筑摩選書

生意気ざかり
絓秀実・木藤亮太『アナキスト民俗学――尊皇の官僚・柳田国男』

「国民的」知識人の一人にして、「日本」民俗学の創始者、柳田国男。その柳田が若かりし頃、アナキストのクロポトキンから決定的影響を受けていたことは、これまで知られていませんでした。これこそが、柳田の文学、農政学、民俗学を結ぶミッシングリンクであり、尊皇の国家官僚たる柳田の相貌も、そこから立ち現れてくる――。そうした、まったく新しい柳田像を提示した『アナキスト民俗学』(筑摩選書)。その書き手の一人である絓さんが、PR誌『ちくま』5月号に寄稿された文章を公開します。ぜひ、ご一読を!

「アナキスト民俗学」というタイトルは、言うまでもないが、『負債論』のデヴィッド・グレーバーが標榜する「アナキスト人類学」のパロディーでもある。一九九九年のバトル・イン・シアトル以降、世界的に浮上したアナキズム的潮流に対する違和感が、このタイトルを選択させた理由の一つであり、現代アナキズムの問題系は、柳田国男において、すでに検討されうるという確信である。本書が、いわゆる柳田論の範疇をこえていると自負(?)する理由の一つである。
 それはともかく、私は、何かを論じようとする場合、いつも対象との唐突な遭遇がある。そのことの一端は、主に共著者の木藤亮太の視点から「あとがき」に記したが、ここでは別の側面を書く。私は自分が柳田論を書くことになるとは思ってもいなかったが、振り返れば、奇妙な因縁はあった。それは、私がこの一〇年ほど書いてきた、日本における「一九六八年」の一端にかかわることでもあり、幾分かの資料的価値もあるだろう。
 一九七〇年代の初頭、東京・高田馬場のマンションの一室に「寺小屋教室」という私塾が設立されていた。当初は、ドイツ語の講座のみであった。清水多吉氏を中心に、片岡啓治、船戸満之、守山晃といった、フランクフルト学派やエルンスト・ブロッホの翻訳・紹介に携わる方々が講師を務めていた。「六八年」のある種の継承の試みだったろう。当時、大学を辞めてすることがなかった私は、語学でもやろうと、船戸先生の初級講座に入会した。もちろん語学はモノにならなかったが、船戸先生と守山先生からは、酒の飲み方と「人生」を教わった。求めて得がたい体験である。その時にテキストに使ったルカーチの冒頭の一節だけは、無意味に今なお暗唱できる。
 ところが、私が入会してしばらくの頃、寺小屋教室は、語学講座から思想講座のほうに大きくシフトしていくことになる。「反近代」がモティベーションにある清水氏や片岡氏の志向の反映でもあったろう。その時、後藤総一郎氏を中心とする「柳田国男研究講座」もでき、かなり多くの受講生を集めていた。一九七二年の夏のことである。このグループが、後に、千頁をこえる画期的な大冊『柳田国男伝』(一九八八年)をまとめることになるわけである。受講生からは多くの柳田研究者も輩出した。清水氏の『柳田國男の継承者 福本和夫』(二〇一四年)なども、遠く寺小屋の磁場に淵源するものだろう。
 当時の私は、「思想」など個人的にやるもので、集まって勉強するものではあるまいと考えていた。柳田を大して読んでいたわけでもないが、柳田を「反近代」の思想として受容する風潮にも、反感以外のものを抱いていなかった。ある日、寺小屋の近所の飲み屋で、たまたま後藤総一郎氏と同席する機会があり、ついカラんでしまったことがある。二十歳を多少過ぎただけの私は、もちろん、ものなど書いておらず書く気もなかったが、生意気ざかりだったのだろう。何を喋ったのか、ほとんど覚えていないが、「柳田は近代主義者ではないか」といったようなことだったかと思う。「思いつき」であり「ハッタリ」以上のものではない。しばらく話した後に後藤氏は、呆れたような顔をして、隣席の片岡啓治氏に、「最近の若い者は、こんななのですか」と尋ね、片岡氏も苦笑していたように記憶する。思い出すだに赤面する。
 寺小屋の思想講座は、ある意味では大きな成果をあげたと言ってよいのだろう。フランクフルト学派研究、初期社会主義研究、日本中世研究などの分野で活躍する「六八年世代」の研究者を数多く輩出している。故人となったが、『思想としての全共闘世代』(ちくま新書)の小阪修平も、マルクス研究講座だったかに在籍していた。柳田研究については、すでに述べたとおりだ。その「反近代」というモティベーションの結実である。ある時期、そのような圏域の周縁にあって、一方で違和感を覚えつつ、他方では、そこをアジールのようにして過ごしていた者が、「近代主義者」柳田国男について書くことになるとは、歳月茫々という言葉しか浮かばない。しかし、本書もまた、多くの方からみれば、生意気なものではあるだろうが――。

 

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