮廷仲間同士の懲りないやりとりの趣きである。
*ルビは()内に示した。なお、本記事では一部ルビを割愛した。