二〇年ほど前、高校教員をしていたとき長文読解の指導法に悩んでいた。書店で多くの長文読解の参考書を手に取っては書棚に戻していた。ふと、道着姿で回し蹴りをしているイラストが表紙になっている一冊の参考書が目に入った。「なんで道着なの?」と不思議に思いながら開いてみると、その内容に雷に打たれたかのようであった。何度も読み、真似しながら教材研究をする日々が続いた。道着姿の著者が言うには、文章を論理の「型」にしたがって読むことで、次に何が出てくるのか予想をしながら読むことができる。つまり英語の発想法をベースにできた説得の「型」を理解する必要があるということだ。
長い時間が流れ、その道着姿のキャラクターと知己を得る機会ができた。『英語のハノン』の校正用のゲラを拝見する機会に恵まれたのである。著者の横山雅彦先生と中村佐知子先生から壮大なプランと、絶対に譲れないコンセプトを伺った。それは文法をベースにした、スピーキングの「型」の練習をさせることであった。受験生に対して説いていた「型」の重要性はここでも明確にされていたのである。おそらく、英語に慣れていない段階の学習者は「頭の中で言いたいことを日本語で考えて、それを英語に置き換えて、知っている単語をつなげて話す」ということをしている。「言いたいことが頭の中にあるのに、なかなか英語が出てこない」というような状態だ。そこに福音のごとく現れたのが『英語のハノン』である。「こんな時にはこんなふうに言う」というパターンをたくさん練習しておくことで、いざという時に口から表現が自然と出てくるための徹底したパターンプラクティスである。野球で言うと、どんな球がきても瞬時にバットを振り、見事に打てるようになるために行う素振りの練習だ。地道な素振りの練習を嫌い、実践練習を繰り返しても応用は利かない。
『英語のハノン』で用いられている英文は比較的易しい。だが、これはあくまでも英文を読めば易しいと感じられるのであって、いざ、その英文を言おうとすると、これが難しいのだ。音声ファイルから繰り出される千本ノックに耐えていくうちに、だんだんと英文のストックが頭の中にできあがってくるのだ。これは実際に体験してみないとわからない。
『英語のハノン』の音声ファイルはこれまでアメリカ英語で録音されており、無料で手に入れることができる。トータル一〇時間以上にわたる音声ファイルだ。ターゲットとなるセンテンスをリピートすると、次々に繰り出される「文末に●●を付けろ」「疑問文に」「否定文に」「主語を●●に変えて」という指示に従って英語を声に出す。休む暇がない。そのためにはきちんと頭の中に英文を入れ、保持しておかなければ指示に従って形を変えて英文を作ることができないのだ。一冊終えると、基本的な文法事項が身につくだけではなく、英語の「型」が体得できる。しかも、正しいリズムとイントネーションという音声面での「型」も身につくのだ。
しかし、その『ハノン』に「イギリス英語版音声」が登場したのは驚きだ。アメリカ英語版とイギリス英語版、同じテキストをベースにしながら細かな配慮がなされている。私自身、大学時代にRP(容認発音)と呼ばれる、いわゆるイングランド地域の教養ある話し手として認められる発音をひたすら真似ていた。前書きによると、横山先生も同じような経験をしたらしい。勝手に親近感を覚える。イギリス英語の「パキパキとした感じ」がたまらないのだ。何が凄いかというと、RPでリズムやイントネーション、強弱を練習できるのだ。それに加え、イギリス英語版ではスペリングもイギリス式だ。単に音声ファイルがアメリカ英語からイギリス英語に置き換わったのではないのだ。lineをqueueに変え、徹底して細部まで「型」にこだわっている。イギリス英語の発音の「型」と共に、文法、文型の「型」の体得を目指してみたいと思わせる作りなのだ。道着のキャラクターが教えてくれる読解の「型」と表現、文法、音声の「型」を教えてくれる著者が、永く武道を追求する横山雅彦先生だからこそなせる「技」だと実感した。
「英語のハノン初級 イギリス英語版音声」のご案内は以下です。