ちくまプリマー新書

あなたは北里柴三郎を知っていますか?

海堂尊『よみがえる天才7 北里柴三郎』新刊エッセイ

日本を代表する世界的医学者の決定版伝記『よみがえる天才7 北里柴三郎』に寄せて、著者の海堂尊さんが、執筆の経緯も含めたエッセイをPR誌「ちくま」にお書きくださいました。「動機は不純、中身は至純」…そのココロは?

 表題のように問われたら、三年前の私なら曖昧な微笑を浮かべて、「ええ、まあ、少しくらいなら」と答えていただろう。
 現代は医史学の教育がないに等しい。たとえばペストについては内科学で症状と治療法を、細菌学で菌の種類と特性を学ぶが、過去のペストの惨状は教科書のエピソードコラムで接する程度で系統的に学ばず、発見者の記載もない。
 だから執筆前の私の、北里柴三郎博士に関しての基礎知識は、「破傷風の純培養を成功させ、抗毒素を見出し免疫学、血清学の祖となった」程度だった。お恥ずかしい限りである。
 ところがある日、北里博士が次の千円札の肖像になる、というニュースが流れた。チャンスである。北里博士の物語を書けば、きっと新千円札と北里本を交換する人々が大勢現れるに違いない、と山っ気たっぷりで資料集めを始めた。『ポーラースター』というキューバ革命のゲバラ&カストロ四部作の執筆で参考資料の山と格闘していた私は、近現代のラテンアメリカと比べれば日本の衛生学史なんて楽勝だ、と高をくくっていた。
 だがその考えは甘かったと、たちまち思い知らされた。
 2019年11月、亜熱帯の島、小笠原で読書三昧し、5冊の北里関連本を一気に読了した私は青ざめた。北里博士の輪郭が、全然見えてこないのである。だが医師で医学の素養がある私でさえこうならば、一般市民はもっとわからないだろう。
 これはますますチャンスだ、と天邪鬼の私は考えた。
 急がば回れ、私は明治の史書の濫読に走った。明治維新から日清・日露戦争まで手を伸ばし、後藤新平や森林太郎(鷗外)の衛生学の業績を知る。彼らは北里博士と関わりが深いのに、そのあたりは既刊本であまり掘り下げられていない。これを物語にすればいける、と思い小説の執筆を始めたら鷗外パートが膨れ上がっていく。やむなく枠組を「北里vs鷗外」という「好敵手物語」に変えた。初稿を書き上げ一年余、新たな資料が出てくる度に全面的に書き直し、不要部分をそぎ落とす作業を繰り返したら分量が三分の一になった。削った中には興味深い事案がたくさんあり、未練が残った。そこに筑摩の編集さんからお手紙が届いた。「新書で北里の評伝を書いてほしい」という、古式ゆかしき丁寧な執筆依頼だった。ラッキー。
 それなら小説で切り落とした部分が蘇る。しかも依頼の動機が「北里がお札になるので」とは、私と呼吸がぴったりである。
 先約の小説を先に出すのでいいなら受ける、と伝えると担当編集さんは同意したが、そこで満足しない貪欲な私である。
「その作品はダブルキャストなんで、森鷗外もやりたいんすけど……」と私が言うと、担当さんは驚いたような顔をした。
 こうして小説『奏鳴曲 北里と鷗外』(文藝春秋)とプリマー新書「よみがえる天才」『7 北里柴三郎』『8 森鷗外』の三冊を同時進行で執筆し、二月から三カ月連続刊行となった。
 この三部作は「動機は不純、中身は至純」なのである。
 三部作を書き上げたら、北里博士の評伝がわかりにくい理由がわかった。博士の評伝はお弟子さんの見聞なので悪口は基本、ない。最たるものが結核治療病院「土筆ヶ岡(つくしがおか)養生園」で、そこでは治療薬に恩師ローベルト・コッホが開発したツベルクリンが用いられた。だがその時には治療効果がないことが判明していた。北里博士も当然知っていたはずだが、治療を続けた。
 北里関連書でそのことに触れられることは少ない。
 医学は誤謬(ごびゅう)という瓦礫(がれき)の積み重ねの上に成り立つものだ。だから事実を事実として認識し、中立的に伝えることで後世の医学の進歩に寄与したいと願う。私はこの評伝で、北里博士の光と影を描けたと確信している。ただし評伝の常でそれは現時点で、の話であり今後新たな資料が発見されたら、この評伝も修正が必要になるだろう。そんな私に、過去の北里博士の誤謬を責めるつもりなど毛頭ないことはご理解いただきたいという、先達の巨人に対する不遜な評伝を書いてしまった後生の一学徒としての言い訳で、本稿を終えたいと思う。 

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