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日本のドラッグストアが中国人観光客に人気のわけは? インドネシアでポカリスエットが大人気に? 台湾の吉野家にカウンターがない理由は? 日本企業のアジア進出の成功と失敗の豊富な実例から、アジア市場の論理が見えてくる! 9月刊『消費大陸アジア』の序章を公開します。

標準化戦略か適応化戦略か
 
実は、このような問題を解決する学問が、国際マーケティングと呼ばれる領域である。近年はグローバルマーケティングと呼ばれることも多い。ただし、この領域が現在の多くの企業や自治体の悩みに的確に応えられているかというと、必ずしもそうではない。どういうことであろうか。この背景を知るために、ごく簡単にこの領域での研究の流れを振り返り、その課題を明らかにしておきたい。
 さて、この領域は1960年代にアメリカで生まれた。当時、アメリカでは巨大な多国籍企業が次々に誕生し、世界の市場に向けて多くの製品を販売しようとしていたからである。以来、これまで多くの研究者たちがさまざまな議論を繰り広げてきた。詳細は省くが、そこでの議論の焦点は、「標準化―適応化問題」であった。
 端的にいえば、海外市場に進出するにあたっては、母国と同じ商品や手法で進出すべきか、それとも現地市場の特性に合わせて商品や手法を変更して進出すべきか、ということが命題となり、それが長年にわたって研究者の間で議論されてきたのである。前者は標準化戦略(グローバル化戦略)と呼ばれ、後者は適応化戦略(ローカル化戦略)と呼ばれる。
 標準化戦略は母市場と同じ商品や手法で進出するため、効率的でコストが削減できる。これに対して、適応化戦略は個別の市場特性に合わせるために受け入れられやすい面があるが、適応化を行うためのコストや時間が必要となる。
 80年代まではどちらが有利かという議論が多かったが、90年代以降は二者択一ではなく両者を組み合わせた戦略が論じられるようになる。何(どの部分)を標準化し何を適応化させるのか、つまり何を世界的に統一し何を現地に合わせて変更するのか、ということが議論の中心になってきたのである。したがって、現在では、多くの企業は標準化と適応化をどう組み合わせるのかを探っているのが実態なのである。
 とはいえ、筆者がこれまで見てきた限りでは、進出当初こそ標準化と適応化のバランスを探るものの、思うような成果を出せず、次第に現地適応化の方に大きく傾いていくパターンが多い。海外の現場を訪問すると「海外市場は何もかもが日本と違っていますから、結局は適応化の連続です」という声を多く耳にするのが実態なのである。
 近年の国際ビジネス関連の本や雑誌記事などを見てみると、日本企業の「現地適応化」のケースを紹介するものが増えてきている。これは研究者も同様で、1980年代後半から90年代には標準化=グローバル化戦略を重視する研究が多く見られたが、2000年以降は次第に適応化=ローカル化戦略を重視する研究が増え、近年では適応化を「前提」とする研究が増えているように見える。企業行動の実態を見る限り、また企業の経験が蓄積されるにしたがって、標準化戦略はあまり現実的ではないという認識が実務家の間にも研究者の間にも浸透してきている。そして、いかに適応化をすればよいかを探ることが、現在のテーマとなっているのである。「グローバル」企業を標榜する企業が多かった時代から、現地適応化も重んじる「グローカル」企業を強調する企業が増えたのも、このような流れを反映している。

グローバル・ブランド
 
このように、近年では企業現場(実務家)も研究者たちも現地適応化の方向に軸足を移しつつある中で、その揺り戻しも見られる。それは、行き過ぎた適応化をやめて、世界的に統一する部分を増やしていこうという動きである。そのキーワードが、グローバル・ブランドの確立である。
 現地適応化は重要ではあるが、現地市場の特性や消費者特性を正確につかむことは容易ではないし、市場調査には大きな費用も生じる。現地市場に合わせた商品開発も、けっこうなコストと時間を要する。進出先市場が1つや2つの時代ならまだしも、10、20と増えていくにつれて、そのコストや悩みは急激に膨らみつつある。加えて、いわゆるグローバル人材も不足してきている。現地適応化は現地の情報を的確に把握し、どのような適応化が必要なのかを判断する必要があるが、それを適切に「判断」できる人材の確保や育成が追い付かなくなってきているのである。
 一方で、コカ・コーラ、ユニリーバ、マクドナルド、ルイ・ヴィトン、シャネルなど、世界の名だたるグローバル企業を見てみると、商標やトレードマークはもちろんのこと、商品名やデザイン、仕様を厳しく統一するところが多くある。すなわち、世界標準の商品を統一された手法で販売することで、自社のブランド確立に成功しているのである。社名が世界的な信頼を獲得していて、商品イメージが世界的に高い企業は、細かな適応化などしなくても、いわゆるブランド性そのものを売ることで多くの市場に進出が可能となる。むしろ、消費者の方が商品の価値に合わせてくれるようになる、ともいえる。
 このようなことから、近年の日本企業は、市場ごとにバラバラであった商品名の世界統一化、デザインの統一化、宣伝手法の統一化、販売管理手法の統一化、人事管理と人材育成の統一化、商品開発や品質管理の統一化(集中管理化)などを行い、社内のさまざまな基準を世界的に統一(標準化)しつつある。そうすることで、効率化を進め、多くの市場で商品や企業の認知度を上げて消費者の信頼を獲得することをめざしている。
 したがって現在は、現地適応化を重視しつつも、同時にグローバル・ブランド確立のための標準化も追うという戦略が企業の中に広がってきているのである。研究者の中にもこの新しい問題を追求する人たちも現れており、実態分析と理論の両面で研究が進みつつある。

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