単行本

「宗教2世」をめぐる問題とどう向き合うかのヒント
『だから知ってほしい「宗教2世」問題』

「宗教2世」をめぐる困難とは何であり、解決には何が必要か――。ジャーナリスト、研究者、弁護士などに加え、当事者たち計40名以上が寄稿した、包括的な論集『だから知ってほしい「宗教2世」問題』。ジャーナリストの江川紹子さんが、この本について論じて下さいました。ぜひお読みください。(PR誌「ちくま」2023年9月号より転載)

 何かにつけ、呼び名というのは大切である。名称ができ、それが広く流布することで、問題の所在が人々に認知され、当事者の存在が可視化されるからだ。「子どもの貧困」然り。「LGBTQ」然り。「ヤングケアラー」然り。そして「宗教2世」も然り、である。本書を通読して、改めてそう思った。

「宗教2世」という言葉が新聞・テレビに登場するようになったのは、二〇二二年七月下旬以降だ。その少し前、安倍晋三元首相殺害事件の容疑者の母親が旧統一教会の信者で、多額の献金で家庭崩壊したと報じられた。容疑者自身は「2世信者」ではなかったが、これを機に、同じような苦しみを経験してきた「宗教2世」たちが様々な形で声を挙げた。顔を出したり実名を明かしたりしてメディアの取材に応じる人も出て、言葉と問題の所在が広く社会に知られることになった。

 それ以前にも、問題は存在した。苦しむ当事者もいた。けれども、彼らは社会の中で散在し、ひっそりと生きている。周囲の人々や社会はそれに気づかない。気づいても、その深刻さを理解できない。エホバの証人2世のちざわりんは、脱会後の状況を「一般社会に私の居場所はなく、まるで何も持たずに異国に亡命してきた人のような孤立・孤独感」だった、と本書の中で書いている。

 私も、問題に気づくのに遅れた一人であることを告白しなければならない。私が取材していたオウム真理教では、親に連れられて“出家”させられた子どもたちがたくさん教団施設にいた。学校にも通えず、栄養状態も悪かったが、地下鉄サリン事件後、児童相談所が保護した。教団の価値観に支配されていた子たちも、徐々に普通の暮らしに慣れ、家族に引き取られていった。私は安堵し、教団が起こした凶悪事件の取材に集中した。

 本当は、安堵してはいけなかった。問題は外から見えにくくなったが、ずっと傷が癒えないまま生きてきた人がいたのだ。教団を離れ社会に戻ってからの困難を、本書にも手記を寄せているまひろから聞かされ、私は大いに悔んだ。

「宗教2世」は、宗教の問題や家族間の葛藤だけでなく、彼らに生きづらさを強いる社会の課題でもあることも、見過ごされてきた。本書でのTeaのデータ分析によれば、「2世」が生きる困難や教団からの離脱を難しくしている原因は、いずれも教義・教団、家族、そして社会という三つの要素が絡む。

 本書には、社会の側がこの課題とどう向き合うかのヒントが詰まっている。当事者の声だけでなく、様々な専門家による多角的な視点での論考も貴重だ。

 たとえば臨床心理士の信田さよ子は、「宗教2世」の対応について、アルコールなどの依存と重ね合わせながら、家族中心主義から脱却する必要性を、具体的に提言する。

 宗教社会学者の猪瀬優理は、創価学会2世にとって教団は一種の「ふるさと」だという。そのしがらみに反発し離脱した者にも、よい思い出はあり、よく知らない人から非難されれば忍びない気持ちになる。「2世」支援を行う松田彩絵も、教団コミュニティの中で育った者にとって、教団は「実家」のような存在と指摘する。家族や共に過ごした仲間への愛着と教団・教義への嫌悪は併存しうるのだ。その心情はそう単純ではない。

 また、フランス法に詳しい弁護士の金塚彩乃は、カルト対策先進国・フランスの対応を紹介。法制度の詳細や裁判例に加え、問題に対応する行政機関についても丁寧に説明している。日本の法制度を考える際に、大いに参考になろう。

 そして、宗教社会学者の山口瑞穂は、大人の側が考える、あるべき信仰や教団への評価を「宗教2世」に押しつけてはいないか顧みる必要があると指摘し、こう書いている。

「子ども時代の経験は、将来、この社会に根を下ろす際の支えとなるかもしれない」

 本書で提起された様々な視点を、私たちの隣にいる「2世」に心を寄せていく手がかりにしたい。(文中、敬称略)