ちくま学芸文庫

今、なぜ『ポストモダニティの条件』なのか

デヴィッド・ハーヴェイ、吉原直樹監訳/和泉浩・大塚彩美訳『ポストモダニティの条件』書評

『資本論』の入門書などでも知られる世界的地理学者デヴィッド・ハーヴェイ。その代表作の一つとされるのが6月に刊行された『ポストモダニティの条件』(ちくま学芸文庫)です。なぜいま「ポストモダン」なのか。同書を読みなおす意義を平田周さんに論じていただきました。(『ちくま』7月号より転載)

 ポストモダンとは何か。これについて、東浩紀は示唆に富む二つの論点を提示している。第一にこの言葉は、「ニューアカデミズム」と呼ばれるフランス現代思想の流行よりも、むしろ1970年代以前と以後の社会のあり方を分かつ時代区分を指す文化史的な概念であること。第二に、70年代を特徴づけるような「他者の欲望を欲望すること」、つまり他人の視線を意識して自らの振る舞いを決めるような態度がメタレベルで全面化する現代社会では、ポストモダンの論理が徹底したものとなっていること(『ゲンロン0観光客の哲学』ゲンロン、2017年、51頁)。
 東が提示した論点は、経済地理学者デヴィッド・ハーヴェイが1989年に刊行した本書『ポストモダニティの条件』を、2022年の今読むにあたって、一本の導きの糸になりうる。つまりポストモダニティは、どのようにそれまでの時代との断絶をなし、その論理的影響は今日どのように捉えられるのか。それに対する回答は、本書のキーワードである、私たちがテクノロジーを通じて経験する「時間と空間の圧縮」と、一見それに矛盾するように思われる都市開発などの空間編成との関係に着目することによって得られる。
 600ページにおよび多岐にわたって展開される議論の内容を単純化するのを恐れずに、本書の構成に触れながら、その理路を見定めよう。
 本書の第Ⅰ部においてハーヴェイは、文化の領域に照準を定め、モダニティからポストモダニティへの移行を検討する。その際の出発点となり、またリフレインともなるのは、シャルル・ボードレールとマーシャル・バーマンによるモダニティに関する定義である。
 ハーヴェイにとってポストモダニティとは、「移ろいやすいもの」と「永遠のもの」との結合としてボードレールによって定義されたモダニティから、「移ろいやすいもの」が「永遠のもの」に対して優位になる文化状況への移行である。それゆえモダニティの片面をなす「流動性」「断片化」「不確実性」「異種混淆」といった言葉が、哲学、小説、現代芸術、映画、建築、都市計画および批評領域を席巻することになったのである。
 第Ⅱ部では、フォーディズムから、商品や労働力の回転時間を短縮させるフレキシブルな生産、消費、蓄積に移行した政治経済的次元が、分析の俎上にのせられる。一見すると、経済的下部構造が文化的上部構造を規定するという旧来のマルクス主義が唱えた経済決定論のようにも見える。しかしそうであれば、「政治・経済的過程と文化的過程との物質的連関を明らかにする」ことを目的とした第Ⅲ部「空間と時間の経験」と、短い断章形式の連なりからなる最終部は、不要なはずである。
 ここでバーマンによるモダニティの定義が重要な参照項となる。バーマンは空間と時間を経験する特定の様式としてモダニティを定義し、マルクスをマルクス主義者ではなくモダニティの探求者として提示した。その点をハーヴェイが評価するのは、マルクスにとって、「資本主義とは、永遠に革命的で破壊的な力をそれ自体の歴史に留めおくことを保証するルールを内部化する社会システム」だからである。それゆえポストモダニティの文化とそれに対応するグローバルな政治経済が「移ろいやすいもの」であり、不安定であるのは、それが資本主義の「永遠に革命的で破壊的な力」と結びついているからである。
 要するに、ポストモダニティがもたらした断絶を歴史・地理的に位置づけることができるのは、マルクスのモダニティという「大きな物語」の連続線上においてである。この視座において、ポストモダニティとは、ハーヴェイが空間と時間の経験を再定式化した「時間と空間の圧縮」の経験の歴史的な一段階にほかならない。
 おそらく本書の先駆性は、しばしば「フラット化する世界」というイメージに単純化されるポストモダニティの「時間と空間の圧縮」が、「不均等発展」とセットで、つまり繁栄する地域と衰退する地域への空間的分化とセットで語られることにある。その現代的重要性は、IT化改めDXとして推進されるものと、町おこしと呼ばれる都市間競争の現実とを照らし合わせて考えるなかで、またそれがもたらす時間と空間の経験の変容とを合わせて考えるなかで、新たな論点とともに浮かび上がってくるだろう。

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