最相葉月

第6回 いきものがかりがロケットを飛ばす日(後編)

川端裕人さんは、科学をテーマにして小説とノンフィクションを両方手がける文筆家。今回は、最新作『青い海の宇宙港』春夏篇、秋冬篇の2冊が発売されたばかりの川端さんへのインタビュー後編です。サイエンスの現場を描くことの困難とは何か──。

原子核工学を目指した頃

 川端裕人は1964年、兵庫県明石市に生まれた。明石海峡大橋はまだなく、海峡をへだてて目と鼻の先に淡路島が見えた。家のそばには小川や田んぼがあり、明石城や日本標準時を刻む明石天文台によく通った。父親はエンジニアで、母親も自然やサイエンスに興味があったわけではない。野に放たれた子どもだった、と川端は回想する。
 『青い海の宇宙港』の主人公、天羽駆は、「マングローブって、木の名前じゃないんです」「海に近い水に浸かるようなところにできる林のことで、木の種類はいろいろあるそうです」と、教師の発言を訂正するようなクラス一のいきもの博士として描かれている。本作に限らず、川端の小説には動植物にくわしい人物がよく登場し、彼らはみなどことなく川端の分身のように思えるが、川端のいきもの博士としての素地は幼少期を過ごした播磨の自然に育まれたといっていいかもしれない。
 10歳のとき、父親の転勤で千葉に引っ越した。NASAの惑星探査機バイキング1、2号の火星着陸をはじめ、米ソの宇宙開発競争に胸を躍らせたのはその頃だ。高校では地学部天文班に所属して空を見上げ、天体写真を撮った。そのまま科学者の道に進むかと思いきや、大学受験を機に人生は大きく転換する。
 「ぼくは現役のときに京大工学部の原子核工学科を受けて落ちたんです。原子核融合に夢があった時代ですね。京大を受けたのには理由があって、高校数学ができれば解ける問題が出るからなんです。ぼくは中学数学がすっごい苦手で、高校数学はわりとできた。中学はギリシア数学的な方法で解く問題が多くて、幾何的なひらめきが必要なんですが、高校ではデカルトやニュートンの力を借りて、座標や微分積分を使って解けることが増える。だから京大は大丈夫だと思ったんです。ところがぼくが受けた年から、幾何的なひらめきがないと解けない問題が出るようになった。0点ではないけど、5点ぐらいじゃなかったかな」
 京大に落ちた帰り道、とぼとぼ歩いていると、新左翼の学生にビラを渡された。京大核実験施設の放射線漏れを隠す大学当局を糾弾する内容だった。さっきまで自分が行こうとしていたところではないか。考えてみれば、原子力船むつの放射線漏れ事故(1974)や、核兵器を積んだ米国艦船が日本の基地に寄港したと元駐日大使のライシャワーが発言した事件(1981)など、原子力にまつわる事故や事件がすでに発生していた。ビラを眺めながらどんよりとした気分で新幹線に乗り込み、携帯していた小説を読み始めた。SF界の黄金コンビといわれるラリイ・ニーヴン、ジェリー・パーネルの『悪魔のハンマー』である。彗星が落ちて人類が滅ぶという終末モノで、かろうじて生き残った一部の人間が奇跡的に無事だった原子力発電所の火力を維持して文明を再興する物語だ。
 「原子力は人類の文明を守り、文明を破壊する。科学って何なのか。科学の知見から生まれた巨大なテクノロジーと人類はどう付き合っていけばいいのか。偶然にも同じ日に科学技術の両義性について考えることになって、浪人してでも東大を受けよう、科学史と科学哲学を勉強しようと決めたんです」

「今は沈黙」

 大学卒業後は日本テレビに入社し、科学記者として科学技術庁や気象庁を担当、NASAのロケット打ち上げをレポートしたり南極海調査捕鯨船に同乗取材したりするなど、最先端の科学の現場を歩き回った。多くの犠牲者を出した雲仙普賢岳の大火砕流(1991)では取材クルーの一員として現地にいた。当時、メディアの取材のあり方が批判され、のちに関係者の手記や検証番組が発表されたが、川端の口からはまだ何も語られていない。自身のブログには「今は沈黙」、だが「これは自分でちゃんとつきつめて書くべきことだ。何年先になろうとも」(「川端裕人のブログ」05.9.21付)とある。災害から25年、いまも沈黙は続くが、『青い海の宇宙港』にこんなシーンがある。
 ロケット競技会がテレビで大きく報じられたことをきっかけに、フランスからの帰国子女、萌奈美がネットで「百億光年に一度のロケットガール」というキャッチフレーズで騒がれ、マスコミに追いかけられるようになった。母親が国際協力宇宙ステーションに滞在中の宇宙飛行士で、本人は目鼻立ちがはっきりした美少女だからそれだけで話題性は十分だ。ネット雑誌の記事やテレビ番組を切り取った動画があちこちに出回り、SNSには盗撮されたとおぼしき写真まで掲載された。集落をうろうろして何かを撮影する記者も現れた。萌奈美は駆が居候している茂丸家に一時的に預けられることになり、地元の大人は子どもたちをマスコミやストーカーから守るために対策会議を開く──。
 本筋とはあまり関係のないエピソードだが、強く印象に残る。

サイエンスの現場を描く

 川端の作家デビューは1995年、処女作は科学記者時代に取材した南極海調査捕鯨船での経験をもとに書いたノンフィクション『クジラを捕って、考えた』である。その後、コロンビア大学ジャーナリズム・スクールで1年間の研究生活を送り、帰国後に発表した『夏のロケット』でサントリーミステリー大賞優秀作品賞を受賞、引き続き、「見せる動物」をテーマにアメリカの動物園を取材した『動物園にできること』(1999)を著し、大宅壮一ノンフィクション賞最終候補作に残るなど、フィクション/ノンフィクションにこだわらず作品を発表し続けている。『青い海の宇宙港』では種子島宇宙センターへの入念な取材が行われているが、フィクションであっても現場取材は怠りない。
 「専門家が笑って許してくれる程度には書いておこうと思ってるんですね。おお、よく調べて書いてるなって。今回もロケットの基本的な計算は専門家にやってもらいました。最後のところで、みんながつくるサトウキビ・ロケットがNASAのボイジャーを超えるものになりそうだと書いてありますけど、あれは事実です。すべてうまくいったら、ということですけど」
 科学的にどこまで正確であるべきか。こだわりすぎると読みにくくなり、興がそがれてしまう。読者によっても基準が違うため、悩ましいところだ。たとえば、テレビドラマでいっとき話題になったロケット小説には、明らかな数字の誤りがあるという。理論値を超えた数字なので少しくわしい人が読めば興ざめするが、圧倒的多数は気づかずにスルーしてしまうだろう。
 「日本の小説は、世界もそうかもしれませんが、サイエンスの現場を主題化することに徹底的に失敗してきてるんです。お医者さんから作家になる人は多いですが、彼らは死を扱うので文学との親和性が高いからなんですね。一方、エンジニアが書くといきなりSF化してしまう。科学者やエンジニアのリアリティは、現代小説のなかではあまり描かれてこなかったんです。だからテレビ局に就職してロケットの現場を取材したとき、ああこれだ、ぼくはこれが書ける、これがぼくの生きる道かもしれないと気づいたんです。金融の世界を描いた『リスクテイカー』も、インターネットを描いた『The S.O.U.P』も、とっても取材しました。いちばん取材したのは、あのころの小説じゃないかな。一部の人にはすごく評価されたけど、セールス的にはかんばしくなかった。やっぱりむずかしかったんでしょうね」
 話題になった事件やスキャンダルを扱ったものを除くと、小説であれ、ノンフィクションであれ、科学を題材にした作品はどうしても読者を選ぶ。『フェルマーの最終定理』で知られるサイモン・シンのように、世界的に人気のある作家はごく一部だ。
 「それには二つぐらい理由はあって、まず一つは英語のほうが産業規模が大きいから。3年ぐらい気合いを入れて書ける時間を得られれば、日本にもサイモン・シン的な作家は出てくると思う。いまの日本ではそれだけ準備していられない。売れている人でも年に2冊ぐらいは出さないとしんどい。連載で初期回収しながら単行本を出して、文庫化する。自転車操業というのが日本の読書界です」

文系理系という壁

 「もう一つの理由は、理系文系の区別をしすぎることです。文学は文系の営みで、理系は文学の人じゃない、と最初に線を引いてしまう。大学入試のせいで、高校1年のときに分けられてしまうんです。編集者のなかに、わたし私立文系なんで、と自己紹介する人がいてがっかりするんですが、それは数学物理はわかりませんという意味なんですね。文系といっても、考古学なのか、日本文学なのか、専攻までいってくれないとよくわからない。
 サイエンスって理学部だと思われがちですけど、真理の追究だから、アメリカでは理系文系にかかわらず、学位はドクターズ・オブ・フィロソフィー(ph.D.)です。文学や社会学、哲学はサイエンスなんですね。最近思うんですが、理系と文系で分かれているとしたら、もっと深い断層でサイエンスとエンジニアリングがスパーンと分かれているんじゃないかな。にもかかわらず、高校時代に理系か文系かでアイデンティティが植え付けられてしまって、それぞれの幅を狭めている。編集者も文系が多いから……」
 ついでにいえば、文学賞の選考委員も。宇宙というだけで、科学というだけで、尻込みしてしまう。もったいないことだ。
 『青い海の宇宙港』では最後、いきものがかりの少年たちと、彼らに鼓舞されたユニークでちょっとワケありの大人たちが共にロケットを打ち上げる。島の幽霊やカミサマも大事な脇役だ。夢物語とわらうなかれ。文学も、ロケットも、カミサマも、それらを生み出す私たちの脳も、すべては宇宙の一部。宇宙からみたらほんの一瞬の営みにすぎないけれど、生きるに値する時間であることを子どもたちは教えてくれる。

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