ドストエフスキーの『罪と罰』
さて、量刑に至る「長く曲がりくねった道」をたどるとき、最初の関門は「犯罪行為」です。まずは、次の物語からスタートしましょう。
法学部を中退した貧しい青年ラスコーリニコフは、生きていることの不快さから、いつもイライラしていました。彼は、人間にはナポレオンのような特別な人間と、歴史の材料にしかならない普通の人間とがいて、自分は前者であることを証明するために、金貸しの老婆とその妹を斧で殴り殺し、わずかの金を奪います。証拠を残さず、屋根裏の自室に戻りますが、そこから、彼は激しい恐怖と孤独感に苦しめられます。その結果、娼婦ソーニャに殺人を告白し、同情した彼女にどこまでもついていくと言われて、彼は自首します。8年の強制労働の判決が下り、シベリアのある町の監獄に入れられ、ソニャもその町に移り住みます。そして、ラスコーリニコフは、労働作業場の川岸で、突然不思議な体験をします。それまであった生きていることの不快ないらだちが全身から消え、喜びと悲しみの感情がわき起こり、生まれ変わったようになったのです。
ドストエフスキーの『罪と罰』(江川卓訳、岩波文庫)は、魂の救済がメインテーマです。読者はラスコーリニコフの蘇生の物語に感動するのでしょう。
このように、犯罪をテーマにした小説、映画、テレビドラマなど、さらにはニュースで報道される犯罪、そして犯罪にかかわる犯罪者、被害者、コミュニティ、それらを追いかけるマスコミなど、犯罪に対する関心は否が応でも喚起されます。
マスコミが、被害者遺族の「極刑にしてください」という重い言葉を何度も報道すると、視聴者は同情し、怒りを共有します。他方、マスコミが加害者の生い立ち、加害者家族の苦しみを報道すると、視聴者はそれに同情し、悲しみを共有します。さらに、マスコミが犯罪を未然に防げなかった警察をはじめとする諸機関のことを報道すると、視聴者はそれに怒りをおぼえ、社会・コミュニティを問題にすることでしょう。
犯罪をめぐっては、被害者・加害者・コミュニティという3者について、人々は様々な思いをめぐらし、様々な感情を抱き、犯罪という重いテーマを考えさせられます。その中で、ラスコーリニコフの犯罪に対して、なぜ8年の懲役という判決が下されたのかという点について関心を抱く人もいるかもしれません。
刑法学はまず行為を問題とする
刑法学は、まずはラスコーリニコフの「行為」を問題とします。この行為が殺人罪と窃盗罪(あるいは占有離脱物横領罪)なのか、強盗殺人罪なのかを問うのです。刑法学の対象は、加害者の行為であり、被害者(遺族)の悲しみや苦しみ、加害者の生い立ちや環境、コミュニティの同情などは二の次とされます。
すなわち、刑法学と、犯罪をめぐる様々な人々の感情や感性との間には、大きなギャップが存在しているのです。このギャップこそが、法学部に入学し、刑法を学びはじめた学生に、「刑法学って一体何を研究しているのだ」という疑問を抱かせる大きな原因となっているようです。生々しい人間の生き様を投影する犯罪をイメージして「刑法総論」の授業に出席したら、無味乾燥な内容の講義が続いて愕然とする新入生が多いのもこのためです。
悲観的な話ですが、このギャップを埋めることはおそらくできないでしょう。なぜなら、刑法学は、一般人の日常の感性を打破するところに、その存在価値があるともいえるからです。「罪と罰」のレベルから「犯罪と刑罰」のレベルへと思考をアップグレードさせ、思考のOS(オペレーティング・システム)を転換させる必要があるのです。そこに刑法学の存在意義があると同時に、そこに刑法学の限界もあることを意識する必要があるでしょう。
罪刑法定主義という大原則
「罪と罰」から「犯罪と刑罰」への思考のアップグレードを実現するには、ドストエフスキーの著書と同じ題名の書である、チェーザレ・ベッカリーアの『犯罪と刑罰』(風早八十二・五十嵐二葉訳、岩波文庫)を読むのがよいかもしれません。
ベッカリーアは18世紀後半に活躍したイタリアの啓蒙思想家であり、ルソーの社会契約説を基礎にして自らの刑法思想を構築した人です。すなわち、彼は各人が社会契約を結んで社会を形成するにあたり、各人が自由の一部を供託したのが刑罰権であり、したがって、その範囲を超える刑罰権の行使は権力の濫用であり、不正であると説いたのです。
これを出発点として様々な重要な帰結を展開した著書が『犯罪と刑罰』です。その中で最も重要なのは、「何が犯罪であり、何がそれに対して科されるべき刑罰であるかは、あらかじめ法律で定められていなければならない」という「罪刑法定主義」の大原則を熱く主張したことです。
どんなに危険な人でも、どんなに悪い人でも、法律で定められた犯罪をしなければ「いい人」であり、毎日いじめにあってかわいそうな人でも、いじめのボスをナイフで刺して傷を負わせれば、傷害罪に該当し、刑法上(適切な表現ではありませんが)「悪い人」なのです(いじめ自体が犯罪となる可能性はありますが)。もっとも、ボスたちのいじめの暴行に反撃した場合、正当防衛の余地がありますが、素手の暴行に対してナイフを使って反撃したときは、過剰防衛となる可能性が高いでしょう。また、ナイフを使って反撃したことは無理もないということで、非難可能性が減少し、刑が軽くなる可能性もあります(執行猶予の余地もあるでしょう。少年であれば、少年法に基づいて、審判不開始だとか、不処分になるかもしれません)。
さて、ベッカリーアは、今では当たり前となっている「罪刑法定主義」をなぜこれほどまでに熱く主張したのでしょうか。それは、それまでの専制的な国家支配を打破することに彼の理想があったからです。すなわち、国家刑罰権の濫用(たとえば、江戸時代の大岡裁きなど裁判官が裁判で法律を作って適用することなど。大岡越前はよい人だからよかったですが)から個人を守る防波堤として「罪刑法定主義」を打ち立て、刑法学はこの原理に立脚すべきであると説いたのです。まさに、刑法学は、「国家からの自由」の保障を志向する近代法の所産だったのです。
すなわち、ベッカリーアが熱く主張した罪刑法定主義において重要な視点は、「刑罰を科すのは国家である」という視点であり、国家対個人の関係における国家刑罰権の関係を捉える視点にあります。
犯罪か、犯罪以外か
罪刑法定主義によれば、刑罰が科せられるのは単なる「罪」ではなく刑罰法規に規定された「犯罪」でなければなりません。前述のように、日常生活においては様々な罪が存在します。電車の優先席で健康な若者が横になってガーガー寝ていれば、道徳上の罪を犯したことになるでしょうし、友人から借りていた本を間違えて紛失してしまえば、民法上の罪(不法行為)を犯したといえるかもしれません。ニーチェのように「神は死んだ」と考えれば、それは、神を信じる人たちからすれば、宗教上の罪を犯したといえるでしょう。しかし、これらは「犯罪」ではないのです。
重要なのは、その行為が「犯罪か、犯罪以外か」です。刑罰を科される行為であるか否かは、法律の条文を確認すればわかります(刑法典のみならず、会社法や独占禁止法などにも罰則規定が設けられています)。
それでは、ある行為が犯罪であるという判断はどのようになされるでしょうか。たとえば、相手を殺害したとしても、正当防衛であれば犯罪ではありません。ある行為が犯罪であるか否かの判断を、警察官や検察官、さらには裁判官の判断や裁量に全面的に委ねることはできません。ある行為が犯罪であるという判断は、前述のように国家刑罰権の発動に関わるものですから、できるだけ冷静で、公正で、慎重な判断が求められるのです。そのためには、犯罪成立の判断枠組み、順序が必要となります。これが「犯罪論の体系」です。
犯罪であると判断するプロセス
ある行為が犯罪であるか否かの判断は、いくつかの試験(テスト)を段階的に経てふるいにかけることによって行うのが賢明でしょう。たとえば、司法試験であれば短答式試験、論文式試験(予備試験ではさらに口述試験)というように、就職試験であれば書類審査、面接試験というように、です。こうした試験(テスト)では、外部的なものから内部的なものへ、客観的なものから主観的なものへ、形式的なものから実質的なものへという順序で行うのが合理的です。
詳しくは後述することにし、ここでは概略だけを述べます。まずは、ある行為が犯罪の一定の型・枠に当てはまるかの判断をします。この型・枠は条文を解釈して得られるものであり、これを「構成要件」といいます。そして、一定の行為がこの構成要件に当てはまることを「構成要件該当性」といいます。しかし、この構成要件にどのような要素を盛り込むかは、実はやっかいな問題です。いずれにせよ、ある人が殺意をもって人を殺害すると、その行為は「殺人罪の構成要件に該当する」という判断が行われることになるわけです。
多くの事件はこれで結論が出ます。しかし、構成要件に該当した行為が、たとえば正当防衛であったような場合には「違法でない(正当である)」とされますし、違法ではあっても行為者が責任無能力であったような場合には、「責任」がないとされることがあります。このように、構成要件該当性→違法阻却→責任阻却という判断順序に従って、ある行為が犯罪か否かが決定されていくわけです(「阻却」とは、その成立をしりぞけることです)。
このように、ある行為が世間で罪と考えられているか否かにかかわらず、その行為は犯罪論体系へとインプットされ、犯罪か否かの結論がアウトプットされることになります。
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