深夜、肉のハナマサで観葉植物を買った。鶏のムネ肉とシチューのルーも。クリームシチューをつくろうと思ったらしい。そうとう酔っぱらっていたらしく、記憶が曖昧である。
朝起きてベランダを見ると、見慣れぬ鉢植があり、台所では立派にシチューが完成していた。危険なことこのうえない。この前も飲んで帰ってきて鍋を焦がしてられたばかりだ。
それにしてもハナマサで鉢植を買うだろうか。われながらウンザリ。しかもたいそう異形である。子どもの拳大の芋から茎が伸び、大きなギザギザの葉が一枚。まるで天狗の団扇のようだ。
よく見ると変に味がある。二日もたつと、別の茎から突然巨大な葉がもう一枚出現した。その緑のなんとみずみずしいこと。セロウムという南アメリカ原産の植物だそうだ。和名はヒトデカズラ。海星葛という漢字をあてるとすこぶるあやしい。
なんとなく鬼海さんを思い出した。新しいフォト・エッセイ集を装幀させてもらったばかりだ。大きな事件は起こらない。たんたんと過ぎる日常。その日の体調と相談して、川崎の自宅から浅草や立石に出かける。質屋のウインドウにあった千二百五十円の携帯ラジオを手に入れ、現像液に落としてしまったり、焼き肉のタレがたっぷりかかったハブ料理の皿におそるおそる箸を伸ばす。そんなありきたりでスモールな出来事が、ていねいなタッチで綴られている。
しかし鬼海弘雄は写真家であった。上野広小路や三ノ輪にも行くが、インドやトルコにもせっせと足を伸ばす。メキシコやキューバにだって出かけてしまうのである。そして田舎町の木賃ホテルの木製ベッドで雨をやり過ごしながら、携帯ラジオに耳を澄ます。リゾート地の高級ホテルなどとは金輪際無縁である。
なんという気高い旅であろうか。そしてその行く先々で切られる鬼海弘雄の必殺のシャッター。ガンジスにとび込む半裸の男は写真集のなかで永遠に静止したままだ。
はじめて会ったのは二〇〇〇年の春先。歌人福島泰樹の短歌絶叫三十周年記念コンサートのポスターを依頼したときだった。台東区下谷にある福島さんのお寺から、荒川を北上。大きな堰のあるあたりで車を止め、ここの河原で撮影しようということになった。
「そんな顔じゃダメだ。もっと怒れ!」カメラを構えて福島さんと対峙した鬼海さんは、じりじりとその間合いをつめる。黒のコートにボルサリーノで正装した絶叫歌人は徐々に追いつめられ、とうとう荒川の水際に足を踏み入れてしまう。まるで果し合いのような撮影現場であった。
「俺は本当に腹が立った」小料理屋の小上がりで、打ち上げの盃を手にして福島さんは言ったものだ。その目はマジだった。しかし数日たって届けられた写真は文句のつけようもなくすばらしい出来栄えだった。
亡くなった立松和平さんも撮ってもらった。近所の床屋で撮影しようと連れていかれた鬼海さんは、文学者をこんな軟弱な場所で撮れるかと、立松さんに喰ってかかったものだった。
都はるみさんも追いつめられた。『メッセージ』という彼女の発言を集めた本の出版記念の飲み会。「うしろの池にはまりそうになったわ」笑っておっしゃった。
鬼海弘雄は洒落たポートレートなど眼中にない。被写体の内に宿る崇高な光をつねに印画紙に焼きつける。彼の撮影になる浅草寺境内のコワモテさんたちの肖像を見よ。腑抜けたわれわれの日常をその視線が抉る。
「あらためて男の顔を見直すと、何かの験かつぎだろうか、中国人のように下顎の大きなホクロからの数本のヒゲが一寸ほど伸ばしていて、それらが昆虫の触角のように微風に揺れていた。」
こんな細部を見通す鬼海さんの目は恐ろしい。
(まむら・しゅんいち 装幀家)
PR誌「ちくま」8月号より、7月に刊行された鬼海弘雄『靴底の減りかた』(筑摩書房)の間村俊一さんによる書評を掲載します。