ちくま学芸文庫

四半世紀の時を超えた謎解き
今井むつみ『ことばの学習のパラドックス』書評

認知科学の第一人者である今井むつみさんが言語習得の謎に取り組んだデビュー作を、ちくま学芸文庫として刊行しました。専門的な内容の本ですが、自他ともに認める「今井むつみファン」である「ゆる言語学ラジオ」水野太貴さんがその面白さをみごとに解説してくださいました! 本を手に取る前にぜひご一読ください!

 フィクションの世界ではしばしば、「ある未解決事件の犯人を追いかけ続けている刑事」が見受けられる。私にとって本書の著者である今井むつみ先生は、そういう人である。今井先生が追いかけ続けている事件とは、「ヒトが言語を習得すること」だ。どの人も経験するので当たり前のことのように思えるが、立ち止まって考えると不思議なことはいっぱい起きている。例えば私たちは、親から単語の意味や日本語の文法をはっきり教わったわけでもないのに、自然と言葉を使いこなせるようになる。そして、そのメカニズムは完全には解明されていない。であれば、言語習得を未解決事件と喩えるのもあながち誇張ではなかろう。

 私は自他ともに認める今井むつみファンである。先生の著作はもちろんすべて読んだし、先生が1チャプターを寄稿しただけのオムニバス論考集も大方本棚に収まっている。では私は今井先生の著作のどこに惹かれているのか。それはストーリーテリングの巧みさである。

 今回の新書大賞に、今井先生の『言語の本質』(秋田喜美氏との共著、中公新書)が輝いた。同書はミステリー小説のような構成だったし、実際にそうした書評はいくつか見受けられた。これが私の言う、ストーリーテリングの部分だ。問いの不思議さを十分に共有したあと、意外な犯人が提示され、そして鮮やかな謎解きに移る。同書が多くの読者に読まれた一因には、このように練り上げられたムダのない構成もあったと思う。

 さて、『ことばの学習のパラドックス』の元となった単行本は一九九七年に刊行されており、今井先生の初の単著である。改めて読み返して思ったのは、私が評するのもおこがましいが、そのストーリーテリング力はすでに萌芽していたということである。

 本書は今井先生の著書のうち、比較的難しい部類だ。参考文献欄には英語論文がずらりと並んでいるし、専門用語もある程度導入される。しかしその問題設定は非常にシンプルで、やはり「子どもはいかにして言語を覚えるのか?」に尽きる。そして序章では「子どもがことばを覚えるのって、思っているより難しいな」と痛感させる巧みな前フリがある。詳しい解説は本書に譲るが、一章を読むだけでも「言語習得って無理ゲーに近いかも」と思わせられること請け合いだ。

 さて、本書と『言語の本質』は、問題設定はまったく一緒である。いずれも「ヒトはいかにして言語を習得するか」という未解決事件に取り組んだものだ。しかしその読み味は同工異曲というべきだろう。『言語の本質』はオノマトペに焦点を絞ったが、本書では人間の認知特性に解決の糸口を求めたからである。

 せっかくなので、興味深いと感じた事例をひとつ取り上げよう。一般に、乳児に絵を見せるなどの刺激を与えても、それに飽きると注視しなくなることが知られている。ところが別の絵を見せると、またじっくり見つめる。研究者はこの特性を生かした実験を行なった。

 まず、イヌの絵を飽きるまで見せる。その後、ウマを見せると長く見つめた。まあ、イヌとウマはずいぶん違うので、注視するのもうなずける。ところが驚くのはここからで、別のイヌを見せると興味を示さなかったそうだ。言葉を話さない乳児の段階ですでに、生物の分類に関する知識が一定程度あることを示唆した実験である。

 このように、特定の知識や認知能力を先天的に持って生まれてこれば、子どもの言語習得は序章で示されるほどの無理ゲーではなくなる。では次に問うべきはこれしかない。彼らが持つ、驚くほど豊かな知識や能力とは? 本書にはその答えを探った認知科学者たちの実験の数々が取り上げられている。

 同じ事件をさまざまな角度から追い続けたひとりの研究者が、昨年ひとつの答えを世に問うて、多くの人々から注目を集めたのは喜ばしいことだ。しかしもっと幸運なのは、四半世紀の時を経て、異なった角度で解決を試みていたさまを手ごろな価格で楽しめることだと私は思うのである。

 

 

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