ちくま新書

兵器への偏愛が生んだ一編の批評
若林 宣『B-29の昭和史――爆撃機と空襲をめぐる日本の近現代』書評

戦時中、少なからぬ人々が、頭上を飛ぶB-29を見て「美しい」という言葉を残していました。人を殺す兵器を見て美しいと感じる、その感覚と深く向き合った『B-29の昭和史』の書評を、大塚英志さんに執筆していただきました。PR誌「ちくま」に掲載したものより少し長い、完全版です。

 ぼくは言うまでもなく「おたく」の類だが、ミリタリー方面には疎く、手先が不器用でプラモデルも苦手だ。模型雑誌に一瞬手を出した時があったが、もっぱら海洋堂の綾波レイのガレージキットの情報が目当てで、買って箱ごと観賞用に飾るだけだった。それでもナチスドイツの戦車や飛行機の模型写真に思わず見とれる時があった。思想的にはぼくはベタなサヨクだが、その「思想」に反して、兵器のデザインを「美しい」と思うことがある。ぼくと比較するのはあまりに不遜だが、宮崎駿もその左派的発言とミリタリーマニアぶりの解離はよく知られている。若き日の宮崎がミリタリー雑誌で兵器について熱く論争している投書の控えをジブリの関係者に見せてもらったことがある。

 実は、その「美しさ」の正体は、イタリアの未来派に始まり日本では機械芸術論として展開された、戦時下のアヴァンギャルドが、写真や文化映画と呼ばれた記録映画といった視覚表現を介してつくり上げた「美学」、つまり人が物を観るフィルターである。このフィルターを実装してしまった時、戦車も飛行機だけでなく重工業の工場も汽車も「美しい」ものとして理解される。つまり「工場萌え」や「鉄道オタク」の出自もまたこの時代にある。

 と、ぼくは以上のような言語化でこの「美しさ」の問題を済ませてきた。

 それは兵器の「美学」が、ぼくのおたく属性として重要ではないからで、宮崎駿が『風立ちぬ』で現実の戦闘機の歴史を描こうとして、しかし文字通り現実逃避先として飛行機の夢と戯れるファンタジー世界を創り出してしまったように、ある種類の人々にはこの問題は論理的に整理し難いものだと想像はつく。

 著者の若林宣さんはSNSのプロフィールによれば「ミリオタ」である。

 やはり機械や兵器への美しさに突き動かされた種類の人だと思う。そして本書の優れた特徴は、戦争の手段を「美しい」と感じる著者自身への徹底した「戒め」にある点だ。著者には、ぼくが兵器の「美しさ」を戦時下のアヴァンギャルドだと論じるだけでは済まない、より深い偏愛があり、その自身の偏愛を対象化することで本書は、B-29や戦時下の防空思想などについての丁寧な検証であるだけでなく、一編の「批評」たり得ている。

 著者が「美しさ」を徹底して批評しなくてはならないのは、「ミリオタ」としての自戒だけではない。戦時下、そして戦後さえも、物書きも市井の多くの人がB-29での空襲体験を「美しい」と形容詞を用い、まさに美的に語ってきた事実があるからだ。

 著者はこういった「美しさ」に対し、例えば、警察庁のカメラマンとして知られる石川光陽が撮影せざるを得なかった累々とした空襲による死体を対峙させ、終戦後も朝鮮戦争下、B-29が日本国内に墜落が多発、住民の死者を出し、爆弾の誤投下さえあった歴史も掘り起こす。そうやって、兵器は美的なものでなく人を殺す戦争の道具なのだという自明のことを、それが自明でなくなった今の時代に繰り返し説く。

 その「美しさ」への懐疑は最後の章まで一貫する。

 兵器の「美」を「機能美」として語る言説に疑問を呈し、そして機能性を具体化したかのように語られる「流線型」が実は機能とは無縁のものだと身の蓋もなく指摘する。そして「あじあ号」など賛美された「流線型」は、プロパガンダの美学だと正しく見抜く。戦闘機に描かれた「流線型」の身体のピンナップガールまでもその批評の先が及ぶに至っては、綾波のプラグスーツの「流線型」にうっとりしたぼくも彼の批評に被弾せざるを得ない。

 このような、おたくがネトウヨの代名詞のごとく感じる人々には、著者の戦時下への厳しい視線は奇異に映るかもしれない。しかし、特撮で『ゴジラ』や『ウルトラマン』に熱狂した者は、円谷英二を手懸かりに『ハワイマレー沖海戦』の「特撮」から、戦時下のプロパガンダ映画「文化映画」に行きつき、プラモデルの「箱絵」や戦後の少年誌の空想科学兵器の口絵に魅せられた者は、やがて戦時下の国防雑誌『機械化』をその出自として知る。手塚治虫信者の子供だったぼくは「映画的手法」の出自が戦時下の国策映画を支えた映画論にあることに気づく。そうやっておたく的な探求の果てに、戦時下の一次資料を執拗に集め読み進めれば、自分のおたく的な動機や美意識の出自にある歴史的な「禍々しさ」に否応無く至る。

 そうやって、左派のおたくが自然と生まれる。著者が最後までB-29の「美しさ」に批判的であるのは、自分の欲望の基調にあるその禍々しさが紛れもなく戦争の所産だからである。

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