万寿(まんじゅ)三年四月ころ、女の長(たけ)七尺余、面(おもて)の長さ二尺余、船に乗り丹後国の浦に寄る。船中に飯酒(はんしゅ)あり。辺(あたり)に触るる者、ことごとく以て病悩す。よつて着岸せしめざる間、死去す、と云々。
訳 (後一条天皇の)万寿三年(1026)四月頃、身長約210センチメートル余、顔の長さ約60センチメートル余の女が、船に乗って丹後国(京都府北部)の湾に入って来た。船の中には食べ物や酒があった。近づいた者たちが皆病気になったので、着岸を許さなかったところ、死んでしまったという。
評 『小右記(しょうゆうき)』(逸文)からの抄出。それによれば、この逸話は民部卿源俊賢(としかた)が語ったことで、国司から、書面ではなく飛脚で伝えてきたが、不吉な内容なので報告しなかった、とある。怪異は社会変動の予兆・象徴ととらえられる場合があるが、この前年万寿二年は、『大鏡』が作品の現在に設定している、藤原道長の二人の娘――小一条院女御寛子・東宮(後朱雀)妃嬉子――があい次いで亡くなり、栄華にかげりが見え始める年で、翌万寿四年には、道長が没する。万寿はそういった出来事を連想させる年号だったと思われる。
*ルビは()内に示した。なお、本記事では一部ルビを割愛した。