免疫学者が語る パンデミックの「終わり」と、これからの世界

オミクロンの時代を生き抜くための「本当の知識」とは?【前編】

『免疫学者が語る パンデミックの「終わり」と、これからの世界』刊行記念対談

コロナ感染の重症化のメカニズムから、ワクチンや免疫の性質まで、科学的な知見に基づいて平易に解説した『免疫学者が語る パンデミックの「終わり」と、これからの世界』。その著者で、インペリアル・カレッジ・ロンドンのReader in Immunology(准教授)の小野昌弘さんと、外科医・病理医としての経験を生かした、リアリティあふれる医療現場の描写で現代社会の病理を衝く小説を発表してきた海堂尊さん。このお二人に、前・後編の2回にわたって、存分に語り合っていただきました。

オミクロンBA.5による第7波について

海堂 最初に、免疫学の専門家の小野先生に伺いますが、日本は今、第7波といえる状態でしょうか。

小野 ええ、第7波だと思います。昨年末からオミクロンの大波があり、感染者数が上下しつつ、少しずつ変異しながら流行が続いているのです。

海堂 その波の繰り返しだということが一般の市民には伝わりにくい。今は、オミクロンがメインで、BA.5という言葉が広がっています。BA.5がわからない人もいると思うので、解説していただけますか。

小野 コロナウイルスの分類は、ウイルスの遺伝子配列と流行分析、ウイルスの性質の分析など、基礎的実験の結果を参考にしています。実験室内で細胞や実験動物を使った時のウイルスの挙動を勘案し、流行制御の程度や、ワクチン接種を広める速度など、可能な限り早く判断し、対応してきました。

海堂 ワクチンやウイルスの成り立ち等、免疫学的な基本的なことを理解すれば、市民も対応しやすいはずですね。

小野 現在、私たちはウイルス進化の道のりを、パンデミックの様相変化として経験しています。このウイルスの変化、すなわち「変異株」の「株」とは、そのオリジンになるものです。株が変わった時点で、マイルストーン(道しるべ)まで到達し、そこが起点になり次の歴史が始まります。実際、従来株からアルファ株という変異株が出た時(2020年末)、状況は大きく変わりました。デルタ出現でも状況は変わり、オミクロンでも激変しました。                                     

今はオミクロンの時代です。BA.1が最初のオミクロンで、BA.2, BA.4 , BA.5と、少しずつウイルスが変化しています。BA.5は基礎的実験で、その他のオミクロンに比べると病原性も多少高いと示唆される結果がありますが、疫学的流行分析から見ると、オミクロン流行の延長だと考えられます。オミクロンはわずかな変化で、大きな流行の波を起こすことが可能なようです。ちなみにBA.3もありましたが、これはあまり感染を広げる勢いがなく、日本や英国はじめ多くの国で流行しませんでした。

海堂 コンピューターのOSのバージョンアップみたいな感じですね。

小野 そうです。名前が変わることに神経質になる必要はありません。感染が広がった結果、重症化が増えるかどうか、病院の状況はどうなるかというところが重要です。流行が広がるということは、ウイルスに何らかの変化があったということですが、名前が変わったということだけで深刻な変化があったと受け取るべきではありません。

「オミクロン」とギリシャ文字、新型コロナ変異株の名前について

海堂 素人的な疑問ですがギリシャ文字でアルファ、ベータ、ガンマまで来て、オミクロンまで来ましたが、終わりまで行ったらどうするんですか(笑)。

小野 どうするんでしょう(笑)。私はギリシャ文字を使った時、それが最後まで行く前に、みんなが気にしなくなるくらい、パンデミックが制御されているだろうと思っていました。でも日本人としては、次は、46個はあるひらがなを使う提案をすればいいんじゃないですかね(笑)。

海堂 「あ」株とか、ですか。それなら日本人に親しみやすいですね(笑)。当初、変異株をイギリス株とかインド株と呼んでいましたけど、ウイルス自体にそういう地域の名前をつけないということがWHOの原則で決まっていたので、なぜ変異株にそんな名をつけたのか、と不思議でした。

小野 あれは自然発生的なもので元々、学者は単語分類というウイルス分類、新型コロナのため作られた命名法で呼んでいたんです。B.1.1.7(アルファ株の、もとの分類名)などですが、皆が覚えられずメディアがインド株、などと言い出したのです。当初アルファ株はイギリス変異株で、ベータ株は南アフリカ変異株、という呼び方をしました。でも地域に対する偏見を植え付けるので地名、国名とウイルスを結び付けないようにしなくてはいけないというルールがある。そこでニュートラルな命名法としてギリシャ文字にしようとWHOが決めたのです。

オミクロンが「弱毒化」したのか、ワクチンが効いたのか

海堂 今、「オミクロン株は弱毒株で重症化しない」という風評が流れていますが、小野先生は著書で「オミクロンは弱毒ではなくワクチン接種によって抑えられている」と明確に書いています。その辺りは、分かっていない方も多いと思います。私としてはこの本を読んでください、と言いたいですが、ここで改めて説明していただけるとありがたいです。

小野 実はオミクロン株は、従来株からさほど変化したわけではない。でも重症者の割合が違う。特にそれがワクチン接種をした国々で違ったのです。つまりワクチンに流行を止める力はなかったけれど、重症化を止められたのです。オミクロンの性質が分かった時点で英国等では封鎖しないと決断しました。解釈に迷うのがオミクロンの発生地である南アフリカの事例で、ワクチン接種率は高くなかったのに、オミクロンはデルタに比べ死亡者数は相当少なかった。そこで「新型コロナに感染すれば重症化しなくなる」という言説が欧米で広まったのです。

ただ南アフリカを見ると、最初に従来株が大流行し、ベータが大流行し、デルタがまた大流行し、いずれも死亡者数、重症患者数がものすごい数でした。ですから一度、新型コロナウイルスにかかったら大丈夫、とかT細胞免疫ができる、等の言説は大雑把すぎる。本当は、それぞれの新型コロナウイルスの変異株にかかった時、あるいはワクチンを打った時にできる免疫はそれぞれ特有で、防ぎやすい変異株と防ぎにくい変異株がある。この「防ぐ」とは「感染を防ぐ」という意味と、「重症化を防ぐ」という二重の意味がある。一般の方が混乱するのは無理もない話で、やはり科学者が噛み砕いて話をしないといけない。それが今回の新刊の執筆の動機でした。

海堂 市民には「感染を予防する」と「重症化を予防する」というワクチンの2つの顔がごっちゃに見える。「ワクチン打ったのに感染した」となると、「ワクチンが効かない」となる。一度打ったら永久免疫ができるワクチンもあるので(麻疹や天然痘など)、医療従事者でもその二重性を理解していない人がいるのは確かです。メディアが、よくわかってない素人コメンテーターや思い込みが強い傾向の医療従事者に繰り返し喋らせるのはすごくマイナスです。

小野 日本のメディアに流れる情報が混乱し、本当の知識から遠ざける情報が多すぎます。本当の知識は複雑な話ではないのですが、あと1分辛抱して聞いていただく必要がある。またそこまで理解している人が努力して話さないと分からない部分があります。

海堂 小野先生のご著書は、「本当の知識」がきちんと書かれています。「新型コロナウイルス感染症の主な後遺症」という項が特に印象的でした(91ページ)。この本を購入すれば小野先生が側にいてアドバイスをしてくれるようなものです。多くの市民の関心事の、副反応と後遺症についても明瞭かつ簡明に書かれています。

コロナ後遺症について

海堂 ニュースでは、人によって言うことがバラバラで、恐怖心をあおる部分がある。この本が素晴らしいのは、倦怠感と呼吸困難という項の最後に「病態の全体像を理解するにはまだ研究が必要です」とある。今の時点で分かっていることを記述した上で、まだよくわかっていないところもきちんと書いている。メディア報道や、ある傾向の医師にはそうした誠実さがない。「ワクチンを打ちさえすればコロナは終息する」などと言い続けた医師たちは、前言を訂正も撤回もせず遁走しています。その意味で最先端の研究分野で、多くのコロナの患者さんの情報を得ている小野先生が統括して書かれたのは、すごく貴重ですが、相当ご苦労なさったんじゃないですか。

小野 文献を批判的に考えた上で書く、という研究者が教科書を書くときの手法を使い、かつ誰が読んでも分かりやすくすることを目指しました。例えば後遺症について英国は研究が進んではいるものの、‘Long Covid’ (ロングコビット、註:コロナ後遺症の英語名)で括られています。こういう大雑把なくくりだと、1つ1つ実際に存在する病態がごっちゃになる。「ロングコビット」いう名称は病理、病態について、ほぼ何も言ってないに等しいぐらいです。でも新型コロナウイルスはかかってもそこでおしまいではない、と伝える必要があった。そうなると、やはり、英語で「ロングコビット」、日本語で「コロナ後遺症」となる。こういう括り方をした以上、(後遺症は)非常に曖昧な概念にはなってしまうのですが,その中で、大事な点が伝えられるよう努力して書きました。

海堂 英国は、当初の方向性は失敗したけれど、データを集積したことで間違いに気づき、方向転換した。一方日本は行き当たりばったりで非論理的。しかもデータが集積されていない部分があり、アドバイザリーボードの議事録も、初期の頃は黒塗りで開示されたり、医学的にはめちゃくちゃなことをされたり…こういうことはどうやって是正したらいいのでしょうか。

新型コロナ対応での情報公開・透明性の重要性

小野 それは英国では問題にならない、日本特有の問題ですね。最初に英国の対応が遅れた理由は、EU離脱直後で政治的に混乱した時期だったせいもあります。ただその後の対応は論理的です。目的をはっきりさせてデータに基づいて判断していく。すると具体的なアクションが、何らかの仕組みを作っていく。時間が経つにつれ仕組みが整備されていく社会で、ある時点からは自動運転になる。博識なリーダーが目を光らせ状況をコントロールするのではなく、仕組みさえ作れば多数の人がデータを取り分析し、それに従って意思決定をしていくので、誰がやってもできるシステムになっています。そのためには情報開示が必須です。黒塗りをしたのでは進みません。データを見て現実を見て、何をすべきかを考え、自分のアクションがどうだったか、データでフィードバックを得る。多数の人が情報共有していくことが大事ですが、日本社会ではそれができてないセクターがあったようです。

海堂 小野先生がおっしゃることは、まさに医学の基本です。データを開示し、それにより議論をして方向性を決める。データをフィードバックし、方向性が正しいかどうか検証する。これは医療現場では割ときちんとなされていますが、一般社会への普及の段になると、雑音や不協和音が起こり、議論もなく情報開示もなくなる。日本では、それができない政治や行政が仕組みを作るのでダメダメなんですけど。

北里柴三郎・森鴎外から日本の感染対策の歴史を振り返る

小野 海堂さんの北里柴三郎と森鴎外の伝記(『よみがえる天才7 北里柴三郎』『よみがえる天才8 森鷗外』(共にちくまプリマー新書))を読むと、森鴎外や鴎外周辺の組織的な対応はデジャブのようです。私も2009年まで日本にいて、日本のいわゆるビューロクラティックな対応を思い出します。データや現実社会とは何も関係なく、自分たちで決めたルールに対し異常なほど忠実です。多分、自分たちで決めたルールの中から外れることを恐れるあまり、データを見ることすら嫌になってしまうんだろうなと。今回、海堂さんの北里柴三郎と森鴎外の物語(『奏鳴曲――北里と鷗外』(文藝春秋))を読んで、今見られる問題はそこまで遡って考えるべきなんだと思いました。

海堂 鴎外は陸軍と東大の代表で、その流れが官僚システムの形で連綿と残されている。私はかつてオートプシーイメージング(Ai=死亡時画像診断)という概念を提唱し、社会導入しようとしたのですが、厚労省や警察庁が介入して声がまっすぐ届かなかった。単純に、遺体を画像診断すれば、色々な情報も早く得られるというだけのことなのに、社会導入はすごく大変でした。理由は、やはりデータを開示しない不透明さにある。コロナ問題でも結局、日本が何をやったのか振り返れない状態になっています。初期の頃の対応はどうだったのか、何が問題だったのかわからず、収まったからいいじゃないかと放置している。実を言うと私には、コロナの流行が始まった時から、そうなるのではないか、という予見がありました。2009年に豚インフルエンザが流行した時、政府の対応や厚労省の対応があまりにひどく、『ナニワ・モンスター』(新潮文庫)という小説に書いたんです。するとコロナが流行り始めた頃、『ナニワ・モンスター』は予言の書だと言われた(笑)。それは過大評価で、当時の状況を忠実にスケッチしただけです。あれから10年以上、何も進歩していないどころか同じミスを繰り返している。それは情報をちゃんと公開せず議論もせず、検証しなかったせいです。「(英国では)誰もができるシステムを作ろうとして、情報開示し議論している」という小野先生がおっしゃるところが、日本では組織を作るところからして欠落している。だからそういった仕組みを作らなければいけないと、ずっと感じていました。英国の対応が日本と違う、公的機関の対応の仕方が、日本の公的機関の対応の仕方と異なっているのは何故なのでしょうか。

小野 私が思い当たるのは、英国の文化として、議論の記録が全て残るということです。。例えば、あの時、データは取りませんでしたとか、この場面でこういうことは流しときましたというと、そのこと自体が記録され残るのです。英国議会には調査権限があり、ことあるごとに調査委員会を立ち上げ、延々と調査し続ける。調査は、証人を呼び、話を聞いてレポートをまとめます。そのレポートを真面目に読んで、問題を解決する。無視をすると、無視をしたと記載され責任が明確化する。なんとなくやり過ごす、ということができない社会構造になっているんです。

海堂 「モリカケサクラ」で公文書を毀棄した日本政府とは対照的ですね。米国でも秘密文書は、20年経ったら必ず公開する形で情報公開が確保され、過去の問題が再検証されますが、日本はそれが全くできてない。公文書を廃棄したり国会で嘘をついたり、が容認される社会は未熟で稚拙です。一方、コロナ禍は、ある意味、画期的な出来事で、世界の人々が同時体験した「最悪」で、おそらく史上初です。第二次世界大戦のように多くの人が影響を被ったものはありますが、南半球では影響を受ない国もあった。コロナは全世界人が語れる共通の話題です。その時の日本の対応が極めて不透明なのに、「日本モデルは素晴らしい」と国内だけで言っているのは、内弁慶ここに極まれり、実に恥ずかしい限りです。

日本のコロナ対策は市民と医療現場に押し付けられた

小野 おっしゃる通りです。対応が素晴らしいというのなら言語化すべきです。けれども肝心なそこができていない。結局、日本では言語化された対応がなかったのかもしれない。すると誰が頑張ったのか。私は市井の人々に無理をさせすぎたのだ、と感じています。日本人は真面目でウイルスの感染予防というと、マスクをして言われたことを守る。でも欧米はそうでもない国が多い。日本のやり方が素晴らしかったというなら、努力した市井の人々に報いなければいけないんじゃないのかな。そういう話も出てこないあたりは、かなり欺瞞的だな、と思います。

海堂 日本人は、皆、真面目にマスクをし、外出を自粛したのは大きかったでしょうね。一方で、実際にコロナ対応した医療現場が大変だったことは、私も直接、あちこちの病院で見聞きしました。昨日も神奈川の中核病院で講演をしたんですが、その病院の院長は、「これから第7波が来るので、明日から臨戦体制に入る」とおっしゃっていました。「医療現場はタイトにやっているけれど、社会はゆるゆるの感じがしてちょっと怖い」ともおっしゃっていたのが印象的でした。とはいえこれまでやってきた情報をきちんと開示してないので、少し時間が経つと、一般人はみんな忘れてしまう、ということでしょう。ですから、きちんと記録を残すシステムを作らなければいけない。医学、医療分野では、学会内で研究を発表し蓄積されるので、社会システムとしても同じようなものがないといけないんじゃないか、と思います。

小野 日本の医療機関はコロナで閉鎖するところまで至っていません。英国はコロナのため医療が止まった国です。そのためどれだけ他の医療分野が被害を受けたかは、想像を絶するものがあります。日本は、なんとか回しながらやってきたのに、その努力が言語化されていない。どういう状態だったか記録し、どうやって持続可能なものにしていけるかという議論は大事です。

* 本対談は、2022年7月14日にB&Bでオンラインでなされたお二人の対談に加筆修正を加えたものです。

(後編に続く)

〔告知情報〕9月16日(金)に、熊本大学にて、小野昌弘さんと海堂尊さんの対談講演会が予定されています(後日、YouTubeで動画配信予定)。

2022年8月31日更新

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小野 昌弘(おの まさひろ)

小野 昌弘

1975年生まれ。免疫学者。インペリアル・カレッジ・ロンドンでReader in Immunology(准教授)およびPrincipal Investigator(主任研究者)として、がん・新型コロナなどの感染症・自己免疫病におけるT細胞のはたらきを研究。学部の感染症・免疫コースで教鞭もとる。熊本大学でも客員准教授として研究を展開。99年に京都大学医学部卒業。皮膚科研修後、2006年に京都大学大学院医学研究科にて博士号取得。07年より同大学助教。09年からユニバーシティ・カレッジ・ロンドンでHFSPフェローとして研究。13年にBBSRC David Phillips Fellowshipを受賞し、同大学で研究室を開く。15年にインペリアル・カレッジ・ロンドンに移籍。『コロナ後の世界——今この地点から考える』(筑摩書房)、『現代用語の基礎知識』(2020年版、2021年版、自由国民社)などに寄稿。

 

海堂 尊(かいどう たける)

海堂 尊

1961年千葉県生まれ。外科医・病理医としての経験を生かした医療現場のリアリティあふれる描写で現実社会に起こっている問題を衝くアクチュアルなフィクション作品を発表し続けている。デビュー作『チーム・バチスタの栄光』(宝島社)をはじめ、「桜宮サーガ」と呼ばれる同シリーズは累計1千万部を超え、映像化作品多数。Ai(オートプシー・イメージング=死亡時画像診断)の概念提唱者で関連著作に『死因不明社会2018』(講談社)がある。近刊書に『コロナ黙示録』『コロナ狂騒録』(ともに宝島社)、『奏鳴曲 北里と鷗外』(文藝春秋)、『北里柴三郎 よみがえる天才7』(ちくまプリマー新書)。

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