全国から注目を集める岩手県盛岡市のこだわり書店、さわや書店で数々のベストセラーを店頭から作り出す書店員、松本大介氏が日々の書店業務を通して見えてくる“今”を読み解く!
今回は、先月開店した新店「ORIORI produced by さわや書店」の棚構成、主に〈雑誌〉と〈コミック〉について考えます。
◆さわや書店ホームページ http://books-sawaya.co.jp/
◆さわや書店フェザン店ツイッター https://twitter.com/SAWAYA_fezan
■開店2週間を迎えて
直近2回の店長日記で書かせてもらったように、5月19日に何とか開店にこぎつけた。開店後、たくさんの方にご来店いただき、それぞれとお話しする機会を得た。普段の僕なら「こんな店ですが、よかったら見ていってください」などというところなのだが、今回ばかりはその言葉を吐けなかった。様々な局面でそれぞれに苦労と困難が立ちはだかり、その度ごとに出版社、取次、施工業者、フェザン店のスタッフなど、本当に多くの方々に力を貸していただいて何とか乗り越えることができたから、「こんな店」なんてたとえ謙遜や卑下であっても言いたくないと思ってしまったのだ。この場を借りて心から御礼を申し上げたい。この感謝の気持ちを忘れないでいようと思う。
そんなこんなで開店して2週間が経った。その間に5つのイベントをこなし、ORIORIでの日々は「日常」となりつつある。もはや開店に至るまでの日々は遠い昔のようだが、開店したいまだからこそ悩み、考えることがある。それは「雑誌」と「コミック」に関する話だ。近年、店頭での売り上げが大きく落ち込んでいるのが、この2ジャンルである。現在進行形で下がり続けており、歯止めが利かない状態だ。だが、本屋の日々の売り上げを100とすると、雑誌もコミックも売り上げに占める割合はいまだ大きい。
たとえば、駅ナカのさわや書店フェザン店では、先の2ジャンルを合わせた売り上げ比率は40%ほどにも上る。売り場面積に占める割合も同じく40%くらいだろう。比率としては、おそらく他店よりも高いのではないだろうか。
その要因として新幹線車内での「時間つぶし」があげられるだろう。とくに東北新幹線はトンネルが多いから、車中でスマホやパソコンの通信がたびたび途切れる。バッテリーの消耗も激しい。それを心得ている一部の乗客たちが、車内に本を持ち込むのではないだろうか。東京まで2時間20分という時間もいい。週刊誌や5~6巻あるコミックはもちろんのこと、うすい文庫本なら1冊読めてしまう。
一方で盛岡駅発着の在来線に乗ると、首都圏と同様に本を読んでいる人はほとんどいない。やはり長距離移動の時間つぶしとして、売り上げが支えられている部分があるのではないかと感じる。トンネル内の電波状況もいつかは改善されるのだろうが、その日がなるべくなら来ないことを願っている。でも、技術の革新の波は加速度的に勢いを増しているから、もしかしたらすぐそこの未来かもしれない。
■コミックと雑誌に売り場を割かなかった理由
「ORIORI produced byさわや書店」では、先の2ジャンルに売り場をあまり割いていない。具体的な売り場面積をここに記すことはしないが、全売り場面積に占める比率としては、あわせて2割ほどだろうか。いや、もしかしたらもうちょっと少ないかも知れない(実感したい人はぜひORIORIへ)。
なぜか。なぜでしょう。もったいぶるようだが、それはごくごく当然の理由による。設計の図面が上がってきた直後に、店内にジャンルを配する線引きをした。その時に「立地」について、ああでもないこうでもないと考えに考えた。盛岡駅ビルの3階。最上階の北のどん詰まりに出店予定のORIORI。改札からは遠い。新幹線に乗る人がふらりと訪れる場所ではない。1、2階はファッションフロアであり、地元の若い女性客がメインとなるだろう……。観光客をあてにできず、女性客がメインターゲットとなれば、雑誌における本屋との接点は「女性ファッション誌」である。単純だが、それしか思いつかなかった。はたして、女性客向けの雑誌をメインとした、こぢんまりとした雑誌売り場が完成しオープン日を迎えた。我々はそれが正解だと信じて疑わなかった。実際にふたを開けてみて間違いに気づくのであるが、そのことはもう少し先に述べる。
他方、コミックの売り場面積が小さいのは消極的な理由による。既存のフェザン店の売り場以上のものを作るためには、店の半分以上をコミック売り場にしなければならなかった。ウェブ端末でコミックを読む、ネットカフェで読む、コミックレンタルを利用するという人が増え続ける流れのなかで、店の半分以上をコミック売り場で構成することは、暴挙以外の何ものでもない。しかもそんなことをしたら、さわや書店フェザン店と売り上げを食い合うことになる。それでは「同じ館内に2店舗目」を出店した意味が薄れてしまう。
では、どうすればよいかと考えた結果、新刊以外のコミックの棚を「太田出版」と「ビームコミックス」で埋め尽くし、アメコミをグッズとともに売り場に並べた。
なぜか。なぜでしょう。これについては、一段上のコミック好き、コレクターやマニアだったら現物の購入に至るのではないかとの見込みがあったからだ。しかし、開店してみて予想以上に厳しい戦いを強いられている。
そして、どうしようかと頭を抱えながら今日も一日が終わる。
■コンビニにあったヒント
夜更け近くまで仕事をした帰り道。ふらふらと自転車を漕ぎながら、そのまま家に帰る気分にもなれず、帰路の途中にあるコンビニへとハンドルを向ける。開店してからそんな悪い癖がついた。
仕事中は手にとる暇もない雑誌を何冊かパラパラとやって棚に戻した後、店内を一周して買いたいものなどないことに気がつく。身も心も疲れてはいるが、家に帰ってもどうせ眠れやしないだろう。寝酒に発泡酒を手にとってレジに向かいかけ、踵をかえして意味なく店内をもう一周する。僕以外のお客さんはいない。いつもなら素通りするスイーツコーナーで立ち止まったのは、見慣れないものが視界のすみに入り気にかかったからだった。
子どもが砂場で遊ぶ、小さなバケツほどはあろうかというビッグサイズのプリン。その存在感に思わず手を伸ばして、持ち上げながらその重量に「へぇー」という間抜けな声が口から漏れた。このプリンが僕の食道を通って、胃にすべりおちることを想像する。うまさより先に量の多さへと意識がおよび、腹の底のあたりが重くなってヒヤリと冷たくなった気がした。
大きなプリンでも小さなプリンでも、プリンの底のカラメルの比率は変わらない。これは黄金律なのだろうか。ORIORIの売り場の構成比を、決めつけでおこなってしまった自分に、急に自信が持てなくなる。プリンの大小にばかり目がいき、僕はそのことに気づけていなかったのではないだろうか。カラメルが少なすぎると、おいしさは損なわれてしまうのかもしれない。
結局、大きなプリンをもとの棚へと戻し、隣にあった小さなプリンを買った。いや、小さなというのは正しくない。普通のプリンだ。大きなプリンが隣にあるから、小さく感じられてしまうが普通のプリン。発泡酒とプリンというミスマッチな中身のビニール袋を下げ、自転車をおしながら考える。チェーンが空回りする「チッチッチッチ」とも「カッカッカ」ともつかない音が夜道に響く。考え事をするときは、いつも歩くことにしている。
書店の売り上げにおけるスタンダードなジャンル比率。これを変えてはいけなかったのかも知れない問題。プリンによってもたらされたその命題を、思考を拒否しようとする頭に鞭を打って考える。雑誌とコミックは、はたしてプリンのカラメルのような存在だったのだろうか。プリンをすくうと最後に表れる砂糖を煮詰めたとびきり甘い黒褐色。そのカラメルを求めて、人はプリンを手にとるのだろうか。いや、カラメルは十分条件であって必要条件ではないはずだ。カラメルがないプリンだってある。たとえば、焼きプリンの底にカラメルはあっただろうか……あったかも知れない。なめらかプリンは「なめらかさ」自体が売りだから、カラメルの有無にお客さんの意識は向いていない。よし、いいぞいいぞ、などと、従来のプリンの形にとらわれない新しいプリンを列挙していると、だんだんと家が近づいてきた。あ、そうだ。プリンアラモードがあるじゃないか、生クリームとフルーツをそえてカラメルの存在感をしのぐ興奮を演出してやればいい……そんな僕の頭のなかの考えにダメ出しするかのように、自転車がチッチッチッチと耳障りな音を立てる。