ちくまプリマー新書

人それぞれ違う「こころの病気」をいくつかの類型に分ける理由
『はじめての精神医学』より本文を一部公開

ひとことに「こころの病気」とは言うけれど、その内実はどのようになっているのでしょうか。いまの精神医学の全体像をお伝えする一冊『はじめての精神医学』(ちくまプリマー新書)より、本文を一部公開します。

ストレスと体質

「○○さん、最近元気がないみたいだね。メンタルの病気じゃないかしら」

「最近、人間関係でだいぶストレスが溜まっていたみたいだしね」

「でも、同じぐらいストレスがあっても、△△さんは、元気にやってるけどね」

「もともとの体質もあるんじゃないの。△△さんは鋼メンタルなのよ」

 いかにもありふれた会話です。これは精神科の専門家ではない二人が、○○さんの最近の不調を「こころの病気」ではないか、と心配して会話している場面です。実は、この二人の会話、素人ながら、なかなかいい線をついているのです。

 この二人は、○○さんの「こころの病気」の原因を、「体質」プラス「ストレス」で理解しているのです。もともとの体質として凹みやすい人に、本人に抱えきれないほどのストレスがかかる。それでいよいよ「こころの病気」になる。そういう考え方です。

 この考え方は専門的にも正しく、ごくごく一般論でいえば、たしかに、たいていの精神科の病気は、体質とストレスが重なって起きるのです。完全に同じではありませんが、「体質・プラス・ストレス」とかなり似た考え方として、精神科の病気を「遺伝」と「環境」の組み合わせとして説明する、「遺伝・プラス・環境」という考え方も精神科の病気についてよく言われることです。

 ただし、「こころの病気は「体質」と「ストレス」の組み合わせで起きる」とか、「「遺伝」と「環境」の組み合わせで起きる」とかいった説明は、いい線はついているものの、それでもやはり、まだ素人的なのです。もう少し言えば、「たしかにそれはそうであって間違いではないけれども、言っていることが当たり前すぎて、それだけでは役に立たない」説明なのです。

こころの病気はひとつではない

 先に挙げた二人の会話例が専門家からみると素人的なのは、この二人の頭の中では、精神疾患を「メンタルの問題」として十把一絡げにしているところなのです。

 実際には精神科の病気は一つではなく、いくつもの精神科の病気があり、それぞれがかなり違っているのです。ストレスが大きく影響する病気もあればそうでない病気もあり、体質が大きく影響する病気もあればそれほどでもない病気もあります。

 心は目に見えるものではありませんので、精神科の病気も目に見えるものではありません。ですから、いくつもある精神科の病気を商品棚に並べるように並べることはできません。それなのに、精神科の病気は一つではなく複数ある、と私が断言し、また現代の精神医学もそのように考えているのは、一つと考えておくより複数と考えておくほうが便利だから、というのがその理由です。いくつかに分けておくほうが、病気について理解しやすいし、病気の名前ごとにそれに適した治療をしたほうが治療がうまくいく確率が高くなるから、という実用的な理由なのです。

分類しすぎるのもよくない

 このような私の意見に賛成していただいた上で、私の意見をもう一歩進めて、次のような意見を持たれる読者もいるかもしれません。

「精神科の病気を十把一絡げにするのではなく、いくつかに分けるのはとてもよい考え方ですね。そもそも、人それぞれで不安や悩みもそれぞれ違いますし、人は一人ずつ違いますからね。それならもう一歩進めて、一人ひとり別々の病名にするのがよいではないでしょうか。いや、一人ひとり別々ということなら、いっそのこと病気の名前をつけることなどやめてしまって、個々人に対して、一人ひとりのニーズに合わせた治療をすればよいだけではないでしょうか」

 たしかに、人間は一人ずつ違います。ただ、人間は一人ずつ違うからといって「患者の数だけ病気の種類がある」という、一見もっともらしく聞こえる考え方は行き過ぎなのです。分類は分けすぎると役にたたなくなるのです。一人ひとりのニーズに合わせた治療はもちろん心がけなければなりませんが、ほどよい数の分類によって、精神科医は、それぞれの病気についてわかっていることを生かして、つまり専門知識を活用して、治療の成功率を挙げることができるのです。

 つまり、優れた分類は、ほどよい数の分類である、ということになるでしょう。ですから、このあと紹介していく一つずつの病気も、その病気を持つ人が皆似たり寄ったりということではまったくありません。人は一人ひとり他人と異なるというのはもちろんのこと、同じ病気であってもその症状の現れ方は個々人でかなり異なります。それでも、「この程度の違いであれば別の病気ということにせず、同じ病気としておこう」という妥協点を探って作成されているのが、今の精神科の病名リストなのです。

…うつ病、依存症、性別違和、統合失調症、適応障害、PTSD、不眠症などなど。さまざまな精神疾患の具体的な症状や治療法を解説。さらには「精神医学とは何なのか」「精神医学に何ができるのか」までを問いなおす。続きは『はじめての精神医学』(ちくまプリマー新書)よりどうぞ。

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