被差別部落出身のフリーライターである評者は、表現に関して言えば、描かれる側であり、同時に描く側でもある。二つの立場を持つ身にとって、問題表現が網羅されている本書は考えさせられるところが多かった。知らなかった、あるいは忘れていた事例がけっこうあり、あらためて「この人が!」「こんなことが!」と驚いた。
例えば――。正岡子規の句に「鶴の巣や 場所もあらうに 穢多の家」がある。あの子規が、よくもまあ、こんな句をつくったものだと思う。86年刊の講談社学術文庫の解説は、部落解放同盟の糾弾を受け「(穢多を)差別用語として指摘できる」が「あきらかな差別意識に根差している」に差し替えられた。岩波書店版には何の注釈もなかった。そのため、読者からの抗議を受け、岩波は出品を停止した上、配本済みのものは返品措置をとった。おすぎとピーコは87年に、雑誌『話の特集』の編集長インタビューで「二人の出生の秘密」を聞かれ「あたしたち、別に御落胤でもなければ穢多非人でもないんだから(笑)」と答え、解放同盟の抗議を受けている。
「部落」「部落差別」という言葉をめぐる騒動もある。89年に発刊された『週刊ポスト』の中吊り広告に「部落差別」の文字があった。差別反対をテーマにした記事だったが、JR東日本と営団地下鉄は「差別を助長しかねない表現」という奇妙な理由で、中吊りを拒否した。山形県での国体を控えた90年には、県内の市町村で「部落」という言葉を追放する動きがあった。集落という意味の部落が、被差別部落と混同されては困るというのがその理由だった。いずれも的外れかつ根深い忌避意識を物語るエピソードである。
差別と表現に関して著者は言う。「差別語を消しさって否定することは、日本文化の否定にもつながる愚かな行為といわねばならない。誤解をおそれずにいえば、使用してはいけない差別語なるものは存在しない。抗議すべきは、差別語を使用した差別表現に限られる」。あくまでも侮蔑、排除を意図しているのか、あるいは意図せずとも結果的にそう捉えられるかどうかが問われているのだ。部落解放同盟あるいはその前身の全国水平社が、一貫して唱えてきた主張である。
要は言葉の使い方である。たとえば「特殊部落」という言葉は、文筆家やテレビ出演者が“閉鎖社会”を表現したいがために安易に使用し、解放同盟に繰り返し糾弾されてきた。部落問題に対する無知、知ろうとしないという問題に加え、部落解放同盟糾弾史を知らないからである。そもそも表現には、差別扇動や社会的弱者への侮蔑があってはならないことをマスコミ関係者は知っておかなければならない。子規の句の「穢多の家」に、他のどんなマイノリティが入っても問題であろう。
ただ、部落解放同盟の糾弾は、ややもすればマスコミ関係者を萎縮、思考停止させ、言葉狩りや言い換えの跋扈を招いたことは否定できない。著者は部落解放同盟のマスコミ担当の一員として、長らく差別表現の糾弾に携わってきた。その解放同盟が社会的影響力を失ったことについて「(組織の)弱体化の原因は、抗議しやすい企業、宗教、メディアに対してのみ糾弾を行い……本来の対象である権力に対する糾弾を回避するようになった」と分析する。著者もその一員ではなかったかと思わないでもない。組織の弱体化は、解放同盟の糾弾によって一定の効果があらわれ、以前に比べて差別がなくなってきたことに加え、高圧的なイメージがある糾弾という手法が普遍性を持たなくなってきているからではないか。
糾弾は部落解放運動の生命線と主張し、部落差別を法と制度によってなくしていくことに批判的である著者が、ヘイトスピーチに対する法規制を訴えるのは整合性がないように思える。民族差別と部落差別は別なのだろうか。
本書は部落問題のみならず、国内外の差別にも幅広く触れている。差別、表現、解放運動を考える上で示唆に富む一冊である。