はじめに
日朝国交促進国民協会は2000年7月3日に設立された。村山富市会長、明石康、隅谷三喜男、三木睦子副会長を中心とする協会は「2001年のうちに、おそくとも2002年のワールドカップ開催までに」日朝国交樹立を実現するという目標を掲げた。そして2002年9月17日、小泉純一郎首相が訪朝し、金正日委員長と会談し、日朝平壌宣言を発表した。日朝国交樹立は目前にせまった、まさに協会の希望がかなうと思われた瞬間だった。
だが、遺憾ながら、その年のうちに希望はこなごなになり、日朝交渉は決裂してしまったのである。以来20年、国民協会は態勢を挽回すべく、努力をつづけてきたが、事態を変えることはできなかった。村山会長は大分の地に御健在であるが、隅谷氏は2003年に、三木氏は2011年に亡くなられた。2020年を迎えた国民協会は私たちの敗北を認め、その歴史をふりかえり、今後進むべき道を考えることをめざすことにした。それは私たちの道であるだけではない。日本国民の道でもあるはずである。
私たちは、同憂の人々によびかけて、2021年春から、2002年を問い直し、以来20年の交渉と活動の歴史を検証する企て、日朝国交交渉検証会議を開始した。ただちに、私たちの検証は、日朝国交交渉が始まった1991年にさかのぼらなければならないことに気づかされた。私たちは、日本政府が30年間日朝国交交渉をつづけてきて、日朝国交樹立をなしとげることに失敗したことを確認し、その原因を究明しようとした。この過去の交渉史に登場した田中均、山崎拓、金丸信吾、城島光力、首藤信彦、有田芳生、槙田邦彦、美根慶樹、蓮池透、吉田猛、小坂浩彰の各氏、この歴史を取材報道した福澤真由美、北野隆一、青木理の各氏からの聞き取りがおこなわれた。
1年半の検証会議の成果をふまえ、国民協会事務局長で、検証会議代表の和田春樹が日朝国交交渉30年の報告書を執筆した。そして検証会議参加者10人の委員がその原稿を校閲した。本書が日本国民の新たな出発、日本政府のこれからの努力にいささかの貢献をなしうれば、これにすぐる喜びはない。
なおこの過程の主役であった小泉純一郎、安倍晋三元首相からは聞き取りはかなわなかった。安倍氏は本書のゲラが出た直後の7月8日、一人の青年に手製の銃で撃たれ、死去された。本書を読んでいただけなかったのは、残念である。