筑摩選書

滲出する「日本の右傾化」をつかむ

2017年3月に刊行した『徹底検証 日本の右傾化』(筑摩選書)がいま話題となっています。 研究者、ジャーナリスト、新聞記者ら、第一線で活躍する書き手、計21人が寄稿し、ブックガイド、関連年表も収録した圧巻の400ページ。 その編著者で宗教社会学者の塚田穂高さんがPR誌『ちくま』(2017年4月号)に寄稿された文章を緊急再公開します。

「いまの日本の政治と宗教について、あらためてしっかり書いていかなければならないと思う。だがそれは政治と宗教のみではなく、歴史・教育・ジェンダー・家族・外交・法律・メディア・多文化共生など、およそ市民が関わりうるすべての領域に及んでくる。ひとりではできない。構築してきたネットワークを活かす時だ。私はそのなかで、「宗教」の位置と重みをきちんと論じ、示す。市民の議論のための土台の提示。急がなくては」(『出版ニュース』二〇一五年一二月上旬号、一三頁)――
 二〇一五年に初の単著『宗教と政治の転轍点―保守合同と政教一致の宗教社会学―』(花伝社)を刊行した後に、こう書いていた。それから一年余り。自分で書いたこともほぼ忘れていたが、本書、『徹底検証 日本の右傾化』が仕上がってから読み直したところ、まさにこの通りに焦り、悩み、そして構想し、前進させてきたのだなと、不思議な感慨に襲われた。日頃の研究対象の言葉を借りるならば、「思いは実現する」あるいは言語化することは現実化につながる、といったところなのだろうか。
 本書は、異色の選書になってしまった。というのは誇張でも責任回避でもなく、問題関心を込めた短い執筆依頼と数度のやり取りを経て集まってきた濃密な各章が、本書のなかに自ずと据わっていくような感覚を幾度も覚えたためである。
 二一人の執筆者による多声曲。個性的な、時に憤りや悲しみを帯びた声で奏でられ始めた各旋律は、他の旋律と絡み合って共鳴し、時に不協和音をも響かせながら、全体として一つの作品=現代日本社会の像を確かに構成している。
 最も苦労したのが、各章の配置と部の構成だ。当初の構想をかなり変更し、[壊れる社会][政治と市民][国家と教育][家族と女性][言論と報道][蠢動する宗教]の六部にした。一応は最初から読み進めた際に、一つの流れとなることを心がけた。
 だが、それに収まらない部分があるのも本書の大きな特徴だ。政治の章のはずが、排外主義や宗教が関わってくる。メディアについてでも歴史や女性のことが、宗教のことでも憲法や家族の問題が関わってくる。そんな協奏が、本書には多くある。
 それは、捉えようとしている対象が、特定領域に留まらず、やすやすとその境界を越え、広範囲に影響力を及ばせているためである。特定領域に限定したアプローチがなかなか通用しない。各章の議論が多岐にわたり、他の部・章と否応なくリンクしてくるのは、そうした「日本の右傾化」状況の領域越境性、広範な滲出性ゆえだということをつかんでもらいたい。
 本書のもう一つの大きな特徴が、「宗教」への視点である。[蠢動する宗教]の部のみではない。他の部・章においても、個々の宗教団体のみならず、宗教が関わる日本会議や、天皇・皇室、国旗・国歌、日本文化論(家族観含む)などの「文化宗教」レベル、信念レベル(排外主義など)まで含めるならば、実に広く「宗教」との関わりを観察できるはずだ。もちろん「宗教が諸悪の因」「宗教コワイ」などと煽りたいのではない。広い意味で「宗教」を捉え、われわれが決して「無宗教」とは言えないという認識の地平に立つことで、ちがって見えてくるものがあるということである。そうした視点が本書全体を覆っているという点で、一宗教社会学徒が編者を務めたことにも意義が見出せるのではないかと思う。
「誰に指示されて書いたのか」――
 かつて言論誌にカルト問題についての小論を寄せた際に、ある教団の広報局の人間に言われた言葉だ。本書もきっとどこかでそう言われるのだろう。だから、あらかじめ答えておく。
「誰の指示も受けていない。自分で構想し、依頼し、書いた。ただ、時代と人々の声とに突き動かされたのかもしれない」
 本書の刊行をもって、いったん持ち場に戻る。研究を前に進める。そしてまたどこかで、持ち寄ることがあれば、と思う。

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