本書の構成は次のようになっています。
第Ⅰ部では、やはり「構造主義」および「ポスト構造主義」がどういうものだったのかを確認しておく必要があるでしょう。そこで示された思想は、その後のフランス哲学の展開のなかでもきわめて重要ないくつかの「型」を提示しているからです。
そして、第Ⅰ部の末尾では〈68年5月〉に触れます。1960年代には、世界各地で若者や労働者が既存の社会秩序に対して立ち上がりましたが、フランスも例外ではありませんでした。〈68年5月〉と呼ばれる社会運動については、それを肯定する側でも批判する側でも、フランス現代思想との関連でこれまで多くのことが論じられてきました。ただ、本書が強調するのはこれまでの議論と少し異なるポイントです。
もちろん、これまでも指摘されることですが、〈68年5月〉が体現しているように、フランスの哲学者たちは総じて現行の政治体制や経済体制にかなり批判的で、さまざまな角度から権力や既存の規範に対する異議申し立てを繰り出すことにその特徴があります。管理社会における権力のかたち、さまざまな差別や構造的な問題、資本主義や植民地主義、権威主義的な風潮を問いただし、それを批判的に分析したり、それに代わる自由のかたちを模索したりしようとしている、というのが全体的な傾向だと言っても過言ではないでしょう。分析方法、提起されるものは哲学者によってさまざまですが、この大きなスタンスを念頭に置いておくと、それぞれの細かい議論の見通しがつきやすくなることは疑いありません。
ただ、〈68年5月〉は、単にそうした批判的な思想が社会に現れるきっかけとなっただけではありません。むしろ、さまざまな分野において、その後の現代フランスにおける思想の流れを徹底的に変えることになった出来事と言えると思います。
〈68年5月〉のインパクトが現れるのは1980年代です。そのため、第Ⅱ部では、この1980年代を主題とします。この時代に、それまでフランス哲学においては中心的に取り上げられることの少なかった(意外に思われるかもしれませんがそうなのです)政治や宗教というテーマが浮かび上がってきます。80年代といえばよく「ポストモダン」という表現で捉えられがちですが、そればかりではありません。そうした漠然としたイメージの裏に、実際にはどのような議論があったのかを第Ⅱ部では見ていきます。
第Ⅲ部では、こうした時代背景を踏まえつつ、科学と技術に焦点を当てます。20世紀以降、科学技術は目まぐるしく発達しました。フランスにおいても、こうした科学技術をどのように考えるかについて、単に批判的なものに限らず、さまざまな哲学的な考察が行なわれています。とくに、科学認識論という、科学の営みそのものを分析対象としたり、あるいは現代科学の成果を哲学のなかに取り入れるような潮流は、フランス哲学の一つの特徴といえるでしょう。
第Ⅳ部では、ジェンダー/フェミニズム、エコロジー、労働といった、どちらかというと社会的なテーマをとりあげ、どのような思想家・哲学者が現れ、どのような議論が展開されていったのかを見ていきます。それぞれアプローチは異なりますが、既存の思想の枠組みを批判的に継承しつつ、同時代の社会的な状況と結びつきながら、さまざまな興味深い思想が提示されていったことが見えてくると思います。各々の章では、だいたい時系列に沿って並行して議論が進みますので、どの章から読んでいただいてもかまいません。
第Ⅴ部では、テーマを絞るというよりも、主に90年代以降に活躍し、多くは今もなお現役の哲学者・哲学研究者たちを紹介したいと思います。第11章は、哲学研究そのものを扱いますので専門的な議論の比重が高くなります。これに対して、第12章は、戦争や災害、食、動物・植物、スポーツといった具体的なテーマについて、現代フランスの哲学者が展開している議論を紹介します。
以上のようにテーマ別に分けてしまっているため、時代が前後したり、同じ哲学者が複数回異なる文脈で登場したりもします。全体のつながりについては、巻末に思想家マップをまとめましたので参照してください(322〜323頁)。また、各章末尾には、より詳細を知りたい方のために、ブックガイドを挙げました。
1968年5月にパリで起こった「革命」を起点に、若者や政治を巻き込み、時代や経験に深く根ざす思想運動として発展した現代フランス哲学。資本主義の矛盾や構造的な抑圧がさまざまに露呈する1980年代以降、それは大きな変化を遂げました。実存主義、構造主義、ポスト構造主義を経て、政治や宗教、労働社会、ジェンダー/フェミニズム、科学と技術、エコロジーをめぐる諸思想に至るまで。フーコー、ドゥルーズ、デリダら巨星なき後も脈々とつづく、強靭な思想の流れを一望する『現代フランス哲学』より、「はじめに」を公開します。