ちくま新書

なぜ難渋するのか? 北朝鮮と国交樹立できない理由
『日朝交渉30年史』「はじめに」より

いまや完全な断絶状態にある日朝関係。歴代の首相や外交官が試みた三十年にわたる交渉は、なぜ決裂しつづけるのでしょうか。朝鮮現代史を専門とし、日朝国交交渉検証会議の代表を務める和田春樹さんが、難航を極める日朝交渉30年の歴史を、膨大な資料と交渉の鍵を握った当事者たちへの貴重な聞き取りをもとに徹底検証した一冊『日朝交渉30年史』より、「はじめに」を公開します。

はじめに

 日朝国交促進国民協会は2000年7月3日に設立された。村山富市会長、明石康、隅谷三喜男、三木睦子副会長を中心とする協会は「2001年のうちに、おそくとも2002年のワールドカップ開催までに」日朝国交樹立を実現するという目標を掲げた。そして2002年9月17日、小泉純一郎首相が訪朝し、金正日委員長と会談し、日朝平壌宣言を発表した。日朝国交樹立は目前にせまった、まさに協会の希望がかなうと思われた瞬間だった。


 だが、遺憾ながら、その年のうちに希望はこなごなになり、日朝交渉は決裂してしまったのである。以来20年、国民協会は態勢を挽回すべく、努力をつづけてきたが、事態を変えることはできなかった。村山会長は大分の地に御健在であるが、隅谷氏は2003年に、三木氏は2011年に亡くなられた。2020年を迎えた国民協会は私たちの敗北を認め、その歴史をふりかえり、今後進むべき道を考えることをめざすことにした。それは私たちの道であるだけではない。日本国民の道でもあるはずである。


 私たちは、同憂の人々によびかけて、2021年春から、2002年を問い直し、以来20年の交渉と活動の歴史を検証する企て、日朝国交交渉検証会議を開始した。ただちに、私たちの検証は、日朝国交交渉が始まった1991年にさかのぼらなければならないことに気づかされた。私たちは、日本政府が30年間日朝国交交渉をつづけてきて、日朝国交樹立をなしとげることに失敗したことを確認し、その原因を究明しようとした。この過去の交渉史に登場した田中均、山崎拓、金丸信吾、城島光力、首藤信彦、有田芳生、槙田邦彦、美根慶樹、蓮池透、吉田猛、小坂浩彰の各氏、この歴史を取材報道した福澤真由美、北野隆一、青木理の各氏からの聞き取りがおこなわれた。


 1年半の検証会議の成果をふまえ、国民協会事務局長で、検証会議代表の和田春樹が日朝国交交渉30年の報告書を執筆した。そして検証会議参加者10人の委員がその原稿を校閲した。本書が日本国民の新たな出発、日本政府のこれからの努力にいささかの貢献をなしうれば、これにすぐる喜びはない。


 なおこの過程の主役であった小泉純一郎、安倍晋三元首相からは聞き取りはかなわなかった。安倍氏は本書のゲラが出た直後の7月8日、一人の青年に手製の銃で撃たれ、死去された。本書を読んでいただけなかったのは、残念である。


 

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日朝交渉30年史 (ちくま新書 1680)

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