ちくま学芸文庫

ここには生者と死者がいて、それからゾンビがいるのだ
『ヴードゥーの神々 ジャマイカ、ハイチ紀行』「第13章 ゾンビ」より

20世紀前半、ひとりの文化人類学者が、カリブ海域へとフィールドワークの旅に出る。彼女がそこで体験したものは? 歴史と政治、愛の女神、呪術師、ゾンビ、音楽とダンスが彩る秘儀の数々…。ハーレム・ルネサンスの黒人作家としても活躍した著者が、学術研究と口承文学のあわいを往還しつつ紡ぎだす、異色の民族誌。「第3部 ハイチのヴードゥー」より「第13章 ゾンビ」の一部を公開いたします。

 ゾンビのありのままの真実、他ならぬ真実とは何か? 私は知らない。だが、私は確に、病院の庭で、かつてフェリシア・フェリックス= メントールだった人の残骸というか、ぬけ殻のような姿を見た。

 ここ、エンパイア・ステート・ビルの影の中では、死と墓地で終わりだ。それは、あまりにもはっきりした終わりだから、私たちは、それを無とか永遠を表すものとして使う。私たちの世界には、生者と死者がいる。だが、ハイチには、生者と死者がいて、それからゾンビがいるのだ。

 ゾンビについては、こんなふうに言われている。ゾンビは、魂のない肉体だ。生きている死者だ。彼らは、いったん死に、そのあと再び生に呼び戻される。

 ハイチに長く滞在すれば、必ず何らかの形でゾンビの話を聞かされる。この存在の恐ろしさと、その存在の意味するすべてが、大地をはう冷たい空気の流れのように、この国全体に染み渡っている。この恐怖は本当に根深い。それは、むしろ恐怖の集合体である。というのも、農夫の間では、ゾンビの仕業に対する恐怖が大っぴらに語られているからだ。市場に座って、市場の女と一緒に一日過ごせば、どんなにしょっちゅう売り子たちが、ゾンビが見えない手で彼女のお金とか商品をくすねたと叫ぶかが分かる。あるいは、ゾンビが、彼女や家族の誰かが、ちょっとした悪事を働くように仕向けたという非難を聞く。夜やって来て悪事をなす強いゾンビが噂にのぼる。また、小さな女の子のゾンビが、彼女の主人に送り出されて、暗い夜明けに、ローストしたコーヒー豆が入った小さな袋を売る。日が昇る前に、通りの暗い場所から、「ロースト・コーヒー」と叫ぶ声が聞こえる。売り子に呼びかけて、品物を持って明るいところに出て来いと言った人だけが、彼女たちの姿を見ることができる。呼ばれると、小さな死者は、人に見える姿をとって歩き出すのだ。  

 上流階級のハイチ人も恐怖を抱いているが、彼らは、貧しい人々ほど率直にその恐怖を語らない。だが、彼らにとってもゾンビは身の毛のよだつような現実味を帯びている。そのことの惨たらしさを思ってみるがいい。ある程度洗練された文化に囲まれて一生を過ごし、最後の息を引き取るまで家族や友人に愛された人にとって、よみがえった自分の死体が、愛と富が死者に与えることのできる最善の場所である地下納骨堂から引きずり出されるかもしれないと考えるのは、楽しいことではない。そしてバナナ畑で休みなく働かされるのだ。獣のように働き、獣のように裸で、休息と食事のための許された数時間の間、汚い巣穴のような場所で、獣のようにうずくまっているのだ。教養と知性のある人間から、何も考えず何も知らない獣になってしまうのだ。そして、その境遇から逃れる道はない。家族も友人も、そんなことになっているとは知らないから、助けようがない。彼らは、自分たちが愛した人は、墓の中で平和に眠っていると思っている。彼らは、かつては大事に思っていた人のゾンビが捕らわれているプランテーションを何度も車で通りかかるかもしれず、ゾンビの魂のない目に彼らが映るかもしれないが、ゾンビは何も思わず、彼らが誰であるかも分からない。時々、ゾンビが見つかって、それが誰か分かると、怒った群集が集まり、その犯罪に責任があるとされた人々に暴力を振るわんばかりになるのも不思議ではない。

 だが、この明らかな恐怖にもかかわらず、また、こうしたことが起こらないように死体を守るための準備がなされていることを私は知ったのだが、そうした準備にもかかわらず、数多くの上流階級のハイチ人が、私に、ゾンビの話は全部神話だと言った。彼らは、一般大衆が迷信深いことを指摘し、ゾンビの話は、ヨーロッパ人が信じている狼男と同じように根も葉もない話だと言った。

 だが、私は運よく、過去にあった有名な話をいくつか知ることができ、本物のゾンビを見て、触るという稀なチャンスに恵まれた。私はゾンビの喉から途切れ途切れに出る音を聞き、それから、いまだかつて誰もしたことがないことだが、ゾンビの写真を撮った。これらのことをすべて、病院の庭の強い日光の下で体験したのでなかったら、私は興味を抱きながらも疑いを持ったまま、ハイチから帰ってきたかもしれない。だが、私は、フェリシア・フェリックス= メントールのゾンビを見たし、この実例は、最高の権威者も本物だと保証している。だから、私は、ハイチにゾンビがいることを知っている。人々は、死から呼び戻されているのだ。

 では、この死んだ人々は、なぜ墓に留まっていることを許されなかったのか? この質問には、それぞれの場合に応じて、いくつかの答えがある。

 Aは、誰かが、彼の体を荷役用の家畜として必要としたから、目覚めさせられた。普通の状態では、絶対に肉体労働者として雇われるような人ではなかったので、彼はゾンビにされた。なぜなら誰かが、彼が労働力として奉仕することを求めたからだ。Bも、労働するために呼び出されたが、彼の場合は、復讐のために獣のレベルに落とされたのだ。Cは、「バ・ムーン」の儀式の誓約を果たすためにゾンビになった。つまり、彼の体は、精霊から利益を受けた借りを返すための犠牲として与えられたのだ。

 私が、犠牲者はどのように選ばれるのかと尋ねると、多くの人が、あまり年を取っていない死体なら、どれでもいいのだと答えた。ボコールが墓地を見ていて、適当な死体を取って来るのだと言う。そうではない、と言う人もいる。ボコールとその仲間は、誰をよみがえらせるか、その人が死ぬ前から分かっているのだそうだ。彼らがそのことを知っているのは、彼ら自身が「死」をもたらすからだ。

 プランテーションの所有者が、ボコールのところへ、労働者を何人か「買いに」来たのかもしれないし、あるいは、敵が究極の復讐を求めたのかもしれない。彼は、ボコールに仕事をしてもらう約束をする。しかるべき儀式のあと、ボコールは、最も力強く恐ろしい姿になって馬に乗るのだが、その時、顔を馬の尾のほうに向けてまたがり、暗くなってから犠牲者の家まで乗っていく。そこで彼はドアの割れ目に唇を当て、犠牲者の魂を吸い取ってから、全速力で馬を駆って帰る。まもなく犠牲者は病に倒れる。たいてい、最初は頭痛がして、それから数時間後には死ぬ。ボコールは、家族の一員ではないから、当然、葬儀には招かれない。だが、彼は墓地にいる。彼は遠くから、こっそり一部始終を見ている。

彼は墓地の中にいるが、葬儀の一同のそばには来ない。葬儀のほうに真っすぐ顔さえ向けない。だが、目の隅で何もかも見て取る。そして夜中に犠牲者を連れに戻ってくる。

 ボコールが夜中に、死者の魂と一緒に墓地にいるということについては、みんなの意見が一致している。だが、魂をそれぞれラベルを張った瓶の中に入れて持っているという人もいれば、そうではない、と言う人もいる。彼らは、ボコールは素手で魂を持っているのだと言う。意見が一致しないのは、その点だけだ。ボコールの仲間が墓を暴き、ボコールは墓の中に入って、犠牲者の名前を呼ぶ。犠牲者は答えないわけにはいかない。なぜなら、ボコールが彼の魂を持っているからだ。死者は頭を上げて答え、そうした瞬間に、ボコールは、魂を一瞬死者の鼻の下にかすめさせ、死者の手首を鎖でつなぐ。それからボコールは死者の頭を叩いて、さらに目覚めさせる。それから彼は死者を導き出し、墓は何事もなかったかのように閉じられる。

 犠牲者は、ボコールの仲間たちに囲まれ、ホウンフォール(ヴードゥーの寺院とその境内)を目指して行進が始まる。犠牲者は、群集の真ん中に入れられて急き立てられる。こうして犠牲者は、詮索しようとする人々の目からうまく隠され、また、彼は半覚醒状態にあるので、自分で自分の行く方向を定めることができない。だが、犠牲者はホウンフォールに真っすぐ連れていかれるわけではない。まず自分が住んでいた家の前を通らされる。これは必ずしなければならないことだ。絶対に。もし犠牲者が、自分のかつての住まいの前を通らないと、彼はあとで自分の家を見つけて、帰ってくる。だが、家の前を通り過ぎてしまえば、その家のことは永遠に彼の意識の中から消えてしまう。まるで、それが一度も存在しなかったかのように。それから彼は、ホウンフォールに連れていかれ、秘伝中の秘伝の液体を飲まされる。すると、その犠牲者はゾンビとなる。彼は自分の周囲のことや状況を意識することなく、前世の記憶も持たずに、疲れることを知らずに激しく働く。〔以下つづく〕

 

 

 

 


20世紀前半、黒人女性学者が
カリブ海宗教研究の旅に出る。
秘儀、愛の女神、ゾンビ――
学術調査と口承文学を往還する
異色の民族誌。
解説 今福龍太