1095年のクレルモン教会会議での教皇ウルバヌス2世による呼びかけで始まった十字軍運動は、キリスト教会の敵と戦うことによって得られる贖罪を目的とし、当初の聖地十字軍にとどまらず、約700年間持続した。本書は、この運動を担った十字軍士が樹立した諸国家の歴史を追ったものである。ヨーロッパの周縁にあって、キリスト教世界の理念に支えられた十字軍諸国家の命運は、支配層をなす人々の思惑や周辺諸勢力の動向に左右された。そうした経緯が、政治的事件を中心に長期にわたって綿密に叙述される。
十字軍諸国家が存在した諸地域が、いつ成立および消滅したかを一瞥してみよう。11世紀末の第1回十字軍によって誕生したラテン・シリア(エルサレム王国など)は、発展から分断と混乱への過程を経て、13世紀末までに再びムスリム領域になった。また、12世紀末にビザンツ帝国領から十字軍士の王国に変わったキプロス島は、1489年にヴェネツィア領となった後、1573年にオスマン朝(オスマン帝国)に併合された。13世紀初頭にビザンツ領の征服によって形成されたラテン・ギリシア(ラテン帝国など)も、15世紀中葉までにオスマン領となった。一方、13世紀前半からバルト海沿岸部で勢力を拡大したドイツ騎士修道会国家は、1525年にプロテスタントのプロイセン公国となった。そして、ラテン・シリア消滅後の14世紀初頭、ビザンツ領だったロドス島を制圧して本拠とした聖ヨハネ修道会国家は、1522年に同島がオスマン帝国に征服されると、本部をマルタ島に移し、1565年のオスマン艦隊による攻撃を退けて存続したが、1798年のナポレオンによるマルタ占領をもって消滅した。
こうした推移を見ると、十字軍運動の重心は、徐々に東方から西方に移動していったように思われる。本書で十字軍諸国家に関連して登場する諸勢力は、ビザンツ帝国、ヴェネツィアやジェノヴァなどのイタリア商業都市国家、キリキアのアルメニア王国、モレアにおけるカタルーニャ傭兵団やフィレンツェの銀行家、カトリックおよびギリシア正教の教会組織、さらに周囲のヨーロッパ諸国、ムスリム諸王朝、モンゴル帝国など多岐にわたる。これら相互の関係は錯綜しつつ展開したが、中世・近世の中東・ヨーロッパ関係を研究対象とする本稿の筆者にとっては、徐々にイスラーム勢力圏のキリスト教世界への圧力が強まる傾向を見出せることに関心をひかれる。
1250年に成立し、エジプト、シリア、ヒジャーズを支配したマムルーク朝は、ラテン・シリアを消滅させた後、1365年にはキプロス十字軍にアレクサンドリアを一時占領されたものの、15世紀にキプロスを攻撃して属国とした。またロドスの聖ヨハネ修道会との関係は、いずれかの軍事活動によって悪化することはあったが、和平が繰り返し締結され、交易も営まれたから、和戦両様だったといえよう。
その一方で、14世紀以降のキプロス、モレア、ロドスをめぐっては、オスマン朝の存在感が増してくる。この新興ムスリム国家は、アナトリア、バルカン、黒海沿岸部を手中におさめた後、1516、17年にはマムルーク朝領を併合した。16世紀中葉のオスマン帝国は、東地中海とその周辺に領域を広げ、ヨーロッパ全体に和戦両様で対峙するに至る。これに対してマルタに移った聖ヨハネ修道会は、スペインやヴェネツィアの戦争時にはこれらと同盟した。また16世紀末以降は、ムスリムの船、ムスリムと交易するキリスト教徒の船、北アフリカ沿岸部への私掠活動を活発化させた。しかし18世紀には、フランス、ヴェネツィア、教皇庁の動向が、修道会の軍事活動を本格的に抑制するようになる。こうした異文化世界間関係の長期的変動を実感できることも、本書の価値を高めているように思われる。
ラテン・シリア、キプロス島、ラテン・ギリシアなど、12世紀末以降各地で建設された十字軍国家。その700年にも及ぶ歴史を明らかにするのが櫻井康人著『十字軍国家』(筑摩選書)です。同書について、中東イスラーム史を専門とする堀井優さんに書評していただきました。ぜひご一読ください(『ちくま』9月号より転載)。