「月食」とは宮廷用語で、帝の家臣が人為に食われることを指す。
五月、玉笛構内で「月食」が起きた。
内侍の職能訓練を受けていた一年生の姿が突然見えなくなった。
翌日の明け方、烏の鳴き声とともに顧問と職員が見つけたのは、血溜まりと、校庭の隅に不自然に立つ柳の木だった。柳の枝は、瑠璃色の制服をまとっている。胸元には黒い学年章が光り、傍らの草花は血で濡れそぼっていた。
人為は、自然物が人の姿かたちとなる病である。
時に人為は人間に襲いかかり、噛んだ人間を自然物に変えてしまう。
人が自然界を支配し生きていく上での、反動のようなものだと言われている。
黒い三角の頭巾を肩まで垂らした男たちが現れ、丁寧に青柳の根を掘り起こす。
「八瀬童子だ」
八瀬童子は、宮中の葬儀を取り仕切る集団だ。
校舎の螺旋階段には、学生たちが鈴なりになって成り行きを見守っている。
朝靄(もや)とともに、喉を焼くようなにおいが微かに鼻をつく。血のにおいはあまりしない。
(変なにおい)
嗅いだことのないにおい。
これは人の死の穢れのにおいか。人為の呪いのにおいか。直感的に鳥肌の立つにおいだと思った。この場を立ち去るべきかとも思ったが、紙子は目を離せずにいる。
「土に混ざると、不思議と血のにおいって消えるんだよね」
気がつくと、紙子の隣に美津子が立っていた。
「無理して見なくていいよ。玉笛含め、宮中にいる限り、珍しいことではないから」
何も答えられずにいると、美津子は紙子の肩に手をおいてくれた。
八瀬童子たちの黒頭巾が、烏山へと消えていく。水を撒き、革布で血痕は丁寧に拭き取られ、もはや奏子の死を感じさせるのは掘り起こされた土の黒さだけだ。それも午後から降る雨で、すぐに分からなくなるだろう。
螺旋階段の鉄柵を握りしめていた手のひらからは、強い鉄の香りがした。
(私には、八瀬童子に運ばれるような死を受け入れる覚悟は、ない)
教室に向かう紙子の足は震えた。
授業中、前方の席に座る陽子を見ると、顔が青白かった。
奏子の席は空いていた。
今日は誰も、密やかな笑い声など漏らさない。クラスメイトたちは皆、まるで教科書に何か大切な暗号でも書いてあるかのように、机上に目を落としている。
鐘が一つ一つ鳴るたびに、教師が入れ替わる。授業が始まる。
奏子のことについて、誰も触れない。奏子がいなくなったことに気づいていない訳ではない。先生の視線が、ふと奏子の席に止まる瞬間がある。
その度に、紙子は奏子の最期の瞬間を思わずにはいられなかった。
翌朝登校すると、奏子の席は撤去されていた。
奏子の後方にあった席が、一席ずつ前にずれている。
月食から一週間経った時、「あれから一週間経つんだね」と誰かが小さな声で言った。それから、堰を切ったように話し始めた。
寮の夕食の時間に聞いたのは、再来年になれば奏子の妹が、亡くなった姉の代わりに玉笛に入学するだろうということだった。