ワッツとの出会い
私(辻)がダンカン・ワッツを最初に実際に目にしたのは、1999年1月14日(木)、留学先のカリフォルニア大学アーバイン校でのコロキウムだった。そのコロキウムは、共訳者の友知氏が所属していた数理行動科学研究所と、私が所属していた社会ネットワーク・プログラムの共催だったが、教員の重複は多くても両コースが一つのコロキウムを共催するということは少なく、「何かがある」と直観させるものだった。
私は当時、博士論文の執筆中で、論文執筆中の半年間、1日半の周期で生活サイクルが動いており、前の1日半と次の1日半を分けるのが、オフィスのソファでの1時間ないし2時間程度の睡眠だった。半年でデータ分析と論文執筆をやると心に決めたものだから、ともかく寸暇を惜しんで勉強していたのだ。指導教授がやっていたセミナーには強制的に出さされていたが、それ以外は、常にコーヒーを片手に、黙々と論文を書いていたのだった。当時、コロキウムは、ほぼ毎週のように開かれていたが、私は、時間がなくてほとんど参加しなかった。しかし、このコロキウムは、わざわざ共催されるほどなのだから、ともかく行ってみなければと思ったのだった。
午後4時、SSPA2112教室というコロキウム用の部屋で、一人のスノビッシュで挫折を知らなさそうな男が紹介された。この本を訳すまでは、彼の国籍は知らなかったが、(あまりちゃんとは覚えてはいないのだが)オーストラリア訛りも気にならなかったし、東海岸からやってきた(もちろん、彼の当時の所属は、サンタフェ研究所であり、むしろ西よりではあるのだが、)スマートな男という印象だった。
ワッツの話が始まった。彼の話は、その半年ほど前にネイチャー誌に掲載されたストロガッツとの共著論文にあるモデル、本書で言えばベータモデルの紹介に近い内容のものだった。私はそれまで、その論文については一切知らず、これが本当に最初だった。彼が、マッキントッシュのコンピュータでシミュレーションを走らせながら、手がかりのない他者同士でも距離が近いということを、たった三つほどのパラメータしかない簡単なモデルで見事に示したことは、私に非常に大きな衝撃を与えた。「ついに、この男がスモールワールド問題を解決した! この男が、スモールワールド問題のケプラーになったのだ!」と。そして、修士論文を書いていた頃に読んだことのある科学哲学者ハンソンの著書『科学的発見のパターン』にある一節が頭をよぎった。「ケプラーが遂に〔火星の〕楕円軌道を発見したとき、創造的思想家としての彼の仕事は事実上終わったのである。そのあとでは、数学者なら誰でも、そこからティコ〔・ブラーエ〕のデータ表にのっている以上にはるかに豊富な結果を演繹することができたはずである。ケプラーの着想を採用し、それを他の惑星にも試みてみることには何の才能もいらなかった」というものだ。この男は、若くして偉業を成し遂げたのだ。
話が終わると、矢継ぎ早に質問が浴びせられた。反応は三つに分かれていたように記憶している。一つは、そのモデルの意義を汲み取って称賛する者、もう一つは、できるだけ冷静に論旨を理解しようとする者、最後に、理由はともあれ強い拒否反応を示す者だった。私には、拒否反応を示す人たちは、ややオーバー・リアクションだと思えた。「してやられた!」という思いが嫉妬に変わったような反応とでも言えばよいだろうか。あるいは、ワッツ自身が本書で書いているように、物理学者がやってきて、崇高なフィールドを荒らされた憤りとでも言うのだろうか。しかし、この際、独断で言い切ってしまおう。やはり彼の理論は、スモールワールド理論にとって、ブレークスルーだったのだ。
ワッツ以降の大規模ネットワーク研究と将来の展望
98年のワッツとストロガッツの論文以降、社会ネットワークの研究の中にも大きな変化が現れている。従来の閉じた小集団に関する研究から、より大きな社会全体におけるネットワークの研究が盛んになってきたからだ。本書や、本書に先立って翻訳されたバラバシの『新ネットワーク思考』などの大規模ネットワーク研究は、その一例である。また、研究者だけでなく、一般の人々も、大規模ネットワークに関する関心を高めている。たとえば、次々と新種が出回るコンピュータウィルスは、人々に自分が誰(どの組織)から知られているのかについての意識を高めている。また、本書にも記述のあるエボラ出血熱や、2003年冬のSARS(重症急性呼吸器症候群)の流行、2004年冬の鳥インフルエンザの騒動に見られるように、世界という巨大でしかもリアルな空間を震撼させる疫病も、相次いで話題に上った。
2000年代最初の数年にかけては、ワッツとストロガッツのスモールワールド・ネットワーク理論とバラバシのスケールフリー・ネットワーク理論が論陣を張っていた。その後、スモールワールドとスケールフリーに限らない他の複雑ネットワークのバリエーションが追究されたり、物理学、情報科学、生物学、社会学など広範囲にわたる研究領域で、当該領域で扱うさまざまなネットワークがどのような構造をしているのかが検討されたりした。このような展開は、日本において出版された増田直紀・今野紀雄による2冊の書籍の内容の変化からも読み取れる。『複雑ネットワークの科学』(2005)では、ワッツらとバラバシらの両陣営の理論が並行して紹介されている。それが『複雑ネットワーク』(2010)になると、ワッツらやバラバシらの手によるものではない多様な内容が紹介されるようになっているのである。また、いつしかこういったネットワークを扱う科学を「ネットワーク科学」と総称することも定着してきた。
さらに、関連する別の展開も見逃せない。それは「ビッグデータ」を扱うさまざまな技術の大きな発展である。スモールワールド・ネットワークにせよスケールフリー・ネットワークにせよ、そのネットワーク構造を解明するためには多くの点と線からなる非常に大きなネットワークを対象とする必要が生じた。ビッグデータを扱う技術の発展は、ネットワーク科学の発展に大いに寄与したことは間違いない。
日本においては、このような流れに沿うように二つの主だった研究グループが形成された。一つは、「情報処理学会」傘下の「ネットワーク生態学研究会」(2005年設立)であり、もう一つは、「日本ソフトウェア科学会」傘下の「ネットワークが創発する知能研究会」(2004年設立)である。われわれ訳者も、前者に友知がスタッフとして、後者に辻がプログラム委員として参画している。前者では、「ネットワークを流れる媒体や構成要素の違いに囚われず、そのトポロジカルな性質と通信効率や頑健性などとの関係を議論することや、さらに社会システムとしての望ましい未来を探ること」を主旨としている。一方、後者では、「ネットワークダイナミクスに着目し、その特徴や構造発生のしくみを解き明かすとともに、スモールワールドなど様々なネットワークの特徴を積極的に工学的に利用するための方法論を確立すること」を主旨としている。これらの研究会は共通のメンバーを含みながらも活発な活動を続けており、それぞれが10回を越えるシンポジウムや研究会を持ち続けている。
このような急激に展開するネットワーク科学に対して、足下から見つめ直す動きもあった。一つは2007年3月に「ネットワーク生態学研究会」の第3回シンポジウムの際に行われたパネルディスカッション「スモールワールド実験の再考」であった。これは、訳者の友知が発案したもので、ミルグラムのスモールワールド実験が提起した問題や、実験自体に含まれている問題点について整理し、人間のネットワーク構造やナビゲーション問題について数理社会学者・情報工学者の視点から議論を行うことを主旨としていた。友知は、クラインフェルドが提起した問題(第5章参照)を含めて、検討すべき問題群を整理した。辻もパネラーとして参加し、クラスタリング係数や最短距離やスケールフリー性によって矮小化されたスモールワールド問題を見直す必要があることや、それぞれの問題にとって適切なモデリングを試みることを提案した。また、同じ月の数理社会学会大会では、辻が企画したシンポジウム「スモールワールド研究の社会学的再検討」も行われた。ここでは、社会学を専門としない研究者たちが作る社会に関するネットワーク・モデルが、社会学的に無意味なモデルになることがあることを例示して、無意味なモデルになってしまう要因と対策について考察・提案した。2010年頃までには、ネットワーク科学の一過性の熱風邪のような状態は沈静化して、社会学者はもとより情報科学の研究者たちも、社会ネットワーク分析やネットワーク科学に深く関心を寄せる核となる人々が残ってきた。2011年9月には、社会学から社会ネットワーク分析についてアプローチするメンバーが多い「数理社会学会」と「ネットワークが創発する知能研究会」との合同大会が行われたが、その際に企画されたシンポジウム「人間の行動モデル再考」では、数理社会学と情報科学・工学の研究者たちが、社会ネットワーク分析やネットワーク科学という範囲を越えて、より広範な「人間の行動」についてどのようなモデリングを目指すべきかについて、話題提供者とフロアの間で活発な議論が行われた。議論がかみ合わないところもあったが、そういうところも含めてお互いに、どのようなモデリングを目指すべきか、どのようなモデリングがそれぞれの領域で進められており評価されているのかを知り、考える機会となった。
さて、ここで最近の日本特有の動きについても述べておきたい。それは、2011年3月の東日本大震災を契機とするものである。社会ネットワーク分析や社会ネットワーク論、社会関係資本論などに関心を持っている社会科学の研究者たちは、現地に赴いて行政とともに、また地域コミュニティとともに復旧・復興計画を練っている。また、ネットワーク科学やインターネットの人間関係の構造などに関心を持っている情報科学の研究者たちは、やはり現地に赴いてインターネット(特に2000年代半ばから興隆してきたソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS))を利用した地域情報システムを構築したり、今後の防災のための新たな情報システムを構築したりしてきている。このような活動には、多かれ少なかれ社会ネットワーク分析や、ネットワーク科学の知見が活かされている。
このように、1998年にワッツとストロガッツが起こしたブレークスルーは、2000年代前半の理論的基盤を整備する状態、2000年代後半の反省を伴う発展期を経て、現在ではさまざまな場面で応用されたり、現実のシステムとして実装されたりする段階に入ってきているように思われる。いずれ、ネットワーク科学は陳腐化した技術になってしまうのかもしれない。しかしそれは、ネットワーク科学が不要になったということではなく、普遍性を持っていることを示すことになるだろう。