ちくま学芸文庫

怪女、丹後国に漂着の事
『古事談』(上)「第一 王道后宮」40より 

本書『古事談』は、鎌倉時代前期に編まれた全460余話に及ぶ説話集であり、代々の知識人が、歴史の副読本としても活用してきた知る人ぞ知る名著です。空海、藤原道長、西行、小野小町など奈良時代から鎌倉時代にかけての歴史、文学、文化史上の著名人にまつわる隠れた逸話の数々を収録した本書のなかから、いくつかの短い逸話をご紹介します。ひらがな交じりに本文を書き下し、人物注と現代語訳、評も併記しているので、初めての人も楽しく読める、はず。第2回は上巻より、万寿3年(1026年)の怪奇な出来事を記した逸話です。

 

 万寿(まんじゅ)三年四月ころ、女の長(たけ)七尺余、面(おもて)の長さ二尺余、船に乗り丹後国の浦に寄る。船中に飯酒(はんしゅ)あり。辺(あたり)に触るる者、ことごとく以て病悩す。よつて着岸せしめざる間、死去す、と云々。
 

 (後一条天皇の)万寿三年(1026)四月頃、身長約210センチメートル余、顔の長さ約60センチメートル余の女が、船に乗って丹後国(京都府北部)の湾に入って来た。船の中には食べ物や酒があった。近づいた者たちが皆病気になったので、着岸を許さなかったところ、死んでしまったという。


 『小右記(しょうゆうき)』(逸文)からの抄出。それによれば、この逸話は民部卿源俊賢(としかた)が語ったことで、国司から、書面ではなく飛脚で伝えてきたが、不吉な内容なので報告しなかった、とある。怪異は社会変動の予兆・象徴ととらえられる場合があるが、この前年万寿二年は、『大鏡』が作品の現在に設定している、藤原道長の二人の娘――小一条院女御寛子・東宮(後朱雀)妃嬉子――があい次いで亡くなり、栄華にかげりが見え始める年で、翌万寿四年には、道長が没する。万寿はそういった出来事を連想させる年号だったと思われる。

 

*ルビは()内に示した。なお、本記事では一部ルビを割愛した。

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