冷やかな頭と熱した舌

第22回
本屋とメディア
―読者の〈未知〉を〈既知〉に変える「接点」


(7割が読むのをやめたことを確認。マイノリティの方々、読んでくれてありがとう!)

■地元ラジオ番組に出ること

 もう6年間も地元のラジオ番組「朝からRADIO」に出演している。毎週木曜日、朝10時15分から始まるコーナーに月に一度のペースで。毎度、スタジオにお邪魔して収録に臨む。伊藤清彦元さわや書店本店店長の摑んだ成果を引き継ぐ形で、さわや書店がやらせてもらっているのだ。
 僕が出演するようになった契機は、田口幹人フェザン店店長からのパワハラである。初出演の数日前、田口店長の「松本さんはやらなきゃダメでしょう!」という一言で決まった。精いっぱいの抵抗の後、「月イチならば」との条件付きで了承したのは、大部分は圧力に屈したからだったが、残りの少しの部分で現状を変えたいという気持ちが働いたからだ。
 出演し始めた頃は頭が真っ白で、本番中に自分でも何を話しているのかわからない状態だった。放送事故になるのではないかと悪い想像ばかりが頭をよぎって、ノートの見開きにびっしりと文字を埋め尽くして生放送に臨んでいた。収録のある週は、月曜日から憂鬱で仕方なかった。
 はじめて録音スタジオを訪れた時、分厚い扉で仕切られた録音スタジオの前室で、長老みたいなおじさんに3か条を授けられ、「ゆっくりしゃべること」「アナウンサーと会話している感じを大切に」「これだけは伝えたいというものを持って臨む」とのアドバイスを授けられ、律儀にノートの1ページ目にしっかりとメモを取ったことを記憶している。2冊目のノートには書き写したが、ノートが3冊目に突入した5年目あたりから書き写さなくなり、4冊目のいまのノートにはメモ書き程度で臨むことも多くなった。本番前にはそれなりに緊張するが、当初有していたうしろ向きの感情はなくなっていった。それは、本が売れなくなっていっている現実と無関係ではない。きっと、作品のよさを伝えなければという使命感のほうが大きくなっているせいだと思う。

 だから、著者の方にも機会があればご出演いただいている。そして、出版社の営業担当が「これは売りたい」という本がある時には、スタジオにアテンドして思いのたけを喋ってもらっている。足代をこちらで負担しているわけではないので偉そうなことは言えないのだが、岩手に用事があるついでに出演交渉をすることもしばしばだ。その後、ラジオから地元の新聞社の文芸部へとつなぐという連係プレーも編み出して、いまではラジオ出演を目的に予定を組んで来てくださる編集者&著者も増えた。それらの過程で学んだのは、作り手の熱量が熱いまま読者に伝わると本は売れてゆくということだ。

■読者には〈出会った〉時が〈新刊〉

 ある作品が人知れずどこかで生まれたとして、どこかのタイミングで編集者の目が入り、アドバイスが与えられ、多かれ少なかれ別種の熱量が作品に加えられる。この時点の熱量がおそらく最大値だ。
 次にその作品を読むのは、編集者の上司だろうか。それともすぐに校正者の手に渡り、誤字、脱字、事実などを確認されるのだろうか。同時進行で装丁家が、作品の表紙を作る際にイメージを膨らませるために本文を読むかもしれない。次に書店を訪れる営業担当者が読み、営業会議にかけられて、その本の出版部数を決めるという手順を踏む。その後、広告部署の担当者などが読み、話題の作品は出版社内で多くの人の目に触れることになる。
 そして次の段階で、その作品は出版社から外に飛び出す。「これは」という作品はプルーフ(※刊行前からの宣伝のために校了前の原稿を仮製本した見本本のこと)を作成され、刊行前に書評家や書評欄を持つメディア関係者、書店員などの手に渡る。場合によっては、プルーフの配布は企画の初期段階になるかもしれない。それから書店に並べられた新刊を、一般の方は購入して読むこととなる。ここまでの過程で、熱量が加えられていけばよいのだが、そういう作品のほうがまれだ。村上春樹の新刊が出るたびにお祭りになるように、コアなファンがついている作家ならば書店が手をかけなくても過熱するが、ほとんどの作品は著者&編集者コンビの手を離れた瞬間から、熱量は冷めていってしまう。
 読者目線に立って考えると、作品に出合う瞬間とはその作品を「知った時」だ。つまりは出会った時が「新刊」なのである。創作側がいくら良い作品を書いたとしても、知られなければ売れないし、読まれることはない。つまりは未知を既知に変える「接点」が何よりも重要なのである。「接点」とは、作品と読者とを媒介するもの。それはすなわち「メディア」だろう。

作家の作品を単純に並べるだけでなく、その作家の略歴や生い立ちまで紹介することで、作品のより深い理解を演出するORIORIの棚

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