ちくま学芸文庫

東アジアの台頭と世界のゆくえ
世界システム論の射程

 一九八〇年代のはじめ、拙著『工業化の歴史的前提』(岩波書店)である賞をいただいた。その記念パーティのこと、審査員でもあった外国人の中国研究者が、私に囁いたことがある。前の週に中国に行ったという彼は、「日本とは違い、中国は一〇〇年たっても工業化はできない」と断定したのである。当時は、まだ、「マルクスか、ヴェーバーか」などという戦後史学の論争が残っていた時代であるが、この外国人の感想には、マルクス派もヴェーバー派も異論がなかったはずである。少なくとも、インドと中国は、どちらの立場からも、「アジア的停滞」の淵に沈む低開発経済の典型とみなされていた。

 それから半世紀、今日、「爆買い」に走る中国人観光客のニュースに連日接していると、世界の構造が激変した、といわざるをえない。「爆買い」現象はもとより、中国経済全体についても、揶揄やその脆弱さを指摘する意見には事欠かない。しかし、それも、追われる日本人の危機感の裏返しでしかないようにもみえる。一九世紀末、ドイツの台頭を眼前にしたイギリスでは、「ドイツの脅威」論が高まると同時に、ドイツの欠点をあげつらう議論が横行した。

 じっさい、一九七〇年代はじめ、ロンドンで暮らしていた私たちは、ブランド商品を買い漁る日本人観光客の姿に何度も恥ずかしい思いをした。「メイド・イン・ジャパン」は、いまの中国製品にも似て、粗悪品の代名詞であり、「舶来品」こそは高級品の代名詞であった時代に育った日本人にとっては、ロンドンやパリでの「爆買い」はやむをえない歴史の通り道でもあったのだ。日本人どころか、イギリスの富裕な階層もまた、一八世紀には、「グランド・ツァー」と称して、フランスやイタリアに留学し、価値もわからないままに美術品を買いあさる姿が、「がさつなイギリス人」として揶揄されている、と現地駐在のイギリス大使マールバラ公爵夫人が嘆いている。

 とすれば、さまざまな否定的な論評にもかかわらず、長期的・歴史的な目でみれば、中国の経済は、われらが来たのと同じ成功への道をたどっているというほかない。というより、それは、日本を先頭として、韓国や台湾やベトナムなどをも含めた「東アジアの勃興」というべき現象の一部である。当然、中国経済は今後、いくつもの試練を経験するだろうが、「失われた二〇年」や水俣やフクシマを経験した日本が、それをあげつらうことはない。

 問題は、この「東アジアの台頭」が一六世紀以来の「西ヨーロッパの台頭」とどのような関係にあるかである。西ヨーロッパを「中核」として成立した近代の世界システム(=資本主義の世界システム)は、地政学上、その中心を、オランダとイギリスからアメリカに振り替えて成長してきた。とすれば、二〇世紀最後の四半期以後の「東アジアの台頭」は、本質的にその続きなのか。つまり、ロンドン、ニューヨークの次が東京や北京ということなのか。それとも、二一世紀の世界はもはや近代世界つまりヨーロッパ的・資本主義的な世界とは異なる、新しい価値観で動く、新しい世界に突入しつつあるのか。

 中国の優秀な若者がどんどんアメリカに流れ、アメリカナイズされていくのを見ると、現状は、近代の延長としかみえない。近代ヨーロッパの世界システムは資本主義の世界システムであった。資本主義の定義はさまざまであるが、マルクスが「資本の飽くなき自己増殖欲」を説き、「反共産党宣言」を副題とする一書で売り出したロストウもまた、「持続的成長」を唱えたことからすれば、「成長」がなくば「死」という「成長パラノイア」こそが、資本主義の本質であるともいえる。ローマ・クラブが公害や人口爆発による「成長の限界」を論じて半世紀を超えたが、世界が「成長パラノイア」の呪縛から脱することは、「東アジアの台頭」をもってしても、難しいのかもしれない。

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