最相葉月

第1回 人工知能が小説を書く日(前編)

話題になっては忘れられる発見、人知れず多大な熱意で進められている研究──。サイエンスや医療とその周辺に浮かんでは消えていくトピックをそっと掬い上げ、深く掘り下げるコラム連載第1回!

 絵は抜群にうまいけれど物語の出来は平均点。絵は下手だけれど物語は斬新でおもしろい。そんな2人のマンガ家志望の若者から売り込みがあったらどちらを採用しますか──。
 愚問を承知で、あるマンガ雑誌の編集長に訊ねたことがある。
「そりゃあ物語が書けるほうですよ」
 絵がうまい人は数え切れないほどいるけれど、物語をつくる才能をもつ人はそうはいない。それを発掘し、育て、共によりよい作品に練り上げて世に送り出す。それが編集者の仕事だ。小説も同じである。文章がうまいだけでは作家にはなれない。誰にも似ていない自分だけの物語を求めて、からだと心のすべてを執筆に捧げる。それが作家だ。

「星新一らしさ」を目指して

 先頃、人工知能(AI)が書いた小説が第3回星新一賞の一次選考を通過したと発表された。応募総数2561編の中の1編が、最終審査を含めて4段階ある審査の第一関門を突破したのだ。これを快挙とみて一面で報じた新聞もあれば、まだまだ力不足と考えて小さなベタ記事で済ませた新聞もある。私はといえば、想像していた以上の出来映えだったことに正直驚いている。
 選考は著者名や所属、年齢、性別などは一切非公開のまま行われる。中間審査には大森望さんや牧眞司さんらプロの作家や評論家があたったが、名うての読み手である彼らでさえ、自分が読んだ作品がAIによるものかどうかはまったく判別できなかったという。少なくとも一次通過した作品は機械翻訳のような意味不明なものではなく、日本語の文章としてある程度、意味が通じるものにはなっているということだ。
 AIによる応募作は全部で11編。そのうちの2編は2012年9月に始動した「きまぐれ人工知能 作家ですのよ」プロジェクトが作成した。生涯に1001編のショートショートを書き上げた星新一の作品データをもとに文章の構造や発想法を解析して「星新一らしさ」を探り、AIに星新一のような物語をつくらせるプロジェクトで、賞への応募はその第一目標になっていた。
 7大学から13人の研究者が参加するプロジェクトチームの全体統括を務める公立はこだて未来大学教授の松原仁さんは、3月21日に汐留の電通ホールで開催された応募報告会で、「星新一の作品には制約が多いことがミソだった」と語っている。
 星新一は、固有名詞は使わない、時代風俗は描かない、残酷な表現は用いない、性的な描写はしない、常用漢字以外は平仮名で表記する、などの制約を自分に課していた。分量も400字原稿用紙なら10数枚程度である。登場人物が多く、人間関係が複雑で時制があちこちへ飛ぶ長編よりはプロットが明確でわかりやすく、国や時代を超えて普遍的である。コンピュータによる自動作成の研究が進んでいる俳句や和歌に比べると、自由度が高く課題だらけの散文の中で、制約が多い星の作品はとっかかりになると考えらえたのだった。
 星自身が創作手法を公開していることも研究者にはありがたかった。定石を覚え、異質なものの組み合わせから生まれるアイデアをヒントにする。星が生前、弟子と認めた江坂遊さんが名付けた「要素分解共鳴結合」という、言葉のパズルのような創作手法はコンピュータ親和的といえるかもしれない。
 課題はあった。勝ち負けがはっきりする将棋や囲碁のように、AI自身が小説を「よし、いける」と判断することはできない。小説として成立しているか、おもしろいかどうかを評価するのはあくまでも人間である。星新一の作品数は1001編と公表されているが、実際はその倍ほど書いて大量に捨てている。この取捨選択の力がAIにはない。
 テーマを設定するのも人間で、新しいアイデアを得たり、新しいプロットを作ったりする力もまだない。そもそも、文をつなげて自然にまとまりのある文章をつくることさえむずかしい。テキストの切り貼りである以上、剽窃のリスクから逃れられないのも厄介だ。
 世界最強といわれる韓国のイ・セドル九段に勝利したグーグル・ディープマインド社の囲碁ソフト「アルファ碁」が行ったディープ・ラーニング(深層学習)は適用できないのだろうか。そんな問いに対する松原さんの答えは、ノーではないがイエスでもなかった。

(第2回につづく)