2.なぜ維新が新型コロナで支持率を上げたのか
政党支持率では、日本維新の会に動きがありました。図3の10%未満の領域を拡大した図4を見てください。この図からは、維新の支持率が増減を繰り返しながら次第に水準を上げてきたことが読み取れます。
ここで一旦、政党支持率が上がる主な要因が国政選挙である点を確認しておきましょう。図3では、自民党ともつれ合うようにして、支持政党を持たない無党派層が灰色の線で示されていますが、この無党派層は第25回参院選(2019年)と第49回衆院選(2021年)の時に大幅な減少を見せています。無党派層が減ることは政党支持層が増えることと同じなので、選挙の時は全体として政党支持率が上がる傾向があるわけです。10%未満の領域を拡大した図4からは、衆院選や参院選にあわせて支持率が伸びている政党が多いことがはっきりと読み取れます。
このように、国政選挙の公示から投開票に前後して政党支持率が急上昇する現象を選挙ブーストと呼んでいます。実は2012年に自民党が政権を奪還して以来、野党の支持率の増加はほとんどが選挙ブーストによってもたらされており、他の要因によるものは数えるほどしかありませんでした。
重要法案の国会審議の際、野党に対して「批判ばかりしていても支持率が上がらない」といったことがしばしば言われます。けれども国会審議で支持率が上がるのはもともと希なことで、2015年の安保法をめぐる緊迫のなかでさえ、わずかに民主党が伸びた程度にとどまります。また、自民党の支持率が総裁選で伸びたのは図3から明らかですが、野党が代表選を行ったところで支持率の上昇はそれほど見込めません。自民党の総裁選が別格のものとして報じられるのは次の総理にかかわるからであり、野党の代表選が同列に扱われることはないからです。
しかしながら、こうした事情があるのにもかかわらず、新型コロナの第一波が襲来した2020年3月から5月にかけて維新は支持率を上げています。政府対応への批判が高まっていたこの時期に、なぜ最大野党の立憲民主党ではなく維新が支持率を伸ばしたのでしょうか。維新の地盤を検討するとその理由が明らかになります。
それぞれ第47回衆院選(2014年)と第49回衆院選(2021年)における比例代表の得票率の分布を図5と図6に示しました。これら2回の選挙で維新が得た票はともに800万強です。第49回衆院選(2021年)では日本維新の会が躍進したと言われますが、実はこのときの議席数も第47回衆院選(2014年)の維新の党と変わりません。長期的に評価するならば、第48回衆院選(2017年)で希望の党に圧迫されて失っていた議席を回復したと見るのが適切です。
とはいえこの間に一つ見過ごせない変化が起きています。図5から図6にかけて起きた得票率の変化を図7に示しました。図7では、得票率が伸びた地域を黄色から赤の配色で、減った地域を水色から青の配色で塗っています。この図からは、維新が日本の広い地域で得票率を減らしている一方、大阪の地盤をきわめて強固なものとしたことが見えてきます。
コロナ対策をめぐって維新が存分に利用したものこそ、この大阪の地盤でした。知事と市長をともにおさえ、2019年の府議選で単独過半数を占めていた維新は、党として掲げたコロナ対策をただちに大阪で実行し、それをマスコミに報道させるというサイクルを作ることができたのです。
このことは、たとえ愚かな政策でさえ、実行に移して報じられれば支持されることを示唆しているといえます。人口あたりの新型コロナの死者数は、国内では大阪が最悪だという統計的事実がありながら、維新は地元での支持を伸ばしました。このことに関しては、政治を検証すべきマスコミがいかに堕落しているかということにも一言、触れざるを得ないでしょう。
他方で立憲は、持続化給付金や全国民への一律給付など多くの政策を与党に先んじて提案してきたものの、それを実行できるだけの地盤がありませんでした。このため立憲の提案をわがものとして実行できたのは自民となり、一律給付の10万円も「安倍さんがくれた10万円」になってしまったというわけです。
最近しばしば言われている「提案型野党」が自らの支持拡大を放棄するものであることは、こうしたことからも明らかです。「提案型野党」の提案は、自民に実現してもらうための「お願い」になってしまうのであり、実績を積むのは自民です。また、そうした提案は自民に批判的なものではなく、自民が賛成できるようなものに限られてしまうため、野党としての存在意義が問われることにもなるでしょう。「野党は批判ばかり」といった主張に対しては「我々は批判し、行動し、実現する」とこたえればよいのであり、「与党に賛成もしています」「提案していきます」というのでは、自らの価値を貶めて存在感を失っていくことにしかならないのです。
3.「政治の空白域」に目を向けたれいわ新選組
れいわ新選組の登場もこの3年間での大きな変化です。れいわは結成からわずか3か月でむかえた第25回参院選(2019年)で2議席を得ました。政党要件のない政治団体が比例代表で議席を得るのは現行の制度(2001年以降)の下では初めてのことだったため、これは驚きを持って受け止められ、一過性の熱狂やポピュリズムであるという指摘が批判的になされました。しかしながらそうした指摘の多くは、れいわがどのような人たちを代表しようとしたのかということを置き去りにしたものでした。いかなる政治勢力も、それを理解し議論するためには、その勢力がどのような人たちの利害を代弁しようとしているのかに考えを及ぼすことが不可欠であるはずです。
今から40年近く前になりますが、かつて結党後初の参院選でれいわとほぼ同数の票を得た政党がありました。「スーツ代を必要経費に」と訴えたその党は、第13回参院選(1983年)で図8のような得票率の分布を示しました。このサラリーマン新党は、戦後日本に存在した政党の中でも有数の都市型の地盤を持っています。それはもちろん、この党の利害関係者であったサラリーマンが都市で多かったからにほかならないのでしょう。
次に図9を見てください。これは第25回参院選(2019年)のれいわの得票率の分布です。新規の政党は都市部で支持の拡大を図るのが普通ですが、この図からはれいわが単に都市部の浮動票を取り込んだわけではなく、全国的に広く票を得ていることが読み取れます。結成から参院選までの短期間で全国をまわれたわけでもないのにもかかわらず、各地から投票した人がこれだけいたことは注目に値します。
これに対してネット選挙の普及を指摘することはできますが、いくらネットがあったところで、掲げた言葉が届かなければ票が動くわけはありません。れいわの候補者たちの言葉はどこに向けられていたのでしょうか。れいわが利害を代弁しようとした層はどこにあったのでしょうか。それは、この社会の中で最も生活に困っている人たちだったのです。
れいわはロスジェネ(失われた世代)を含む全ての人々の暮らしの底上げを掲げ、諦めかけている人たちに向けて「あなたの努力が足らなかったのではなく、あなたの生活の首が絞まるような政策が続いてきただけだ」と呼びかけました。重いハンディキャップを抱えたALSの当事者、シングルマザー、コンビニ問題の当事者、かつてのホームレス――現在の社会が抱える問題を体現する者としてこれらの候補を擁立し、「消えてしまいたい、死にたいと、そう思ってしまう世の中のほうが間違っているんですよ」と山本太郎氏は訴えかけました。そうした言葉が響く層こそが、れいわの利害関係者だったのです。
図10には、朝日新聞や共同通信など5社が合同で実施した第49回衆院選(2021年)の出口調査から、各政党の投票者の年齢別の内訳を示しました。この出口調査の回答数は41万1467件にのぼり、信頼に値します。
この図からは、自民、公明、立憲、共産には年齢が高い世代ほど多く投票しているのに対し、れいわは40代にピークをもっていることが読み取れます。ロスジェネの中に、れいわが差し伸べた手を握り返した人たちがいたことが浮き彫りになっているといえるでしょう。
1990年代初頭にバブルが崩壊すると、打撃を受けた資本を守るために新自由主義的な政策が進められ、労働者の権利の切り崩しや雇用の非正規化が行われていきました。安定した仕事を持ち、結婚して子供を育てていくという従来の生活スタイルを、多くの若者は望めなくなったのです。この時代に新しく社会に出ていった若者こそ、いまロスジェネと呼ばれている世代でした。
社会に出ていく時に、展望を描けない道へ進まざるを得なかった人たちがいました。政治は、それを自己責任として見捨ててきたのであり、政治参加に希望を持たなくなった層が多く生まれました。今の無党派層の多さや投票率の低さは、それが降り積もったことのあらわれです。バブル崩壊以降の30年にわたる停滞が、日本の社会の中にそうした「政治の空白域」を作ったともいえます。
れいわは今も山本太郎氏の「個人政党」という面がありますし、先日も内閣不信任案の採決を棄権したことで物議をかもしています。けれどそうしたこととはまた別に、「政治の空白域」に目を向けたことは評価される必要があるでしょう。そこを開拓する意識をもたなければ、とりわけ高齢化の著しい野党は先細りしていくよりほかにないからです。