ちくまプリマー新書

いま、がぜん面白くなっている「考古学」についてご存知ですか?

『はじめての考古学』より本文を一部公開

「認知考古学」「戦争の考古学」「比較考古学」「ジェンダー考古学」…。考古学は新たな知と結びつき、がぜん面白くなっている! 《これからの考古学》の入門書『はじめての考古学』(ちくまプリマー新書)の第一章より、本文を一部公開します。そもそも「考古学」とは何でしょうか?

考古学とは何か

 大学で専攻が決まった年の夏休み、故郷に帰省して「考古学を専攻することにした」と近所のおじさんに言ったら、「そうか、恐竜の研究だね」と感心されました。研究者になってからも、一般の人から「恐竜についての質問」「化石鑑定の依頼」が研究室によく届きます。でも私には答えられません。なぜなら私は「考古学者」だから。恐竜を研究する人は、「古生物学者」です。では、考古学とは何をする学問? なんでしょう?

 図1の写真は、前の職場の岡山大学で、私が院生や学生の皆さんと一緒に古墳の発掘をしているところです。古墳とは、昔の人が、えらい人を壮大に葬った施設ですよね。そうです。私たち考古学者の研究目的は、「人」です。過去の人間が作った「モノ(物)」を発掘などで調べ、「人」すなわち人間の本質や歩みを明らかにするのが「考古学」の仕事です。考古学の目的は人間の解明。これが、この本で覚えていただきたい第一のことです。恐竜の時代には、まだ人間はいません。したがって、恐竜やその時代のことは、考古学の対象にはなりません。

人間とは何か

 では、人間とは何でしょうか。人間のことを、生物学的には「ヒト」といいます。ヒトは、どれくらい前からいるのでしょうか。ヒトが出現した時代が、考古学が取り扱う時代ということになりますから、ヒトがいつ地球上に出現したかということを、きちんと押さえておく必要があります。

 ヒトの祖先は、チンパンジーの祖先と同じ動物でした。今のチンパンジーと同じように、森にすんで木の実などをとり、ときどき小動物を狩って食べる生活をしていました。森で進化したことのなごりは、私やみなさんの身体にも残っています。両腕を伸ばし、ぐるぐる回してみてください。もしとなりにイヌやネコがいれば、同じこと(前あしを伸ばしてぐるぐる回す)をしてみてください。できませんでしたね。無理やりしようとすると、嚙みつかれるか、引っかかれるかしたのではないですか?

 ヒトの遠い祖先は森にすみ、木の枝にぶらさがって渡っていくようなやり方で移動していました。肩の可動範囲を大きくしてそれができるように進化したのです。ヒトがずっと地上で進化してきたのなら、腕をぐるぐる動かすことなどできなかったでしょう。私たちの身体そのものが、私たちの歴史の語り手なのです。

考古学の対象はいつから?

 今から七〇〇万年ほど前、気候が寒冷化して、ヒトとチンパンジーの共通の祖先たちが住んでいたアフリカ大陸の森林が縮小し、たくさんの草原(サヴァンナ)が広がるようになりました。祖先たちは、森にとどまる者たちと、食料をもとめて平原という新天地に進出する者たちとに分かれました。草原に進出した者たちは、もはや前肢(腕)で木の枝にぶら下がって渡っていくのではなく、後肢(脚)で歩くことが主な移動手段になりました。直立二足歩行のきっかけです。

 森から出て草原で生活するようになり、直立歩行を主な移動手段とするために脚が発達し始める。この段階からを「ヒト」といいます。それは七〇〇万年ほど前のことといわれています。考古学の研究対象はヒトですので、このときからが、考古学が取り扱う時代となります。考古学の研究対象となる時代は七〇〇万年前から。これが、この本でまず覚えていただきたいことの第二です。

考古学の対象はいつまで?

 考古学の対象となる時代が、ヒトが出現した七〇〇万年前「から」だ、といま説明しましたが、では、いつ「まで」なのでしょうか。

 さきほど、私たち考古学者の研究目的は、「人間」だといいました。過去の人間が作ったモノを発掘などで調べ、人間の本質や歩みを明らかにするのが考古学の仕事です。つまり、考古学の研究目的は人間=ヒトであり、そのために使う資料は「人間ソノモノ」と「人間が作ったモノ」です。それぞれの資料の数をみると、人間ソノモノ、すなわち化石人骨や埋葬人骨やミイラなどよりも、「人間が作ったモノ」のほうが圧倒的多数を占めます。やや理屈っぽくいうと、「人間が作ったモノ」は、すべて過去のものですから、「人間が作ったモノ」が存在するすべての過去を、考古学は対象とします。

 ただ、過去といっても昨日のことなどは、「人間が作ったモノ」よりも圧倒的に多くの記録や記憶が残っていますので、モノを通して昨日のことを復元することなどは、意味がありません。モノを通して復元する意味があるのは、記録や記憶が十分に残っていない、あるいは失われた過去のことです。考古学が対象としているもっとも新しい過去は、日本では主として第二次世界大戦の時代前後のことになります。たとえば日本では沖縄戦に備えて一九四四年から地下に設営が始まった「南風原陸軍病院濠」の発掘調査などがよく知られています。

物を対象とする意味

 考古学といえば、ばくぜんと「古代」を対象にすると思っていた方は多いでしょうが、いまの説明で、考古学が対象とするのは「七〇〇万年前から、だいたい半世紀ほど前」という、たいへん広い時代にわたることを、わかっていただけたかと思います。

 そして、沖縄戦の考古学の例をあげたように、モノすなわち物質資料(物的証拠)を研究の対象とする考古学は、文字による記録がなかったり、それが失われたり、信頼できなかったりする時代や分野の歴史を復元するときに、もっとも強みを発揮します。たとえば、日本の古代には、文字による記録『日本書紀』や『古事記』があります。しかしこれらの文字記録は、神たちが活躍したり、天皇の寿命が軒並み一〇〇歳を超えたりして、事実としては信頼がおけません。それで、考古学による古墳など(古墳も、巨大だけど「モノ」ですよね)の研究が、この時代の日本列島の歴史の真実を明らかにする有効な手段になるのです。

 ただし、古墳は、いくら眺めていても、何も語ってくれません。しかし、「それがそこにそういう形で作られた」のはまぎれもない事実です。日本最大の大阪府大仙陵古墳は、仁徳天皇の墓とされています。仁徳天皇の墓については、『日本書紀』に記事があります。「造営の作業を始めると、鹿が走り出てきて死んだのだが、その耳からモズが飛び出してきて、調べてみると耳の中が食い荒らされていた」という不思議なことを書いてあります。そして、仁徳天皇は即位八七年目に一一〇歳で亡くなり、この墓に葬られたと記されています。ほとんどのことが事実とは思えず、このような記述を並べても正確な歴史は復元できません。文字記録の限界です。

モノに語らせる技術

 このように、文字記録はとても雄弁ですが、「うそ」や「ほら」を少なからず含んでいます。また、内容は、その記録を残した人にとって重要で、かつ都合のよいことに限られています。このような文字記録をそのままつなぎ合わせても、過去の真実は復元できません。ただし、文字記録のなかから可能な限り真実をつかみ出してくるというさまざまな経験と技術はあります。いわゆる、「史料批判」という、歴史学(文献史学)の中核をなす方法論です。大学で日本史や世界史(東洋史・西洋史・中国史など)を学ぶ人は、それを身につけることになります。

 これに対して、考古学が対象とするモノは、存在自体がまぎれもない真実ですが、そのままでは何も語ってくれません。モノから過去の真実や歴史の動きを復元させるために、モノに語らせる必要があります。「何を、どのようにモノに語らせるのか」。それが、考古学の中核をなす方法論となります。これから学んでいきましょう。


 
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