単行本

ありとあらゆる「怒られ」の中に自分や知人の姿を見つける
『怒られの作法』書評

裏社会の最前線を渡り歩いてきた作家・編集者である草下シンヤさんが究極の「他人と向き合う技術」を明かす話題の書『怒られの作法 ―日本一トラブルに巻き込まれる編集者の人間関係術』。本書を、さまざまな「怒り」を浴びせられてきた経験を持つ作家の小林エリコさん(『この地獄を生きるのだ』ほか)に読み解いていただきました。(PR誌「ちくま」5月号より転載)

 ヤクザ、半グレ、特殊詐欺、売春、日雇い労働者。私は、そうした界隈のルポを読むのが大好きだ。社会の中心から追い出された人たちが編み出すサバイバルスキルには、いつも驚かされる。そんな人たちに作家として、また彩図社の書籍編集長として二〇年以上取材を続けてきたのが『怒られの作法』を書いた草下シンヤだ。

「怒られ」とはここ数年でSNS上に登場した言葉で、自分が怒られているのに、まるで他人事のように相手の怒りを受け流して怒りを「外在化」させるようなニュアンスがある。「日本一トラブルに巻き込まれる編集者」と自負する著者が体験した「怒られ」と、アンダーグラウンドではない場所で生きている私たちがふだん接する「怒られ」は全く別物で参考にならないと言われそうだが、そんなことはない。例として、私が体験した「怒られ」を紹介する。

 私は高校生のとき、駅ビルにある惣菜屋で販売員のアルバイトの面接を受けた。仕事内容の説明は受けたが時給を教えてもらえない。三〇分以上店長のどうでもいい世間話が続くので時給を尋ねたところ、烈火の如く怒り出し「そんなことを人に聞いてもいいと思っているのか! 君みたいな人間は将来ろくな大人にならない!」と、履歴書を机に打ち付け、涙目の私に罵声を浴びせ続けた。一週間後、ひどく怒鳴り散らした店長から採用の電話が来た。時給はなんと五〇〇円だった。当時の最低賃金以下だったので丁重にお断りした。

『怒られの作法』では「人はなぜ怒るのか」という章で「怒り」は三つのパターンに分けることができると示している。〈意思表示(反応としての怒り)〉は「傷ついた」「不快な気持ちになった」など、負の感情を相手に表すためのもの。〈自己防衛(怯えからの怒り)〉は自分の立場やプライドを守ること。〈目的達成(手段からの怒り)〉は怒鳴ったり凄んだりすることで気の弱い人や争う利がない人の思考を停止させ、交渉を有利に進めるもの。この三つの中だったら、惣菜屋の店長の「怒り」は〈目的達成(手段からの怒り)〉に当てはまる。最低賃金以下で働かせるのは違法だが、高校生だから少し脅かせばこちらの言うことを聞くと踏んだのだろう。

 私は現在カウンセリングに通っており、カウンセラーから怒りというのは傷ついた自分を守るものだと教えてもらった。本書でも触れられているが、確かにヤクザや半グレの人たちは貧困家庭で育ったり虐待を受けていたケースが多いし、SNS上で起きている炎上も「傷つけられた」という訴えからくるものばかりだ。

 私も一度、SNSで「ツイフェミ」認定され、ブログが炎上し、匿名掲示板やまとめサイトに載せられたことがあった。寄せられたリプライにできる限り返信したが、収まる気配がなく、酷くなる一方なので、最終的にTwitterアカウントとブログを削除した。

 草下はSNSでの人格攻撃や誹謗中傷には反応しないのが一番だと説く。それらの原因のほとんどは自分の中にはなく、叩いている相手の中にあるからだ。彼らの目的は、相手を落とすことで自分の立場を高めることにあり、弁明しようとしたところで、実は相手はどうでもいいと思っているのだ。目に余る場合はミュートするか「これ以上続けるならブロックします」とこちらの要求を伝えることを勧めている。

 このように「怒り」は負の側面が多いが、一方で究極的なコミュニケーションの一つでもあるという。自身が運営するYouTubeチャンネル「裏社会ジャーニー」で視聴者の元ヤクザから「事実と違う」とクレームをつけられるが、丁寧に話を聞くうちに意気投合し、最後には番組に出演してもらうことになった。元ヤクザの方もただ怒りたかったのではなく、真実を相手に知ってもらいたかったし、理解して欲しかったのだ。

 裏社会の人びととの付き合いのなかで、あるいはひとりの会社員として経験した「怒られ」を元に書かれた本書にはさまざまな「怒られ」のサンプルが載っており、その中に自分や知人の姿を見つけることができるだろう。

 誰かに酷く怒られたときは『怒られの作法』を手に取り、怒りの深淵にあるものを探りたい。




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裏社会の最前線を渡り歩いてきた作家・編集者が明かす
究極の「他人と向き合う技術」
 
草下シンヤ『怒られの作法

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