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王様は何でえらいのか?――「君主制」を探究すると見えてくる人類の歴史
『君主制とはなんだろうか 』より「はじめに」を公開

ファラオ、女王、天皇らが統治する「君主制」。この世界最古の政治制度がわかると、世界史がもっとおもしろくなる! 君主の誕生から革命を経て、現代までを一望する『君主制とはなんだろうか』より「はじめに」を公開します!

王様は何でえらいの?

「王様は何でえらいの?」。この言葉は、喜劇王チャーリー・チャップリン最後の主演映画『ニューヨークの王様』(1957年)に出てくるセリフです。

 ヨーロッパのとある国の王様だったシャドフ国王は、革命のため国を追われてアメリカに亡命し、ホテル暮らしをしていました。そのころ出会ったルパートというまだ10歳の少年は、両親が共産主義者で、彼自身も政府を信用しない無政府主義を唱える、博識な子どもでした。やがて両親が政府に逮捕され、少年はホテルでかくまわれましたが、彼が突然王様に訊いた質問。それが冒頭の言葉でした。老年に達していた王様自身もそのようなことはこれまで考えたことさえなかったのか、答えに詰まってしまうのです。

 みなさんのなかには、「そもそも王様などえらくはない」と思っているかたも多いかもしれませんね。

 チャップリンが扮するシャドフ国王は、亡命の身であるとはいえ、最高級ホテルのこれまた最高級の部屋に泊まり、出会う人すべてから最敬礼で挨拶をされていました。この姿を見て、少年も「なぜ王様はえらいのか?」と自問し、思わず王様自身に問いかけたのでしょう。しかし、シャドフ国王に限らず、私たちも「なぜ王様はえらいのか?」と改めて尋ねられると、果たしてこれにきちんと答えることができるのでしょうか。

 21世紀のこんにち、世界には「王様」と呼ばれる人が20人います。これに大公や公爵、侯爵、首長と呼ばれる「君主」もあわせますと、世界には28の君主国が存在します。そのなかにはこの日本も含まれます。天皇もやはり君主として位置づけられるからですね(その理由は第5章で述べます)。しかし、世界に200に近い国が存在するなかで、王様はずいぶんと減ってしまいました。

王様は自分勝手?

 そもそも君主制とはなんなのでしょうか? 君主制を意味する英語の「monarchy(モナーキー)」の語源は、古代ギリシャ語で「monarches(モナルケス)」といい、「ひとりによる支配」を意味する言葉です。これを聞くと、ひとりの人間が絶対的な権力を持ち、多くの人々を意のままに支配するようなイメージを抱いてしまいますね。

 政治学の言葉では、君主制とは、国家権力や主権(国家がさまざまな決定をおこなう際の最終的な決定権や国を代表する政治的権威)がひとりの人間に属する国家形態を意味します。このひとりの人間には通常は、皇帝(天皇)、国王(女王)、首長といった称号がつけられ、世襲(親から子、孫など代々)で引き継がれていく事例が多くを占めます。

 なお、この本では西ヨーロッパにおけるキリスト教世界の頂点に立つローマ教皇やイスラーム共同体の最高権威者であるカリフといった宗教的な指導者は「君主」とは位置づけず、世俗的な(宗教色の薄い)王侯たちを主な対象として扱っていきます。

 これに対して現在の世界の大半の国々が採用しているのが共和制です。共和制は英語では「republic(リパブリック)」といい、こちらは古代ローマ帝国で使われていたラテン語の「res publica(レス・プブリカ)」という、公共物や公益を意味する言葉が語源です。

 ひとりの人間に国家権力や主権が属する君主制に対し、共和制ではそれらが人民や人民の大部分に属し、人民によって直接的(国民投票などで)、あるいは間接的(国民が選挙で選んだ国会議員による投票などで)に選ばれた国家元首により統治がおこなわれます。アメリカやフランスなどに見られる「大統領」が一般的です。

 こうした語源や定義だけから考えますと、君主たちは公共のことなど考えず、自分自身の利益や贅沢ばかり考え、『ニューヨークの王様』のシャドフ国王のように国民から国を追い出され、その結果、21世紀までには世界中の国々が君主国から共和国へと替わってしまったかのように思われますね。

古代の王の仕事

 時代をさかのぼること1万年ほど前、人類が植物の栽培や家畜の飼育を始めた新石器時代(紀元前8000〜前5000年)には、各地を治める権力者が存在しました。最初は小さな村落の首長にすぎなかった存在が、やがていくつもの村々を統轄する大首長となり、いまから5000年前頃からは「王」や「皇帝」と呼ばれるようになりました。

 古代のエジプトやメソポタミア(現在のイラクのあたり)、インド、中南米(インカ)やこの日本でも、王様は太陽と結びつけられ、さらには天と地を結ぶ存在、あるいはこの世とあの世をつなぐ存在と見なされるようになります。古代の中国でも皇帝は「天子」と呼ばれました。天の委任を受けて天下を治める有徳者を意味するわけです。

 古代の王たちはこうした精神的・宗教的な象徴であるばかりでなく、自ら兵を率いて戦い、統治している民(現在の言葉でいえば国民ですね)を護ることに命を捧げました。さらに自身の勢力圏が固まると、民に豊かな生活を保障しなければなりません。大規模な灌漑工事なども進め、作物の豊作や家畜の繁殖のための環境も整えていきます。そして民と民とのあいだで起こる争いごとを調停し、社会正義を維持する存在にもなっていきます。

 こうした王たちの「政策」は、現代社会ではまさに各国の政府が毎日おこなっていますよね。王様がおこなってきた仕事は、実は人類の歴史が始まった瞬間から今日に至るまで基本的に続いているといってもよいのです。

なぜ君主制を学ぶのか

 イスラーム世界を代表する歴史家のイブン・ハルドゥーン(1332〜1406)は、次のような言葉を残しています。「文明なき王朝など考えもつかないのと同じように、王の権威なき文明などありえない。なぜなら人間というものは協調するように性格づけられており、政治的な指導力が宗教もしくは王の権威に基づくのは必定だからである」。

 この本では、世界最古の政治制度ともいうべき、王様たちが統治する「君主制」というものに焦点を当て、このシステムが人類の歴史のなかでどのように現れ、どのような経緯をたどってきたのかを明らかにしていきます。それは同時に、「王様はなぜえらいの?」という問いをめぐる、探究の旅でもあります。

 しかしなぜ私たちは「君主」や「王様」について学ぶ必要があるのでしょうか。先にも記したとおり、21世紀のこんにちでは世界中のほとんどの国々が共和制に移行し、君主は地球上から姿を消す運命にあるのではないでしょうか。

 数千年にもわたる長い歴史のなかで、人々の生活が豊かになり、外部の人々と争いごとを起こさず、また内部でもいさかいが起こらないように、つねに気を配ってきたのが王様たちでした。それはやがて20世紀になり、人口が爆発的に増え、社会の仕組みが複雑化するなかで、王様ひとりではとてもまかないきれなくなると、人民も政治に参加させて、多くの人々からなる政府によってまかなわれることになりました。

 この過程で、ある国では王様と人民とが協調し合いながら政治が進められました。また別の国では王様やその取り巻きとなる貴族たちがいつまでも人民を政治から排除し続け、ついには革命によって君主制が倒されるようなことがありました。君主制の栄枯盛衰には、共同体の形成、人々の政治的な権利や義務といったすべてのことが詰まっているのです。

 つまり君主制を探究することは、われわれ人類の歴史そのものを探究することにつながっています。そして将来的に君主制が地上から姿を消すのか、あるいは生き残り続けるのかを見ていくことは、現在でも君主制を採っている21世紀の日本に住んでいる私たち自身の未来を見据えていくうえでも多くの示唆を与えてくれるのです。



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