ちくま学芸文庫

「ことば」と「機構」
佐藤道信『〈日本美術〉誕生』解説

美術は「ことば」と「制度」が作ってきたーーまずは作品というものが存在している世界なはずなのに、それはなぜ? 美術の歴史が作られていく、スリリングな力学を読み解く『〈日本美術〉誕生』(佐藤道信著)より、美術評論家の北澤憲昭さんの解説を公開します。

文脈の転換

 礼拝の対象として堂宇に安置される仏像は、そこに存在することに意義がある。姿を見ることは礼拝の必要条件ではない。これは秘仏の例にあきらかだ。ひとびとは、その姿を目にすることなく手を合わせる。そればかりではない。礼拝にとって見ることは、妨げにさえなる。「大仏は見るものにして尊ばず」という川柳がその機微を伝えている。

 ところが、ひとたび仏像が博物館に展示されると、礼拝をさしおいて見ることが目的となる。礼拝から鑑賞へ、宗教から美術へと文脈が転換されるわけだ。日本において、こうした動きを促したのは一八七一(明治四)年に発せられた「古器旧物」保存の太政官布告であった。いわゆる文明開化のプロセスで旧来の文化財がないがしろにされる状況に向けられたこの施策は、近代日本における文化財保護政策の起点と目されるのだが、それは、博物館に相当する「集古館」という施設に文化財を収蔵する計画を伴っており、しかも、その保護対象には仏像も含まれていた。太政官の布告は、仏像が宗教の文脈から引きはなされ、美術の文脈に位置づけなおされてゆく端緒でもあったのだ。「開帳」など江戸時代以前にも仏像を衆目に晒す機会がなかったわけではないものの、明治以後の近代化の過程で、それが急速に一般化してゆくのである。同様の事態はヨーロッパにおいてもみられた。

『複製技術時代の芸術作品』のベンヤミンは、これを「礼拝価値」から「展示価値」への転換として論じている。

 転換は歴史上の文化財にばかりかかわっていたわけではない。やがて同時代の造型にも影を落とすようになる。明治以降、鑑賞のための造型は「美術」というヨーロッパ由来の翻訳概念によって捉え直されていくことになるのである。「〈日本美術〉誕生」という本書のタイトルは、一見すると原始古代にさかのぼる造型史を思わせるが、じつは、こういう事態を指し示している。「誕生」というのは、日本社会における造型が「美術」という文脈に組み込まれるということ、すなわち「美術」としての再生(リノヴエイシヨン)を意味しているのだ。日本美術に山括弧が付されたゆえんである。

 政策、制度、言説などさまざまな次元において推し進められていった日本美術「誕生」のプロセスを、本書は、美術をめぐる幾つかの「ことば」と、それらのことばに支えられる「機構」とに焦点を絞って明快に描き出している。本書にいう「機構」とは主に官庁の組織を指す。

 

「ゆらぎ」と「ゆがみ」

 こうした企てへと著者を向かわせたモティヴェイションは、いったい何か。本書にその回答を求めるならば、「ゆらぎ」という語が糸口になる。佐藤は、こう書いている。

「日本」がゆらぎ、「美術」もゆらぎ、「歴史」認識もゆらいでいる現在、未来を考えるために、現在がある理由と必然を確認しておくことは是非とも必要だ。(二四七頁)

 このようなゆらぎが生じたのは、明治に始まる近代化の動きが相対化され、大きな疑問符を突き付けられたからだ。本書が説いているように「美術」も「日本」も「歴史」も近代化の過程で形成もしくは再形成されていった概念なのである。本書が刊行されたのは一九九六年、情報化社会が本格化し、近代を駆り立てて来た工業社会の次なる時代が漸く人びとの前に明瞭な姿を現わし始めたときにあたっている。マーク・ポスターの『情報様式論』が刊行されたのが本書の五年前、さらにその五前年にはリオタールの『ポストモダンの条件』が翻訳刊行されている。「ポストモダン」という語で特徴づけられる時代のさなかに、本書は書かれたのであった。

 

この企てが、美術にかんする「機構」と「ことば」とを手がかりにしているのは、近代化の過程でこの二つが決定的な役割を果たしたからである。これは冒頭に挙げた仏像の例にあきらかだ。そこでは太政官布告の文言と博物館施設という機構が要となっていた。だが、こういうだけではトートロジーにすぎまい。研究スタンスの由来は別の角度からも探る必要がある。

 ことばについていえば、本書に先立つ時代において―たとえば構造人類学にみられるごとく―言語論が思想状況の中核を占めていたことが指摘できるが、ことばへの関心は著者の美術史観にもかかわっていた。美術の歴史は、作品や作家ばかりではなく、それをめぐる評論や研究などの言説を伴うことで初めて成り立つとする美術史観である。

 このような発想から「日本画」「西洋画(洋画)」「彫刻」「工芸」といったジャンルの成り立ちが解きあかされてゆくのだが、そこには、美術史家としての自己の成り立ちを、美術史の存立と共に見極めようとする動機が認められる。しごく真っ当なこの構えは、しかし、危険な構えでもある。これを徹底してゆくならば、ついには美術史研究の底を踏み抜かざるをえないからだ。「日本」「美術」「歴史」という語の歴史的検討は、美術史の大前提を掘り下げることであり、「日本美術史」以前へと溯行することを余儀なくさせるのである。

 ことばへの関心には、佐藤道信が禅家に出自をもつことも、もしかしたら影を落としていたかもしれない。「不立文字」、すなわち、ことばのヴェールの彼方に真実を求めよという教えである。時代がもたらした概念の「ゆらぎ」は、ことばのもたらす根源的な「ゆがみ」と不即不離の関係において見いだされたのである。これは、「あとがき」で、本書の主題が「子どもや外国人」の問いかけに譬えられるゆえんでもあろう。ことばに由来する暗黙の了解は異文化圏の人々や子どもたちには通用しないからだ。同様の発想は、中世の日本地図を目にした中学時代の著者の感慨、「東北生まれの私は、色づけされた地図の中で東北北部と北海道がまっ白になっているのに驚いた」という一節にも見てとることができる。

 

「機構」と人脈

「ことば」への関心が、著者の研究と出自にかかわるとすれば、「機構」への着目は、職業意識に由来しているように思われる。東京藝術大学の教壇に立つ以前に、佐藤は板橋区立美術館、東京国立文化財研究所(現東京文化財研究所)に在職していたのだ。美術館、研究所、大学と職場は変わったものの、一貫して美術にまつわる機構に属してきたわけで、そこでの経験が本書のモティヴェイションと無縁だとは思えない。

 機構に焦点を絞った考察は、おおむね第四章「美術の環境」にまとめられているが、副題に「階層・行政・団体・コレクション」とあるとおり考察は多岐にわたり、美術界の人脈についても多くのことばが費やされている。機構に的を絞れば、文化ナショナリズムを奉じて出発した東京美術学校(現東京藝術大学美術学部)の「アキレス腱」を、設置当時の文部大臣が西洋派の森有礼であったことに指摘するくだりや、工芸というジャンルが、産業と美術、さらには帝室御用という三つの次元に分割され、それぞれ農商務省、文部省、宮内省が所管したことによってジャンルとしてのまとまりをもち難かったという指摘など、機構の特質や機構間の関係から―そこにまつわる人脈を浮かび上がらせつつ―歴史を読み解いてゆくセンスは鋭く冴えわたっている。工芸ジャンルにかんする見解は、「工芸」こそ美術ジャンル成立以前の造型を捉える「マキシマムな包括概念」(六五頁)であるという第二章「美術の文法」の指摘と相俟って、日本の造型史を読み換える重要なヒントとなる。また、明治期美術界のジャンルや新旧派閥と江戸時代の身分制や藩閥とのかかわりを読み解いてゆくくだりは特段の説得力をもつ。

 しかも、機構にかんするこれらの考察には現場感覚とでもいうべきものが漲っている。これは、佐藤が芸術にかかわる公的機関に在籍してきたことと決して無関係ではあるまい。誠実な職業意識が、歴史の解読に適用されたということだ。

 一九七〇年代から二〇〇〇年代前半にかけて、日本各地に公立私立の美術館が相次いで建設され、ほとんど乱立ともいえる様相を呈した。「地方の時代」の掛け声と企業の文化志向をバブル景気が後押しした現象だったが、これによって美術界の中心は、街場の画廊やジャーナリズムから美術館へと移行することになった。これは、さまざまな機構が美術界を動かしていった明治期の歴史を思い起こさせる状況だった。美術館というのは、公立であれ私立であれ、学芸員という専門職の組織が中心となって運営される官僚的な機構であるからだ。本書の著者は、まさしくこの美術館の時代のさなかで美術界にかかわるようになった世代に属しているのである。

 

自己探求の書

 このように書くと、あるいは著者に対して怜悧な能吏のような印象を懐くかもしれないが、そして、それは必ずしも間違いとはいえないのだが、しかし、本書を読み進めるあいだに、読者は、行文の原動力が熱い思いであることに気づかずにいないはずだ。ことばがもたらす「ゆらぎ」と「ゆがみ」にかんするくだりで述べたように、その思いは、自分というものを見出そうとする切なる願いに発している。ふたたび「あとがき」から引いておこう。

いまさら「絵画」とは「工芸」とはなんだと言ったところで、だから何だと言われると、困る。(中略)今にいたる足あとを確認しただけのことだ。でもそれは、親の顔を知らないで育った人が、どうしても親を捜したいというのと同じではないのか。そこからその人の〝これから〞が始まるのだ。(二七二頁)

「美術」を成り立たせてきた制度の形成過程をたどるこの啓蒙の書は、とりもなおさず自己探求の書でもあった。

 佐藤道信は、「ことば」の彼方にゆらめくファクトに目を凝らすことで、近代初期の鑑賞造型の在り方を規定した機構の様相を、そして美術を語ることばの諸相を軽快な筆致で、ときに図版や箇条書きを交えながら淡々とスケッチしている。だが、クールで明快な文章の底には、希求にも似た切実な自己探求の思いが見いだされるのである。

(きたざわ・のりあき 美術評論家)

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