◆世界を司る【主神】/男神
ヒンドゥー教の三大主神の一人で、絶大な人気を誇る。その前身はヴェーダに遡り、「ルドラ」という神に起源を有する。ルドラは神と魔の両方の性質を持ち、光り輝き、必殺の弓矢を武器として持つとされた。シヴァは一般に破壊の神とされるが、信者には恵み深く、病などから救う。ヴェーダではそれほど重要な神ではなかったが、ヒンドゥー教に至って確固たる地位を得た。
◆屹立するリンガの正体
シヴァの代表的な神話として、三つの都を一本の矢で破壊した話がある。悪魔の三兄弟が支配する金、銀、鉄の都は無敵で、神々を苦しめた。そこで神々はシヴァに祈って助けを求めた。シヴァはブラフマー神を御者として戦車に乗り込み、一本の矢で三つの都市を貫いて破壊した。
シヴァは破壊の神であり、同時に子授けの神でもある。神話ではしばしばシヴァに子授けが祈願される。そのシンボルは「リンガ」と呼ばれる男性の生殖器である。リンガに関して、次のような神話がある。
ヴィシュヌ神が原初の大海にまどろんでいた。そこにブラフマー神がやってきて、怒りにかられてヴィシュヌを起こした。どちらが世界の主であるかについて、両神の間に終わることのない争いが生じた。二人が延々と言い争いを繰り広げているところに、輝かしい柱、リンガが現われた。そこには始まりも中間も終わりも見られない。ヴィシュヌとブラフマーはしばしその炎の柱に圧倒されていた。
やがて二人は、その柱の両端を確かめることにし、ヴィシュヌは猪の姿になって下に潜り、ブラフマーは白鳥の姿になって上方へと羽ばたいた。それぞれ下方と上方に進んでいったが、千年たっても、その両端を見極めることはできなかった。やがてあきらめた二人の神は、元いた場所に戻ってきた。
するとそこに、リンガの正体であるシヴァが現われた。ヴィシュヌとブラフマーは彼にうやうやしく敬礼し、シヴァこそが世界の始まりであり中間であり終わりである、ということで決着がついた。
リンガはヨーニの上に屹立する。ヨーニとは女陰のことである。ヨーニという土台の上に屹立するリンガ。すなわちわれわれは、シヴァの生殖器を女神の胎内から眺めていることになる。シヴァ信仰は女神信仰と切り離すことができない。シヴァにはパールヴァティー、ウマー、サティー、ドゥルガー、カーリーといった妃たちがいる。これらの女神は元来は独自の神格であったと考えられるが、シヴァの妃神として一体化していった。
◆シヴァの両目と世界の闇
シヴァは第三の目を額に持つ。この第三の目について、このような話がある。
シヴァはヒマーラヤ山で妻パールヴァティーとともに楽しく暮らしていた。あるときパールヴァティーはいたずら心を起こしてシヴァの両目を両手で隠した。すると世界の一切が闇に包まれた。しかしそれは長く続かず、闇は晴れた。シヴァの額に第三の目が開き、明るく輝いたのだ。しかし今度は、その第三の目から炎が噴き出した。パールヴァティーは恐れをなしてシヴァに祈った。すると炎は消え、森はもとの美しい姿をあらわした。シヴァの第三の目は明るいがその力は強大で、炎を噴く。しかし妻が悲しむので、シヴァがその炎を収めたのだった。
シヴァの両眼は太陽と月であるとも言われる。ここには、日本神話においてイザナキの両眼から太陽の女神アマテラスと月の神ツクヨミが生まれたことに通じるアイデアが見て取れる。
◆私たちは神の「内」にある
私たちはシヴァのリンガを包み込む妃神ヨーニ(女陰)の「内」にいるという。一方、ヴィシュヌに関する神話では、マールカンデーヤという聖仙がヴィシュヌの「体内」に入り、そこに世界そのものが展開されているのを見た。シヴァの神話でもヴィシュヌの神話でも、私たちは神の「内」にあるというのだ。
(参考文献;沖田瑞穂編訳『インド神話』岩波少年文庫、2020年)