筑摩選書

手に汗握る探偵物語のようなPTAの世界!

堀内京子著『PTA モヤモヤの正体――役員決めから会費、「親も知らない問題」まで』書評

子どものいる親の多くが経験するPTA。保護者間の交流などプラス面もある一方で、「?」なことも少なくない。「入退会は自由」が原則なのに、そうなっていないPTAが大半だ。学校単位のPTAから、それらを束ねる全国組織「日本PTA全国協議会」まで、PTAの「モヤモヤ」に多角的に迫った渾身のドキュメント、『PTA モヤモヤの正体』。メディア・ジャーナリズム研究の林香里さんが、この本について論じて下さいました。ご一読を! (PR誌「ちくま」2021年10月号より転載)

 原則自由参加なのに、なんでこんなに苦しいのか。私のまわりにも「アナタ、働いているからっていい気になるんじゃないわよ」と言われて、フルタイムの仕事の上にPTAの役員をやらされ疲弊していた友人がいた。

 日本で子どもをもつほとんどの人が経験してきたPTA。読みながら多くの人が「あるある」と頷くにちがいない。多くの不条理を目の当たりにして、大手新聞エリート記者の著者堀内京子氏は、子どもの通う小学校で果敢に改革を提案するも、失敗。「ぽきりと心が折れた」と言う。いったい、改革を阻む厚い壁とは何なのだろう。

 本書では、著者自身の経験から出たこのPTAの「モヤモヤの正体」を徹底的に調査している。掘り返せば掘り返すほど、どんどん話が大きくなって、中盤には日本会議関係者や自民党有力政治家の名前が次々と飛び出す。退会を願い出ると「お宅のお子さんだけがコサージュやまんじゅうをもらえないことになりますよ」という当初のエピソードは、いつのまにか教育基本法改正の話につながっていく。まるで手に汗握る探偵物語を読んでいるようだ。恐るべし、PTA。

 メディアの世界では、「PTAよりTPP(環太平洋パートナーシップ)」と堀内氏が指摘するとおり、永田町や霞が関による政局や政策を報道する記者のほうが格が上に見られ、巷のPTAを扱う記者は傍流だ。2021年9月の今ならば、政治部の記者の最大の関心は「衆議院解散はいつか」だ。しかし、衆議院解散のタイミングなんて一般市民は関心がない。そして、それは「一般市民が政治に関心がないからだ」と考えられてきた。

 しかし、それは違う。

 むしろ、報道の側が、身の回りの「モヤモヤ」と政治とをつなげてくれないのだ。そうこうしているうちに「モヤモヤ」はウヤムヤにされ、政治家たちはその状態を利用し、「自助と共助」といった無責任な精神論がまことしやかに語られるようになる。本書は、市民と政治との深い溝を埋める書でもある。

 こうした溝は、自民党超保守派長老たちとの間だけに限らない。本書最後にある前川喜平元文科省事務次官へのインタビューで、前川氏はPTAの参加について「なんで「イヤ」って言えないんですか」「「同調圧力に負けてしまう」というけれども、負けるなよと。一人の人間だろうよと」と答えている。

 しかし、世の中には「一人の人間」として生きられない人がたくさんいる。手のかかる子どもがいて、年寄りがいて、地域の班長もして、仕事をして、その上にPTA、と幾重にも重なる役割を担っているほうが普通だ。そうした社会の複数の文脈の重なりで生きる人々――日本の場合、多くが女性である――は、自らの意志だけでものごとを決められない。日々、矛盾と葛藤の渦中にあり、感情の調整を任され、理屈では解決が難しい責任を負う。

 その意味で、この本はモヤモヤに悩んでいる人たちに、まずはその感情はまちがっていないと教えてくれる。私たちの日常には、個人ではどうにもならない不透明な権力構造や既得権益が覆いかぶさっている。本書の数々のファクトは、悩み凹んでいる人たちに、再び立ち上がるための肩を貸してくれる。

 堀内氏は最終的にPTA改革とは「社会を変えることなのではないか」と結論づけている。だから、一人ではなく、たくさんの人が、メディアの力も借りて変革しなくてはならない。政治や企業の既得権益、長時間無償労働、固定的な性のイメージに基づく役割分担、「母性」や「家族」への根拠なきノスタルジー、同調圧力とパワハラ、不透明なガバナンス――いずれもこの「PTA」に凝縮して体現されているのだ、と。

 生活世界の責任を負わずに働く〈オトコ〉たちの精神論が、現代日本社会のさまざまな葛藤や分断にまったく役立たずであることを知るにも、格好の書である。

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