ちくま新書

マーケティング発想力を高めよ!

日本はマーケティングが遅れている!? 日本を前進させるためには、マーケティングを強くするしかない!1月刊、恩蔵直人『マーケティングに強くなる』の「はじめに」を公開します。

 2015年の夏、アメリカのシカゴで開催された「サマー・マーケティング・エデュケーターズ・カンファレンス」に参加した。アメリカ・マーケティング協会(AMA)が研究者を対象に開催する国際研究大会の一つである。大会趣意書によると、AMAの前身となる広告研究者やマーケティング研究者の集いが1915年にシカゴで行われ、以来、毎年夏にアメリカ各地で開催されてきており、百年を経て再びシカゴに戻ってきたとある。シカゴにおける2015年の大会は、AMAにとって大きな節目としての意義があったようである。大会の統一テーマは、「マーケティング・インサイトによるビジネス・プラクティスの改善」である。私たちは「自動車産業におけるデザインと製品開発」というタイトルで、この数年間に取り組んできた共同研究の成果について発表した。

 国際的な研究大会に参加すると、思わぬ出会いや発見がある。20年以上も前から親しくしており、共同研究者の一人でもあるアメリカ人がいる。彼とはサンディエゴで開催されたAMAのランチ・ミーティングで、たまたま席が隣になったというのがキッカケである。すでに共同論文を執筆していて、何度もメールでのやり取りはしていたが、初めて出会ったのが海外での研究大会ということもあった。在外研究期間を取り、アメリカで研究生活を送っていた時、ミネアポリスで開催されたAMAの大会に出席し、同時期に在外研究期間をとっていた日本人研究者とばったり出会ったこともある。今回の大会では、韓国の親友と偶然出会い、トップ・ジャーナルで多数の論文を発表している著名な研究者を紹介してもらった。

 インターネット環境などの発達により、あらゆる種類の情報を国内で容易に取得できるようになっているが、やはり現場に足を踏み入れてみることは重要である。Amazon やアップルのiTunes などを通じて、安価でしかも手軽に楽曲を入手できるようになっている一方で、ライブの人気は以前よりも高まっているようである。臨場感や迫力といった、単に楽曲を聞くだけでは得られない現場での経験価値がライブ会場にはある。私たちが国際的な研究大会へ参加するのは、同じような現場での価値を得られるからである。驚き、感動、経験、そして何よりも人的なネットワークなど、現場に足を運んでみて初めて得られるものは少なくない。

輝きを失った日本ブランド

 研究大会への参加者の所属機関をみると、やはり地元だけあってアメリカ国内が多い。もちろん、カナダ、ヨーロッパ、アジアからの参加者も少なくない。残念な点は、日本の大学に籍を置く研究者の少なさである。今回の大会では、私たちのチーム以外に日本からの参加者は見当たらなかった。中国、韓国、シンガポールなどのアジア人と思われる研究者はかなり目に付くのに対して、日本人研究者の存在感の薄さは否定できない。私がアメリカで在外研究をしていた20年ほど前、日本人研究者は決して多くはなかったが、今日よりも国際的な研究大会に積極的に参加しており、存在感もあったように思う。しかも、海外の研究者が日本人研究者に対して、遥かに強い関心を持ってくれていたことは確かである。

 私が日本人であることが分かると、日本の流通チャネルについて質問をしたり、ソニーやトヨタなど世界の舞台へ躍り出ていた日本企業に対する意見を求めてきたりした。ほぼ同時期に在外研究をしていた知人は、アメリカの研究者から頻繁にランチに誘われ、日本のビジネスに関して彼らとさまざまな意見交換をしたと語っている。経済成長という優位性により、世界の目は間違いなく日本の企業や日本のマーケティングに向けられていた。急速に経済大国へと駆け上がった当時の日本は、礼賛と脅威とともに世界の関心を集めていたのだ。

 ところが今日、世界の目は日本ではなく、同じアジアであっても中国、インド、そしてインドネシアなどの国に向けられている。我々が国際比較研究を進める場合でも、日本とアメリカの比較より、中国とアメリカの比較の方が強い興味を抱いてもらいやすく、論文での採択においても有利に働くようである。世界の舞台において、日本というブランドはかつての輝きを明らかに失いつつある。

デザイン発想がマーケティングを強くする

 日本が世界の舞台において相対的なポジションを低下させているという現実は、別の視点からも確認することができる。スイスのローザンヌに本拠地を置くビジネススクール、IMDによる国際競争力のランキングに注目してみよう。このランキングは世界各国と一部の地域を対象としており、毎年春に発表される。直近となる2016年では61の国と地域がランキングされており、日本は第26位。経済(Economic Performance)、政府(GovernmentEfficiency)、ビジネス(Business Efficiency)、インフラ(Infrastructure)という指標によって総合的に評価されるので、単に経済大国が上位に位置するというわけではない。

 2015年の発表によると、第1位はアメリカ、第2位は香港、第3位はシンガポール、第4位はスイス、第5位はカナダ、第6位はルクセンブルグ、第7位はノルウェーと続く。アジアでは、台湾が第11位、マレーシアが第14位、中国が第22位、韓国が第25位、そして日本は第27位になっている。現在における日本の状況を考えると、第27位という数字は素直に受け入れざるを得ないかもしれない。しかし1990年の時点では、日本は第1位に位置しており、世界の中で最も輝いていた。図表は各国のランキングの変化を5年刻みで示したものである。失われた10年などと指摘されてきた1990年代後半から、日本の順位が急速に後退してきていることがよくわかる。

 名目GDPの世界シェアの推移をみても、明らかに日本の地位は後退している。IMFのデータによると、1995年には17.8%であったシェアが2000年には14.6%、2005年には10.1%、2010年には8.4%になり、さらに2015年には5.6%まで低下しているからだ。日本が最も大きな影響力を有していた時点では、世界の2割弱の経済を握っていたが、直近では5%程度にまで落ち込んでいる。OECDの予測によると、この値は2060年には3.2%まで低下するという。

 私が新書の執筆に踏み切り、本書のテーマを決めるに至った点はここにある。低迷しつつある日本に、再び世界の舞台で輝きを取り戻してほしい。そのためには、人口問題やインフラの整備など、取り組むべきさまざまな課題がある。そうしたなか、マーケティング研究者である私がもっとも関われるとすれば、日本企業に対する応援である。ネスレ日本の高岡浩三社長から、「日本は経済において先進国であるが、マーケティングにおいては後進国である」という発言を伺ったことがある。日本のマーケティングが遅れているというのであれば、逆に、大きな伸びしろが残っていることになる。多くの日本企業がそして日本の実務家が、マーケティングの潜在力を理解し、マーケティング力を強めることができたならば、世界における日本の前進に必ずや結びつくはずである。

 本書の第6章では「デザイン要素とマーケティング」について述べているが、日本のマーケティングは実務面においても研究面においても、明らかにデザインという視点で出遅れている。我が国のマーケティングにデザイン発想が浸透し、マーケティングに携わる人々にもっと検討してもらえたならば、製品開発や店舗開発はもちろんのこと、ビジネス展開においても大きくレベルアップするはずである。こうした思いは、本書の随所に込められている。

本書の構成

 本書は6つの章で構成されている。第1章「マーケティングの進化」では、マーケティングの発展過程をフィリップ・コトラー教授の著書『マーケティング・マネジメント』を通じて考察した。版を重ねるごとに改定される同書の章立てに注目し、近代マーケティングのいくつかの大きな転機を浮き彫りにした。1967年の初版以来、常に同書にはマーケティングの実務と理論における最新の動きが盛り込まれてきており、マーケティングを学び理解する上でのバイブル的存在となっている。第1章の後半では、マーケティングの新しいステージである3.0の枠組みについて考察している。

 第2章は「顧客の顧客と手を結ぶ」について論じられている。今日のマーケティングでは、顧客のさらにその先に位置する顧客にまで目を向ける必要性がある。自社にとっての直接的な取引相手となる顧客に目を向け、彼らのニーズを的確に把握することは、マーケティングを遂行する上で不可欠である。しかし幾つかのビジネスでは、さらにもう一歩先に進み、顧客の顧客と直接的な接点を持たなければならない。顧客の顧客と接点を有することでもたらされる3つのメリットについて整理したうえで、実際に優れた成果を上げている企業について考察している。

 第3章「市場志向と開発チーム」では、まず市場志向という考え方について、顧客主導との対比によって整理した。その上で、市場志向と新製品パフォーマンスとの関係が論じられている。さらに、新製品開発チームの特徴が3つの組織変数とともに論じられている。章の後半では、スバル「インプレッサ」の開発リーダーを二度にわたり務めた人物にインタビューを実施し、どのように開発チームに市場志向を取り入れ、製品開発プロセスを革新できたのかについて考察した。

 第4章は「ホワイトスペース戦略」である。企業の成長の方向性つまりベクトルを論じる場合、伝統的に製品市場マトリクスが用いられてきた。ところが、ビジネスモデルという新しい視点がクローズアップされるようになり、製品市場マトリクスでは今日の企業の成長の方向性を適切に説明できなくなっている。そこで、従来の枠組みの限界を補うことのできるホワイトスペース戦略に注目した。しかも本書においては、アナザースペースという新しい視点を追加し、今日における企業の成長の方向性を適切に説明できる枠組みとしている。ホワイトスペースの枠組みを用いると、iPod の成功が単なる新製品開発によるものではないことを明確に説明できる。

 第5章は「戦略再考」である。リチャード・P・ルメルト教授によると、多くの戦略は悪い戦略であるという。彼のいう悪い戦略についての考察を進めながら、良い戦略の構築ステップについて整理している。具体的には、「診断」、「基本方針の打ち出し」、「行動の明示」である。その上で、クラブツーリズムや横浜DeNAベイスターズなど、良い戦略を実践していると考えられる企業へのヒアリング結果などに基づき、良い戦略には何が必要なのかについて論じている。

 第6章「デザイン要素とマーケティング」では、マーケティングにおけるデザインの捉え方について検討している。また、共同研究者とともに実施してきた世界の有力自動車メーカーへのヒアリング結果をもとに、製品開発において考慮すべきデザインの次元を導出している。それらは、8つのデザイン要素として整理することができる。章の後半では、西川産業のAir といった製品に注目し、デザインによってもたらされるベネフィットについての考察を試みている。

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