2019年末から始まった新型コロナウィルス感染症(Covid-19)の世界的な拡大は、人々の移動を制限し、社会生活に大きな影響を及ぼしています。「コロナ禍」というのは、たんに新型感染症の世界的な流行という公衆衛生上の事態のみならず、それが政治や経済、さらには社会や人々の関係などに与える影響を総称したものだと言ってよいでしょう。
コロナ禍の拡がりは、現代という時代が直面するさまざまな問題を浮き彫りにしています。モノやカネや情報とともに人の国境を越える移動を「グローバリゼーション」と呼ぶとすれば、世界各地で行われた都市のロックダウンや国境閉鎖などに象徴されるような移動制限は、グローバリゼーションとは矛盾する動きでした。コロナ禍は、人の移動こそが社会的な営みの基盤であり、社会を創り上げる前提であったということを、逆説的なかたちで再確認させることになりました。移動制限は、たんにヒト・モノ・カネの移動を制約しただけでなく、さまざまな制度や機構などの構造変化を引き起こし、人々の生活様式から規範や価値観までも変えてきています。
本書では、新型コロナウィルス感染症の拡大によって移動が制約されているいまだからこそ、あえて「国境を越える移動とは何か」という問いを立ててみたいと思います。パンデミックがまたたく間に世界中を覆い、多くの国において人の移動が制約されるという事態を、誰が想像できたでしょうか。人の移動の自由を掲げてきた近代世界において、国家が人の移動をかくも容易に制限できると、誰が考えたでしょうか。
かくしてコロナ禍は、改めて「移動とは何か」という課題を私たちに突きつけることになりました。私たちは、移民や難民だけでなく、日常的に仕事や進学、結婚などによってさまざまな移動を経験しています。ですが、移動をめぐる研究のなかで、これらすべてが学問的関心の対象になってきたわけではありません。
それでは、人の移動はどのように研究されてきたのでしょうか。たとえば、メキシコとアメリカ、マレーシアとシンガポールの国境は、日々、国境を越えて移動する人々でごった返しています。これらは日常の仕事での移動であったとしても、移民の一例として移動研究の対象になってきました。それに対して、企業の海外赴任は通常「移民」の例としては取り上げられません。日本企業からニューヨークに派遣された夫とともに移動した妻は、夫と同様に現地の人々との接触機会は限られ、日常的な交友範囲も限定されている場合が多く、日本社会の延長線上にあると考えられるからです。移民についての研究は、異なる社会のあいだでの境界を越えた人の移動を対象としてきたのです。
とはいえ、これまでの移動研究においては、「移動とは何か」という問いや、移動という経験自体が等閑視されてきたように思えます。本書ではこうした問題意識をもとに、グローバリゼーションといわれる時代が直面している課題を、移動という観点から再考してみようと思います。
1990年代のはじめから、時代を表す言葉として「グローバリゼーション」という語が使われ、都市をめぐる議論もこれまでのような国民経済の発展物語ではなく、それが世界経済のなかで占める位置といった視点から論じられるようになりました。私は『変貌する世界都市』(1993年)以後、人の移動に注目しつつ、グローバリゼーションとはいかなる時代であるかを取り上げてきました。
その後、そしてコロナ禍のいま、世界は大きな転換期にあり、グローバリゼーションと人の移動にかかわる研究も、その衝撃を大きく受けています。本書は、『グローバリゼーションと移民』(2001年)と『グローバリゼーションとは何か』(2002年)以降に、いろいろなところで書いたものから、広く読まれることを意識して選択し、いまという時代から大幅に書き改めたものです。
本書全体は三つの部に分けられます。第Ⅰ部は、「いまという時代」をどのように考えるのかということであり、グローバリゼーションの時代としての現在について取り上げます。グローバリゼーションは、さまざまな事象の集積であり、あれもこれもグローバリゼーションだと論じられてきました。当初グローバリゼーションは経済的な事象だと考えられてきましたが、現在ではそれだけでなく、もともとナショナルなものと言われてきた、政治や文化、さらには社会についても、グローバリゼーションという観点から取り上げられるようになっています。ただし、本書ではそうした諸事象を逐一取り上げるのではなく、あくまで「いま」という時代を理解するための分析方法として、グローバリゼーションという視点を用います。
第Ⅱ部は、グローバリゼーションと呼ばれる時代の人の移動をどのように捉えるかをめぐるものであり、「移民」と言われてきたものを再考する試みです。グローバリゼーションに関する研究領域は膨大ですが、その糸口であり鍵となる人の「移動」について考えていこうと思います。ここで重要になるのが、これまでの移民研究が実際には移民政策研究であり、移民それ自体を研究対象にしてこなかったことが、現在の移民研究のゆがみを引き起こしているのではないか、そのことが移民や難民問題の解決策なるものを混乱に陥れてきたのではないか、という視点です。
第Ⅲ部は、人の移動が創り出す「場」の問題を扱います。移民や難民と言われる人たち、また観光やビジネス、留学などでさまざまな地域から人が集まる場所、こうした移動と場所の問題は、現在の移動が制約されている時期を経て、どのように変貌していくでしょうか。また、「多文化主義」や「多文化共生」という言葉で語られてきたものを、いまどのように考えるべきでしょうか。人の移動は国家のあり方をどう組み替えていくでしょうか。ここでは、グローバリゼーションの時代における移動と場所の問題を、人々のコミュニティ願望とのかかわりから考えてみたいと思います。
新型コロナウィルスの爆発的な流行は、一方では世界をかつてのような領域的な主権国家体制へ逆戻りさせつつあるようにみえながらも、他方ではもはやどこの地域も、他とは分離して存在することが不可能であることを示しています。新型コロナウィルス感染症の拡がりは、世界中の人々がお互いの存在を無視することができず、グローバルなものに組み込まれていることを認識させてきました。2020年は、戦後体制を支えてきた知の枠組みの転機であるとともに、近代と言われた時代の大きな転換期となるような予感がしています。本書がそのような転換点を考える契機になれば幸いです。