ちくまプリマー新書

難しい本も「解釈学的循環」で読み解ける!
『難しい本を読むためには』より本文の一部を公開!

難しくて読むのを諦めてしまった、そんな経験ありますよね。この本で解説するのは「本当に正しい」読書法です。一瞬ですぐに、簡単に、読めるようになるわけではありませんが、正攻法こそが近道なのです。『難しい本を読むためには』より本文の一部を公開します。グルグル回りで読み解いていく「解釈学的循環」を理解することで明日からの読書が変わります!

 

 

読解の矛盾

 本書前半では、難しい本を読む方法のふたつの側面が説明されました。それらを簡単にまとめます。

 第一に、ひとまとまりの文章が何を言っているかを理解するさいには、キーセンテンスを見つける必要があります。ここでの「キーセンテンス」は文章全体の主張を表現する文を指すのですが、これをつかむことで文章が最終的に言いたいことを把握することができます。

 第二に、キーセンテンスを探し出すためには、文章を眺め渡したうえで、この文章が全体として何を言おうとしているかを押さえておく必要があります。じっさい、文章のそれぞれの部分の意味は相互のつながりをとおして定まるので、文章全体の理解がなければ《どこがキーセンテンスなのか》もわかりません。前章で「全体を制さぬ限り部分を制することはできない」と言われましたが、〈全体から部分へ進む〉という流れは難しい本を読むさいにたいへん重要です。

 では――と徐々に本章の話題へ進んでいきますが――文章全体が言おうとしていることはどうやってわかるのでしょうか。この問いの答えは「それを表現するキーセンテンスを見つけることによって」以外にありません。すなわち、文章全体の中から、最も主張したいことを述べている文(すなわちキーセンテンス)を見つけ出して、ここから文章が根本的に言いたいことを把握する、というやり方以外にないのです。それゆえ抽象的には次のように言えるでしょう。全体を理解するには、部分をひとつずつ見ていくしかない、と。

 以上を聞いて「変だ!」と声をあげるひとがいるはずです。じっさい、以上の話には変なところがあります。なぜなら私は、《キーセンテンスを見つけるのは文章全体の言おうとしていることを押さえておく必要がある》と指摘したにもかかわらず、《文章全体の言おうとすることをつかむには、その部分をひとつずつ見ていって、キーセンテンスを見つけ出さねばならない》と述べているからです。こうなると話はグルグル回りになります。

 キーセンテンスを見つけるためには文章全体の言いたいことをつかまねばならないが、文章全体の言いたいことをつかむにはキーセンテンスを見つけなければならず……。一般に、Aを知るためにはBを知っておかねばならないが、Bを知るためにはAを知っておかねばならない、となればけっきょくAもBも知ることができなくなりそうです。だがそうなると本書で紹介する〈難しい本を読む方法〉は役立たずになるのではないでしょうか。

 本章はこの問いへ答えることを目指します。たしかに本書で紹介する〈難しい本を読む方法〉には「堂々巡り」のような何かが含まれます。とはいえこのやり方は有用です。それだけではありません。じつに、難しい本を読むさいには、「堂々巡り」をうまく使いこなすことこそが重要なのです。この意味で、先に図示した「グルグル回り」は―意外かもしれませんが―文章読解の秘訣の一部だと言えます。本章はこうした点を説明していきます。

グルグル回りに入り込む―解釈学的循環について

文章を理解するさいには何かしらの「グルグル回り」がつきものだ、という考え方は現代の哲学のいろいろなところで言われていますが、一九世紀のドイツに体系化された「解釈学」という思想はまさにこの種の循環をテーマとします。日本の代表的な解釈学研究者・塚本正明の説明を見てみましょう(『現代の解釈学的哲学――ディルタイおよびそれ以後の新展開』世界思想社、一九九五年)。

 一般に文章は、読み始めの段階では、何を言っているか明らかでありません。すなわち、どこが重要な部分かもわからないし、全体として何が述べられているのかも判明でありません。ここで塚本は文章の部分- 全体の関係について次のように述べます。

[……]部分の意義を規定するには、まず全体の意味連関を予想しなければならず、また逆に、全体の意味連関をじっさいに確定するには、部分の意義規定をまたねばならないということになる。ここに、よく知られた「解釈学的循環」が必然的に生じるわけである。(一七頁)

 ここでは、部分の意味を決定するには全体の意味のつながりを想定せねばならないが、全体の意味のつながりをつかむには部分の意味を押さえておく必要がある、と言われています。

 そして塚本は――解釈学の習わしに従って――この堂々巡りを「解釈学的循環(hermeneutic circle)」と呼ぶのですが、解釈学的循環は本書の最重要の概念でもあります(この語のより正確な意味は後で説明されます)。

 さて、もし塚本の引用の指摘が正しければ(すなわち文章を読むさいに、部分の意味を知るには全体の意味を知らねばならず、全体の意味を知るには部分の意味を知らねばならないのであれば)、いったい私たちはどうやって文章を読むのでしょうか。答えは「このグルグル回りにうまく入り込むことによって」です。じつに、文章を読み始めるときには各部分の意味も全体の主張も未知ですが、ひとは部分と全体を「行ったり来たり」することによって徐々に内容を汲み取っていくことができます。そして、《各部分が何を述べているか》と《文章全体が何を言っているか》とがかっちり嚙み合ったとき、ひとはその文章を完全に理解できたことになります。要するに、堂々巡りの中を行ったり来たりして、全体と部分を齟齬なく理解することを目指す、というのが読解の正攻法なのです。
 



 
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