ちくま新書

B-29とは、どのような経験だったのだろうか
『B-29の昭和史――爆撃機と空襲をめぐる日本の近現代』はじめに

太平洋戦争中、頭上を飛ぶB-29を見て「美しい」という感想を残した人は少なくありません。模型や爆音レコードが販売されるなど、戦時下の“人気コンテンツ”となったB-29は、今も『火垂るの墓』などの作品を通して知られています。B-29と日本人の一筋縄ではいかない関係をひもとく『B-29の昭和史』から、「はじめに」を公開します。  

 先の戦争、すなわち一般に「太平洋戦争」といわれ、帝国日本の侵略的イデオロギーをむき出しとした呼称では「大東亜戦争」、そして近年用いられる、中国戦線もはじめとするアジア戦域も視野に入れた名称としては「アジア太平洋戦争」と呼ばれる戦争が終わって、もうすぐ78年が経とうとしている。100年には、あと四半世紀もない。その戦争について、それだけの時を経た私たちの社会は、いまどのような記憶を保っているのだろうか。
 おそらく広く共有されているのは、戦争末期の数カ月間におこなわれた日本本土空襲についてのものだろう。とりわけその中でも、マリアナ諸島を基地としたボーイングB-29スーパーフォートレスによる一連の攻撃は、その回数の多さと罹災地域が広く分布することもあってか、その爆撃機の名前と共に、根強い印象を残しているように思われる。
 本書は、そのB-29について一つの体験としてとらえて、それが日本人にとってどういうものであったかという面から書くものである。
 第一部では、アメリカにおける戦略爆撃思想の成り立ちと、B-29の登場までを扱う。
 戦略爆撃思想については、よく取り上げられるイタリア軍人のドゥーエではなく、アメリカ空軍の父ともいわれるウィリアム・ミッチェルについて述べた。間接的な影響よりも、直接的な系譜の方が大切ではないかと思うからである。そこからは、ミッチェル以前にも無差別爆撃を是とする思想のあったことがうかがえるはずである。
 B-29の登場にいたる話は、飛行機ファンにとってはあまり目新しいものではないかもしれない。しかし一般書としてはあまり目にしないものでもあるので、よい機会と思ってこの際に書こうと思う。
 第二部は、本土空襲を受ける前の日本が、飛行機や空襲とどのように向き合ってきたかという話である。
 戦前期の飛行機のイメージとその形成については、歌謡曲というポップカルチャーを通して観察した。それはモダニズムの尖端的イメージから、軍用一色に塗り替えられるまでの過程を追っている。それは「B-29」を体験する前の飛行機にまつわるイメージである。それは「B-29」という体験を経た後の今日とコントラストをなすであろう。
 また日本人が「空襲」そのものをどう見ていたかについては章を二つ割いた。一つは私たちの社会が本土空襲を体験する前の空襲観について、科学小説作家の海野十三を俎上にのせるかたちでとりあげ、もう一つは日中戦争に際しての空襲観について触れた。前者では関東大震災の経験を下敷きとした空襲観がかつてあったことを掘り起こすと同時に、彼を空襲被害の予言者とする見方に修正を迫り、海野の戦争責任をあえて免責しようとする立場に反省を求めるものである。後者では、一方的に爆撃をしていた頃に日本が有していた視点を、当時の人びとの言動を構成することで再現を試みる。それらは、「B-29」という体験を経る前の、私たちの社会が有していた考え方や見方である。
 それらのことは、直接にはB-29には関係なさそうだが、現代の空襲観とコントラストをなすであろう、また私たちの社会が極東で空の帝国として振舞っていた時期のものの見方を振り返ることによって、B-29による衝撃を受けた後の変化の大きさを感じ取ってもらえればと思う。
 第三部は、本書の骨に相当する箇所である。本土空襲が始まる頃の情勢判断や報道からは、飛来前のB-29をわが国がどのように見ていたかがうかがえるはずである。つづいて、偵察で東京上空に飛来したB-29に多くの人が美しさを感じたことについて、日記を基に構成を試みる。そこには、空襲を体験する直前における感情の動きが表されている。劫火に曝される直前の心境が、そこにあるはずである。
 また「体当り」称揚のムーブメントについては、これまでに書かれたことがあまりなかったはずである。B-29への体当り攻撃が民間人も巻き込むかたちで一種のブームになっていたことは、体制の危機が生じたときに社会がどんな方向に行ってしまいかねないかということを考えるにあたって、示唆的な出来事であるように思う。
 また、B-29にまつわるものとしては、空襲体験とは異なった話として、敗戦前後の捕虜の扱いや、それに起因する戦争犯罪について記した。これらは、B-29にまつわる話として、日本の責任にもつながってくるものである。
 第四部は、続いて、敗戦からしばらくの間に書かれたB-29にまつわるイメージを、人物ごとに並べてみる。そこからは、戦前の飛行機や空襲観とは異なるB-29から受けた衝撃が伝わってくるとともに、今日にもつながる戦争観の問題として、被害者の視点が強調されるという問題も見えてくるのではないか。
 それから、野坂昭如にとってB-29がどういう存在であったかという話もしよう。野坂の原作になるアニメーションは、まさに現代の私たちが持つB-29のイメージに他ならないと思われるものであるが、野坂にとってそのB-29は、現代の戦争観や空襲観における責任の欠如を浮かび上がらせるものでもあった。そこからは、同じ小説家でも、先に書いた海野十三ときわめて対照的な姿勢が見て取れるはずである。
 そのうえで、終章では、飛行機などを評価する際にしばしば使われる「機能美」という言葉について釘をさした。飛行機に限らず、機械から受けた「美」という感性について、このような言葉を用いれば説明した気になるというのは、乗り物ファンの悪い癖だと思うからである。もしB-29というものが、そのような三文字で表されてしまうような生やさしいものであるならば、これまでにB-29があれこれと書かれる必要はなかったであろう。そして空襲被害にまつわる負い目を、野坂昭如が背負い込む必要もまたなかったはずだと思うのである。

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『B-29の昭和史』もくじ
Ⅰ B-29の誕生
 第一章 「戦略爆撃」という思想  
 第二章 B-29の誕生まで 
Ⅱ 戦前日本の空襲観  
 第三章 飛行機が帝国を表象する 
 第四章 海野十三と防空小説 
 第五章 日中戦争における空襲観 
Ⅲ 本土空襲  
 第六章 日本本土空襲のはじまり  
 第七章 B-29、東京上空に現れる  
 第八章 体当たり攻撃をめぐって  
 第九章 振りまかれる恐怖  
 第一〇章 B-29搭乗員の処遇 
Ⅳ 戦後のイメージ形成 
 第一一章 敗戦から占領期の語り 
 第一二章 アメリカの基地として 
 第一三章 野坂昭如とB-29
 終章 B-29は美しかったのか

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