ちくま学芸文庫

ほんとうの『古寺巡礼』
ちくま学芸文庫版の刊行に寄せて

 国際政治学者、坂本義和が昨年に刊行した自伝、『人間と国家――ある政治学徒の回想』(全二冊、岩波新書)の上巻には、旧制第一高等学校の学生だったころの思い出として、和辻哲郎の『古寺巡礼』(岩波書店、一九一九年)をめぐるこんな話が記されている。時は大東亜戦争のさなかの一九四四(昭和十九)年。戦局は悪化し、すでに工場への勤労動員を経験していた坂本は、やがて自分も徴兵されて戦場へ赴く運命について、考えこんでいた。そして「日本文化」を護るために兵士になるのだと思い定め、その決心を確認するかのように、京都と奈良へ旅に出る。

 四四年の初秋、和辻哲郎『古寺巡礼』などを携えて、京都や奈良の寺社、とくに仏像を訪ねて一人で歩きました。京都太秦の広隆寺の弥勒菩薩、奈良法隆寺の百済観音、薬師寺の薬師如来、月光、日光、中宮寺の観音などの仏像は、私の心に応じて表情が変わりながらも、慰めの微笑と深い沈潜の厳しさとで包み込んでくれる。戦中でもあり、観光客などおらず、誰にも乱されずに、ひとり時間を忘れて仏像を見つめることができました。

 坂本が見て回った仏像は、和辻の『古寺巡礼』がとりあげているものとほぼ重なる。この場合、兵士としての出征の運命がのしかかる戦時中の若者という、切迫した精神状況に置かれた青年であるが、和辻の『古寺巡礼』という本がもつ強い力を、よく示しているとも言えるだろう。
 この本は、一九一八(大正七)年五月、数え歳で三十歳だった和辻が奈良を旅行した体験を中心にまとめられたものである。それを一読した読者が、自分も和辻と同じように仏像を鑑賞したいという思いに駆られ、本を手にしながら同じ順路をたどって奈良を歩いてゆく。そうした感染力がこの作品にはある。
 刊行されるとたちまちに、旧制高校生の必読書の一つに挙げられるようになり、いまも岩波文庫版(一九七九年)が版を重ねているのも、そうした特色のゆえだろう。以前に和辻に関する拙著を出したとき、『古寺巡礼』だけは熱心に読んだという知人が意外に多く、人気の持続ぶりに驚いたことがある。
 しかし、いま岩波文庫版や『和辻哲郎全集』第二巻(岩波書店、一九六一年)で読めるテクストには、この作品のそうした力を味わうためには、大きな欠点があった。それは、三十一歳の和辻が書いた初版ではなく、一九四六(昭和二十一)年、五十八歳のときにそれを大幅に改訂した本文なのである。
 この改訂のさいにつけられた「改版序」には、「その後著者は京都に移り住み、曾遊の地をたびたび訪れるにつれて、この書をはずかしく感ずる気持ちの昂じてくるのを経験した」とある。そして、章だてを整理しなおし、表現を簡潔なものへと書き改めたのであった。和辻が自分の著書に改訂を施す例は多く、『古寺巡礼』についても、このたびのちくま学芸文庫版の解説で衣笠正晃も示すように、厳密には一九二四年、三九年、そしてこの四六年と三度にわたって改訂されている。
 しかし、この四六年改訂版では、一九一九年の初版にあった、文章の熱気や生々しい独白が削られてしまっている。このことは、岩波文庫版に付した解説で谷川徹三が言及しており、広く知られてはいたが、戦前の版、とくに初版は入手しにくく、若き和辻によるテクストにふれるのは難しかった。たまに図書館に所蔵されていても、表紙がつけかえられていて、和辻が自分で試みたせっかくの装訂を味わえなかったりする。
 今回、その初版に基づくテクストが、原本の掲載写真と扉のデザインも再現しながら、ちくま学芸文庫で刊行された。これこそがまさしく、かつて多くの若者を古都の旅へと誘った、『古寺巡礼』の正典なのである。

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