ちくまプリマー新書

自分の可能性を拓くために、長く生きる
『君たちが生き延びるために 高校生との22の対話』より本文を一部公開

「努力すれば夢は叶う」なんて言葉がありますが、それは「運」のよかった成功者だけに当てはまることです。だから、あなたも「運」に巡り合うまで、まずは「生存」することを考えましょう。直木賞作家が今を生きる若者たちへ贈る、渾身のメッセージ『君たちが生き延びるために』より本文の一部を公開します!

メッセージ

 若い人たちへ、人生の先輩としてメッセージを送る、というのは、お引き受けしたけれど、考えるほど、難しいなぁ、と感じています。

 そうしたメッセージは、たくさん存在していますし、わざわざ時間を作って読んでもらうほどのことを語れるだろうか、と気おくれします。

 高校生だった頃の自分を、思い出してみました。大人たちのどんな話を聞いていただろう。いえ、どんな話なら聞いてみたかっただろう、かと。

 いまの自分の根っこの部分は、すでに高校生の頃にでき上がっていた、と思います。

 以後、数十年の経験を重ね、たくさん傷つき、たくさん恥もかいて、それなりに分別もつき、生きてゆく知恵も身につけてきたけれど……ものの考え方や感じ方、どんなことにより重い価値を置くのかという価値観は、高校生当時からさほど変化していません。

 社会にすれていない分、大人の欺瞞や不正、世界の不条理な出来事に対して、まっとうな怒りを抱き、大人たちの物言いには、厳しい批評眼を持っていたと思います。

 高校生の頃の自分が、人の言葉に対して、一番厳しかったかもしれません。

 だから、あの頃の自分に受け入れられるような話をしようと思いました。

ともかくまず生き延びよう

 伝えたいことを、三つにしぼりました。ここではそのうちの一つをお話します。

 前提として、皆さんに、大げさな言葉を使いますが、できるだけ長く生き延びてほしいと思っています。「生存」という言葉を使ってもいい。これから、さらに大きな変化が予想される世界において、できるだけ長く「生存」してほしいのです。

 もしかしたら夢の叶え方とか、夢のために今後何をなすべきか、といった内容を期待されていたかもしれません。

 けれど、夢を叶えるには、当たり前ですが、まず生きていなければなりません。

 そして、夢が叶うという点については、個人の努力以上に、「運」というものが、大きな役割を果たすということを、わたしは人生から学びました。

大学時代に、演劇のサークルを立ち上げ、一緒に活動した親友たちを、三人亡くしています。

 一人は、わたしが作・演出を担当した舞台の主演俳優で、二十代の若さで亡くなりました。テレビのディレクターをしており、将来は一緒に映画を作る夢を語っていたのですが、過労が原因と思われる突然死でした。

 二人目は、やはりわたしの作・演出の舞台の主演俳優です。とてもセンスのある知的な青年でした。テレビ局のアナウンサーになり、オリンピックをはじめスポーツ中継を任されることが多く、一般の視聴者が、ああ彼か……と、きっと目にしたことのある看板アナウンサーになりました。重要なポストに就き、これからさらに活躍が期待されていたとき、がんで亡くなりました。

 三人目は、舞台の音効スタッフをしたり、アドバイザーを務めてくれたりなど、わたしの精神的な支えであった友人でした。大学教授となり、野球部の部長として教え子たちを神宮球場の全国大会に連れて行くなどしていましたが、これからというとき、やはりがんで亡くなりました。

 わたしは、あきらめずに努力し続ければ、夢はきっと叶う、という言葉を、若い頃から信じていませんでした。

 それは、夢が叶った、とても幸運な人が、口にする言葉だったからです。

 夢を叶えるために努力をしたくても、努力することさえあきらめざるを得ない境遇に置かれた人は、実際には数多くいます。

 家庭環境や経済的な問題がネックになる人、思わぬ事故にあう人、難しい病気にかかった人、地震や水害など災害に見舞われた人、いままさにコロナ禍で競技大会が中止になるなど、活躍する機会そのものを奪われた人もいます。

 わたしが作家になり、皆さんに言葉を伝えられる立場にいる、ということにおいて、わたし自身の努力や才能といったものの影響は、わたしが恵まれた「運」と、人との「出会い」より大きくはありません。

 ですから、皆さんに、よりよい「運」と、素敵な「出会い」に恵まれる可能性を広げるためにも、できるだけ長く生き延びてほしいのです。

からだの内側の細胞を意識しよう

 そのために、まず一つ目です。

 人間は、細胞によって構成されているシンプルな生き物だと、意識してください。

 わたしたちは、脳がほかの生き物に比べて格段に発達し、心というものも持ったので、無意識のうちにも、ほかの生き物よりすぐれた、特別な存在のように感じています。

 けれど、わたしたちの生命を構成しているものは、ほかの生き物たちと変わらない、一つ一つの細胞です。

 心とは、実は脳の働きです。

 脳の細胞一つ一つの働きがつながり合うことで、勉学やスポーツ活動における成果も、音楽や絵などの文化活動における能力も、日々の悩みや不安も、恋のときめきや友情の喜びも、生み出されています。

 ですから、からだと心を作っている細胞一つ一つを、十分に力を発揮できる状態にすることが、あなたの能力や魅力をアップさせ、望みを叶える道につながってゆきます。

 植物は、太陽の光と水を得て、また夜は休息して十分に呼吸し、土に含まれる栄養で満たされれば、つやつやとした美しい花を咲かせたり、豊かな実をつけたりします。

 人のからだを構成している細胞も同じです。

 太陽の光を浴び、清浄な水とバランスのとれた食事を摂り、十分な休息を持てば、各細胞が活性化して、生命力はアップし、外見も内面も美しくなり、ここ一番で力が発揮でき、長く健康でもいられる。

 わたしは、小説の取材で、複数の医療従事者や、生物学者の方と、お話しする機会があり、多くのことを学びました。

 たとえば、がん細胞というのは、ウイルスのように外部から侵入する異物ではなく、わたしたちのからだを構成している細胞が、肉体的または精神的なストレスによって、あるいは細胞が分裂して増えてゆくときのミスによって、悪性の細胞に変化したものです。

 人の体内では、つねに悪性の細胞が生まれているそうです。それらを攻撃して、消滅させるのが、やはり人の体内にある免疫系の細胞です。免疫系の細胞が、適切に働くことで、人は健康でいられます。

 ただ、免疫系の細胞にも弱点があります。睡眠不足やバランスの悪い食事の摂取といった肉体的な、また精神的なストレスです。

 勉強や部活での成果、人間関係や健康面で、うまくいってないなぁ、と感じることがあれば―睡眠は十分かどうか、お菓子や甘味料の入った飲料水やファーストフードなどで空腹を満たしていないか……つまり、自分の細胞を傷つけるようなことをしていないか、ちゃんと活性化できているかどうか、検証してみてください。

 また、家族や友人や知り合いに、ため息が最近多いな、ちょっと無理して頑張り過ぎだな、と思える人がいたら――しっかり休むように言ってあげてください。

 検査による病気の早期発見が大切だと言われます。でも、早期発見よりもっと大切なのは、はなから病気にならないことです。

 自分の細胞一つ一つの健康を意識し、免疫細胞も元気にしておくように努めること。

 これは、新型コロナ・ウイルスなどの、外部のウイルスに対しても、有効な対処法です。

 人生は決して長いわけではありません。長くするものなのです。



 

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