紙子と学校

都心の一等地にあり、帝に仕えるための特殊技芸者を養成する中高一貫の女子校・玉笛女子学園。中等部に入学し寮で同室となった紙子と陽子は、不思議な先輩や先生たちとの交流を通じて成長していく。気鋭の詩人による和風学園ファンタジー、ここに開幕!(カット:鯨庭)

 玉櫛寮から烏山へと向かう道を外れた先に、「寅の道」と呼ばれる地下道がある。
「寅の道」は、陽子の一族のみ使用を許された、私道のようなものだ。この地下道を歩いて行けば、三十分ほどで家の敷地に入ることができる。寅の道のほかにも十二支になぞらえた地下道が存在し、帝と特に古い関係をもつ十二の家が、この宮中に私有の道を所有している。
 石につづられた「帝国陸軍第十一坑道」という文字を、陽子は指でなぞった。
 地下道を形成するために詰まれた石には、一つ一つにこの文字が記されている。錐のようなもので文字を彫ったもの、墨で書かれたものもあれば、略字のような記号が付されたものもある。
 宮中を覆う森林は、樫、椎、楠の三種が主林木である。当初は栃木県日光市に鎮座する東照宮になぞらえて、杉の木を主林木とする計画であったらしいが、東京都心の気候に杉の木は根付かなかったらしい。
 ただ「寅の道」の入り口には、目印として特殊な杉の木を植えている。樹齢百年を超えるこの木の根の下に、ぱかりと開いた目のような形をした入り口がある。ここから、身体をかがめて入り込む。
 この道は大正時代、関東大震災により宮中が壊滅的な被害を受けた際に造成された。当時の人の体に合わせて作られているために、身長が一七〇センチを超えた陽子にはこの入り口は少し小さすぎる。以前、紙子をこの道に連れてきたとき、欠陥品のように思っているこの小さな入り口を、華奢な紙子がやすやすと通り抜けたのを見て、まるで少年のようだとおかしかった。
 紙子は、この地下道を怖がっていた。戦後解体された旧帝国陸軍が造成を主導したこの地下道は、どこか荒々しい印象がある。歪で不恰好とも言えるこの石詰みが、まるで生き物の腹の中にいるような空気感さえ与えている。
 それでも陽子は、自分を隠すように薄暗いこの道が好きだ。いっそ地上にいるより、こちらにいる方が、深く呼吸できると感じることすらある。
 学校指定のナイロンバッグを脇に携え、陽子は家に向かって歩き出した。
 ふと、祖母の顔が頭をよぎった。
 それから遅れて、あの時自分を呼び止めた、九堂の声がよみがえる。
『もし土の中に入ってしまっていたら、お祖母様を訪ねてはいけません』
 九堂がそう言ったとき。祖母は、まだ生きていたのだろうか。
 それとも、そのときにはすでに羨道をくぐり、石室に入っていたのだろうか。
 陽子は湿った石壁に手を預けた。肩から提げた、空のナイロンバッグの紐を体に引きつける。
 永遠に解決することのない問いであると、自分でも分かっている。
 この道は屋敷に近づくにつれ、徐々に狭くなっていく。自由な身動きがとれなくなる。

   *
 

 陽子の祖母が「幡」として石室に入ったのは、帝崩御の報せからわずか一ヶ月ほどのことだった。陽子が宮中の初等科二年だったとき、あの時は七歳だった。
 古い家柄であると、食事は男女別室でとるものだ。男性が座敷の間で食べて、女性は勝手場に続く板の間で食べる家が多いが、陽子の家はそれが逆転している。当主を、代々女性が継いでいるためかもしれない。男性と使用人たちは、勝手場の続きで食事をとっている。
 あの日はいつものように、祖母と母、妹たちと、親族の女らと座敷で膳を囲んでいたとき、戸が揺れる音がした後に、伝令、という知らない男の人の声が聞こえた。
 廊下奥の電燈が点けられ、座敷を囲う霜降り硝子の模様が濃く浮かび上がった。
 陽子は身を浮かしかけたが、母も誰も立ちあがろうとしないので、そのままじっとしていた。玄関の方で慌ただしく誰かが話す声、人が入れ替わる音、足音が無配慮に響いて、幼い陽子の好奇心はうずうずとした。自分も駆け出して、何があったのか玄関へ聞きに行きたかった。妹たちと目が合う。妹たちは、何が起こっているのか陽子から聞きたい。
 陽子にも、分からない。日の沈みきった夜の時間に、宮中から伝令がやってくることはほとんどない。なんだか、日常に亀裂が入ったような高揚感がある。妹たちから視線で促され、陽子は大人たちを見る。祖母と母は、黙って箸を動かして膳に取り掛かっている。ただ、祖母と母以外の親族の女たちは、視線を彷徨わせている。箸が止まっている。
「石子様」
 祖父が九堂を脇に従えて、座敷の戸を開いた。食事中に座敷の戸を開くとき、祖父は立ちながら戸を開くことはしないが、少しくだけたように、片手で戸を引き、もう一方の手は膝の上に置いている。それがその日に限っては、きちんと両手で戸を引き、指を合わせて礼をしたのだ。肩まで垂れる白髪の房が、畳についた手の甲に触れるまで頭を下げる。青年というよりはまだ少年に近い年頃の九堂は、祖父の後ろでいつものように目を伏せ、口を引き結んでいる。背中で結んでいる艶やかな黒髪が、電燈に照らされ紫色を帯びて見える。
「宮中より、石子様へ宛てた詔勅を携えた、伝令の者が参りました」
「ああ。ついに来たのだな」
 いま行こう、と言いながら、祖母は箸を置き、立ち上がりながら、藍鼠色の着物の裾と襟を指で撫で整えた。着替えるのだろうかと思ったが、祖母はそのまま伝令の者が待つ玄関へと向かった。
「なんで、泣いてるの?」
 四歳になったばかりの末の妹の声が響いた。大叔母は声を出さず、目から僅かに垂れる涙に、襦袢の袖を引き出して押しあてていた。
「陽子ちゃん。おばあさま、石子様は、立派な人だったわね」
 この屋敷に居住を許されている女は、一族の「石化」の血を内に抱えている者だけだ。大叔母は祖母や母、そして陽子のように、全身が石化することはなく、身体の一部分のみが石化するのだと聞いた。その程度の石化では「幡」にはなれないが、大叔母自身の希望もあるのか、この屋敷で生活を共にしている。
「幡」とは、荒ぶる魂をその内に留める、という意味がある。「幡」と名に付く神社仏閣は多数あるが、疫病神となった荒魂を神として鎮め、結界の中に押し留めている。人は死ぬと、必ず怨霊になるのだ。
 この国の神話で、不義の疑いをかけられた巫女が自ら死に、その腹を割くと、中に石が入っていた、という話がある。その石は美しい女の姿に変身し、帝崩御の際に、その魂を荒れさせぬよう、つまり「幡」として、死んだ帝の肉体とともに、虎落(もがり)を経て、石室に収められた。
 死んだ巫女の腹から出てきた石が、陽子一族の祖先なのだという。先帝の魂を、自ら「幡」となって鎮める仕事を代々受け継いでいる。
 宮中の幼稚舎に入る前から、祖母や母、親族たちから何度も聞かされ続けてきた話だ。それをどこか、おとぎ話のように聞いていたのだった。当主が「幡」として出仕させられるのを見たのは、陽子にとって初めての機会だった。
 それから祖母は座敷へ戻ることもなく、寅の道を通って宮中へと向かった。虎落(もがり)の期間を過ごす間の生活道具を持つこともなく、宮中からの使いの者に付き添われて虎の道へと入った祖母は、仕事というよりは捕縛されているようにも見えた。