昨日、なに読んだ?

File48.雑食の荒唐無稽な力を味わうための本

ジョー・イデ『IQ』(熊谷千寿訳)

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。 【さやわか(批評家)】→→雁須磨子(漫画家)→→???

 カルチャー全般について批評を書く。それが僕の仕事だ。
 昨今、そういう雑食志向は訝しがられる。オールラウンドな語り手よりも、専門家が尊ばれるのだ。「ナントカ専門家」が語ったほうが、もっともらしいと思われるのだ。
 しかしそれでも、僕はこの雑食をやめない。へそ曲がりなのだ。実は広い分野の、膨大な数の作品を消費するのは、ものすごく大変なのだが。体力がいる。
 どうやったら、それほどたくさんのジャンルに詳しくなれますかと、訊かれることも多い。ただコツと呼べるほどのものはないのだ。がんばれば、誰でもできる。ジョギングだって最後まで走るのは大変でしょう。それと同じだ。幅広いカルチャーを渉猟するのは気楽な遊びなんかではない。少し根性の必要な、スポーツだと思えばいい。
 強いてコツを言えば、僕は各ジャンルの概況がわかるまで集中的に作品を追い求める。そして、ある程度理解できたら、強制的に全く違うジャンルへと興味を変えるようにしている。こうすると、マニアックな嗜好に流されすぎず、また飽きることもない。どの分野に対しても新鮮な心持ちでいられるのだ。まあ、飽きっぽいだけなのかもしれないが。
 そんなわけで、この年末は海外ミステリを集中的に読みまくっていた。ミステリは作品数が多く、読者も活発だ。だからジャンルの動向を自分で調査するよりも、年末などにまとまった情報を見たほうが効率がいい。そういうところは、マンガなどと傾向が似ているかもしれない。
 さて、ジャンル全体の動向とは必ずしも関係ない部分で、僕が個人的に好ましく思う作品というのがある。昨年のミステリでは、ジョー・イデ『IQ』(熊谷千寿訳、早川・ミステリ文庫)がそうだった。
 作者はアメリカの日系人作家。作者自身の出自である、ロサンゼルスの黒人コミュニティを舞台にした小説だ。そうした概要を記すだけで、多様性やディアスポラなど、今日的な背景を強く感じられるに違いない。
 主人公のアイゼイア・クィンターベイも黒人だ。この小説を売るための惹句として「黒人版シャーロック・ホームズ」なんて言葉も使われているらしい。アイゼイアの神がかった頭脳明晰さと、腐れ縁の友人とコンビを組んで事件にあたることから、そう名付けたのだろう。
 ただミステリファンがどう思うかわからないが、僕はホームズよりもマーロウ、つまりレイモンド・チャンドラーを感じた。もちろん、まずは舞台が犯罪のはびこるロサンゼルスというせいもある。2パック、ノートリアスB.I.Gなどのラップミュージックや、「GTA」などのビデオゲームについて豊富に言及されるのも、街の猥雑な印象を盛り立てる。そして、そこで肩肘張って生きる、奥底にもろさをもった探偵。その姿に、僕はマーロウを感じていた。
 先ほど書いたように『IQ』は今どきの作品だ。だから当然、読んだ印象はチャンドラーとひどく異なる。しかしこの現代性も、たとえば『湖中の女』などで第二次大戦期の世相を活写したチャンドラーと近しいように思える。小気味いい。
 もっとも、僕がこの作品を一番気に入ったのは別の点。チャンドラーとは似ても似つかぬような部分だ。というのも、まず主人公アイゼイアの依頼者は、莫大な富を築いた、だらしのないラッパー。敵となるのは、彼を狙う暗殺者だ。そして、その暗殺者の武器となるのは、なんと独自の品種改良で生み出した巨大な猟犬なのだ。えっ、犬!?
 想像してほしい。でかい犬と戦う、頭脳明晰な黒人探偵。なんて絵面だ。もしかしたらホームズの名が囁かれているのは「バスカヴィル家の犬」に引っかけてのことだろうか? しかしこちらは化け物みたいに巨大な、正真正銘の魔犬だ。アイゼイアは勝利のため、007のようなハイテク武器までも駆使する。由緒正しいミステリの気風は、ここにはない。
 僕は思った。そういえば、この物語が描いているラップミュージックやビデオゲームなどのカルチャーでも、こういった荒唐無稽なところが、楽しいのだ。そんなものを、大まじめで語り出す。僕はポップカルチャーの、そういうジャンクさがずっと大好きだったのだ。
 極彩色の着色料でコーティングしたような、油でぎとぎとしたような味わい。そういう舌のしびれる思いを繰り返したくて、僕はいろんなカルチャーを追い続けている。たぶん、僕自身もノイズまじりでありたいから、雑食から離れられないでいるに違いない。ホームズやマーロウは、そういう探偵ではなかった。しかし『IQ』のアイゼイアには、それを感じた。
 

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