「この辺り、芥川龍之介がよく散歩してたんだって」
高校生の頃、友人の家に遊びにいったら、そんな話をされた。へーそーなんだーと聞き流したはずが、その一言は不思議と私の頭に残った。教科書にモノクロ写真で載っているような昔の文豪と、海が近くて立派な邸宅と松の木の多いカラフルな町の風景がうまく重ならず、違和感として残ったのかもしれない。
ずいぶん大人になってから、その地には明治から戦前までつづいた大きな旅館があり、斎藤緑雨、小泉八雲、志賀直哉、里見弴、武者小路実篤、芥川龍之介、川端康成など錚々たる作家達が滞在して執筆したり静養したりしていたことを知った。なるほど、芥川龍之介がぶらぶら歩いていても何らおかしくはない町だったのだ。
単純な私は、文豪と呼ばれる昔の作家達に俄然親しみを覚えるようになった。文学は堅苦しくて難しそうという食わず嫌いを克服し、自分の生活と地続きの物語として彼らの作品が読めるようになった。かの旅館に滞在した作家達の作品は、特に好んで読んだ。旅館が営業していた時代の古書を取り寄せ、わざわざ当時の仮名遣いで読んだりもしたくらいだ。
時はさらに過ぎ、小説を読むだけでなく書くようにもなっていた私に、筑摩書房の編集者Iさんが「何か書きたい話はありますか」と尋ねてくれた。
ふわっと浮かんできたのが、あの町と海の風景、そして旅館に泊まった作家達のモノクロ写真だ。
「旅館と文豪」
私は即答した。ただ、この時点で決めていたのは〈旅館と文豪が出てくる話〉〈旅館の名前は〝凧屋〟〉〈凧屋には、戦前くらいまでの古書が多数収められた文庫が併設されている〉の三つだけ。
登場人物、時代、エピソードなどはすべて未定、つまり「旅館と文豪」という思いつきはそれ以上でもそれ以下でもなく、白紙同然だった。
小説を書く前段階である思いつきの白紙には、切り取り線が何本も薄く書かれていて、どの線を切り取れば自分の小説になるのか、私はいつも迷う。いや、まずは線を見つけること自体にも苦労する。
迷いながら切り取った線で三章まで書いた話からは、他人の小説感が拭えなかった。Iさんにも相談した上で泣く泣くボツにした夜、私は途方に暮れ、家にあった古書のうちの一冊をひらいた。忘れもしない。例の旅館に滞在した作家の一人、川端康成の『むすめごころ』だ。
黄ばんだページをめくっていた私の手が、奥付で止まる。右側の白紙ページに、私が一度も訪れたことのない県の住所、男性の氏名、そして結びに〝Zôsyo〟と、ローマ字の筆記体で几帳面に書かれていた。同じページの右上には、氏名と同じ苗字の印鑑が捺してあった。
この本に収録された作品は以前に読み終えていたが、奥付までしっかり見たのはこれが初めてで、私はあらためて気づかされた。この本が時代を経てきた古書であること、古書には前の持ち主がいること、戦前に生きていたその人が、この本を大切に読んで、蔵書にするほど愛でていたことを。そして繊細な女性心理を描いた『むすめごころ』を読む男性で、几帳面な字を書く前の持ち主にもきっと、彼自身の物語があったのだろうと想像した時、「旅館と文豪」の白紙に、今度こそはっきりと私の切り取るべき線が浮かび上がったのだった。
こうして八十年以上前に刊行された本とそれをリアルタイムで享受した一読者に力をもらい、私は『文庫旅館で待つ本は』を書き上げた。古今東西の小説を読むことで自分の物語を支え、救い、響かせ、豊かにしていく人達に届いたら、とても嬉しい。