紙子と学校

都心の一等地にあり、帝に仕えるための特殊技芸者を養成する中高一貫の女子校・玉笛女子学園。中等部に入学し寮で同室となった紙子と陽子は、不思議な先輩や先生たちとの交流を通じて成長していく。気鋭の詩人による和風学園ファンタジー、ここに開幕!(カット:鯨庭)

「真っ直ぐ座らないと、落ちるよ」
 黄麟(きりん)と呼ばれる牛の背中がよじれるように傾き、鞍からずり落ちそうになった紙子を美津子は軽々と左手で押し戻した。
 黄麟の背には大きな斑(まだら)模様がある。暗闇にいながら、体の内側に灯りがともるように、斑が発光しているために電灯要らずで、夜歩くには便利だろう。電灯のない道でも、真っ直ぐに歩ける。
 きりん、という名前ながら体型は牛そのもので、顔は「おじいさん」の顔をしている。垂れた頬、髪の毛のない頭は、どこか老僧を思わせる。黄麟の顔は、美術の教科書で見た「達磨大師」に似ていると思う。
 五年生の美津子は、一年生の紙子にとって不思議と気安く思えた。
 紙子は宮内便(くないびん)を使って、高等部の美津子に手紙を出した。宮内便は宛先さえ正しく書けば、玉笛校内だけではなく、須城、宮中にも手紙や書類・荷物などを届けることができる、宮中の郵送システムだ。
 夕食後、玉櫛寮を出て、校舎の昇降口脇にある大欅に行くと、約束通り美津子が立っていた。
「ホームシック?」
「ちがいます」
「ちがうの?」
 美津子は心底意外、という表情だった。
 もう中学生なのに、高校生の美津子にとって紙子はどれだけ子どもに見えるのだろう。
「この年にもなって、ホームシックにはならないです」
「まあ、歩きながら話そうか」
 美津子の背から、黄麟が顔を出した。

 最初は美津子の背につかまる姿勢で黄麟にまたがったものの、背が小さく動物に乗り慣れていない紙子は中々バランスを取ることができなかったために、美津子の「前に乗って」の一声で美津子に背を支えられながら乗ることになった。なんだか、以前牧場で見た幼児向けのポニー乗馬体験のようだと思った。
「どれだけこういう神獣がいるんですか?」
「たくさん。自分でも、把握しきれないほど。体が、神獣を取り込むようになってるんだ。『百穴』ってどこかで見たことある? 山の斜面にいくつも横穴を掘って、その一つ一つに神様みたいなのを祀ってある場所があるんだけど。そんな感じで、私の体には、目に見えない穴がたくさん空いているらしい。そこに、白麒やら、黄麟やらが住んでる」
 まるで動物園のように、多種多様な神獣たちがマンションの窓から顔を出している様子を想像した。黄麟の背からは、熱気のこもった獣のにおいがする。体毛の生えた獣のにおい。紙細工の牛と神獣は、やはりちがうのだと思った。
「神獣たちの集合住宅なんですね」
 集合住宅、という言葉に美津子は苦く笑った。
 黄麟の背にのって鎮守の森にさしかかると、蛙の声が響いて聞こえた。
 こんなに蛙の鳴き声がするということは、この近くに広い水辺があるのだろう。
 今夜は月が明るいので、空は漆黒というよりは暗い紫色に近い。かすかに発光する夜空を背景に、黒い山々が見える。その中に、ぽつんと電光が一つ見える。
「あれが烏山。あの灯りは、八瀬童子たちのお屋敷かな」
 八瀬童子。その名を聞いて、胸の中に冷たい水が流れるような感覚があった。
 黄麟が砂を蹄で踏み締める音、蛙や虫たちが織りなす合唱が辺りに響く。
「美津子さん」
「なに」
「月食を受けた人のお葬式は、烏山でするんですか?」
「葬式? 宮中の人間の弔いは、普通やらないよ」
 紙子は、手綱をとり背後を支えている美津子を思わず振り返っていた。前向いて、落ちるよと美津子は諫めた。
「家で内内のお弔いをするところもあるかもしれないけど、宮中ではしない。そもそも、宮中で『死』は発生しない定義なんだよ。死はあくまで『穢れ』だからね。烏山は玉笛、宮廷、須城にそれぞれ面していて、月食を受けた人間は、八瀬童子によって烏山に運ばれる。烏山で、ある意味で生き続けるというイメージかな。知らないの?」
「初めて聞きました。父からも、宮中で亡くなった人の弔いはそもそもしないということは、聞いたことがありません」
「それは、ひょっとしたら幸せなことかもしれないよ。うちは、実際に親族が烏山に運ばれたこともあるから知ってるだけかも」
「親族って、どなたが」
「母親。まだ、玉笛に入る前の時に。その時も、宮中でも家でも葬式はしなかった。ただ、母親は『ご先祖』になったって言われ方をしたよ」
 なんとなく、大人びた美津子は母親と仲の良いイメージがあった。学生ながらこうして家の仕事に長けているのは、早くに仕事を継いだからだったのだと、初めて合点した。
「母さんが烏山に行ってから、否応なく家の仕事をするようになった。実は今でも母さんの仕事を継いだつもりもないんだけど、ふとした時に力がわいてくるような感覚になることがあってね。母さんを感じるというか。亡くなった人を反芻するために家の仕事を続けるって、なんか変だよね」
「全然変じゃないです。かっこいいです。美津子さんは」
「え、そう」
「見た目の話じゃないですよ」
「おい、こら!」
 美津子は紙子の肩を小付いた。二人の笑い声が森の中で響いた。
「私も、母親いないんです」
「そうなの?」
「記憶もないくらい小さい時に、兄だけ連れて家を出て行ったみたいで。母は陰陽師だったので、おそらく宮中に。兄は須城にいると思うんですが」
「親の行動ってさあ、子どもは深読みするよね」
「ほんと、そう。子どもの時から、ずーっと考えてるんです」
顔を真正面で見られない気安さからか、紙子は母について初めて本音が口を出たと思った。

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