紙子と学校

都心の一等地にあり、帝に仕えるための特殊技芸者を養成する中高一貫の女子校・玉笛女子学園。中等部に入学し寮で同室となった紙子と陽子は、不思議な先輩や先生たちとの交流を通じて成長していく。気鋭の詩人による和風学園ファンタジー、ここに開幕!(カット:鯨庭)

 白い紙を切ったような月が浮かんでいる。
 研ぎ澄ました刃先をあてたくなるほどに、光と闇の切れ目は鋭利だ。

 都志見(としみ)の足下には影が伸びている。ふと何かが傍を通り過ぎたような気配があり目をやると、驚いたように振り返るのは自分の影だけだった。己の未熟さに呆れながらも、自分の背に立つ太刀の影を眺めては誇らしい気持ちになる。子どもの頃から憧れてきた兄連中の姿に、都志見も追いつきつつあるのだ。女や子ども・老人らの生活集団である「輪」から離れ、八瀬童子の「列」に加わることを許されて自分だけの太刀を与えられたのは、十三歳の誕生日を迎えた先月のことだ。
「都志見」
 広都(ひろと)が小さく手招きをしている。広都は烏山で暮らす、八瀬童子の兄連中の一人だ。宮中で亡くなった者・月食を受けた人間を、烏山にある岩室に仕舞い入れるのが八瀬童子の主な仕事である。八瀬童子の兄連中は長い頭巾を胸まで垂らしており、日中の多くを烏山の木陰や岩室の中で過ごす。そのために、男にしてはかなり色の白いのもいる。その中でも、広都はよく目立つ。肩先まで垂らした黒い頭巾が、他の兄連中よりも広都のはっきりとした目鼻立ちを際立たせている。背の高さも、頭ひとつ年長の兄連中より高い。
 岩室の入口に立つ広都の方に、都志見は駆けて行った。岩室の周囲に焚かれた篝火が爆ぜる。小さな火の粉は、湿気の立つほどに鬱蒼と繁る植物に冷やされ、地上の彗星のように消えていく。
「広兄。なに」
「昼に雨が降ったせいで大分冷える。これを着ろ」
 そう言って、腰に巻いていた自分の外套を差し出した。
「いらない」
 都志見は華奢な身体を翻して外套を固辞した。寒さよりも、広都の大きな外套で自分の太刀が隠れてしまうことが嫌だった。そんな都志見の思いを知ってか知らずか、広都は目を細めて笑うだけでそれ以上勧めることはない。広都の太刀には翡翠の玉石が小さく光っている。
「寝ずの番には、まだ慣れていないはずだ。慣れないうちは特に用心しろ。体調不良の番ほど、辛いものはないんだ」
「親父みたいなこと言うじゃん」
 広都が脳天に肘鉄をくらわすと、都志見は悶絶よりも先におかしさが込み上げてくるのだった。
 実際に、父親の顔を知らない都志見にとって、十三歳も年の離れた広都は親父のような存在なのだ。都志見に兄連中への礼節を教え、剣の稽古をつけたのも広都だった。後ろ盾のいない都志見に対して、そこまで熱心に面倒を見るような男はこの村で広都ただ一人だった。
 今朝は前番の者たちと交代してすぐに、月食を受けた学生を回収しに列に入った。場所は、玉笛女子学園の校庭の隅だった。
 瑠璃色の制服をまとった青柳は風に揺れると踊るように身体をしならせる。その度に、血飛沫が八瀬童子たちの頬を濡らした。スカートの裾が醜く裂けている。察するに、両足から人為に喰われたのだ。小さな制服の胸元には、黒い学年章がつけてあった。
(一年生か)
 一年生ならば、都志見と同級生であるはずだ。もっとも、名に「彦」を持たない八瀬童子は宮廷管轄の須城学園、玉笛女子学園に入学することはなく、同級生という言い方は正しいのかは判断がつかない。八瀬童子の職は宮廷の予算には組まれず、雑費として支出されていると聞いた。宮廷直轄ではなく、烏山の管理を一部委託されているという立場なのだ。八瀬童子の子どもたちは須城や玉笛ではなく、八瀬童子自身によって運営されている村の学校へ通うことが、その関係性を表している。
 広都が手早く、柳の根を校庭の土から引き剥がしていく。阿吽の呼吸で、柳の幹を都志見が支える。垂下根という最も太い根に絡まる土を広都が払い、兄連中は細かい根を解きほぐしていく。ひげ根の一本でも殉職者の一部を残すことのないよう、慎重に。
「『ご先祖』を向こう側に」
 広都の指示で、都志見は幹を逆方向へ傾けた。
 宮中で亡くなった者は「ご先祖」という呼び名を授かる。浄の地である宮中には死という穢は存在せず、死者は「ご先祖になった」というように言い換えられるのだ。「ご先祖になった」者たちは烏山に運ばれ、山の上から永久に子孫たちの行方を見守り続ける。
 ふと顔を上げると、玉笛女子学園の女学生らが、螺旋階段に鈴なりになって成り行きを見物している。
 まるで芝居でも見るように「高みの見物」をする女たち。
(おれたちの仕事は見せ物じゃない)
 目元に飛んだ血を黒頭巾で拭うと、赤い血は冷たくどこまでも伸びた。
 一向に退がる様子を見せない女学生たちを都志見は睨みつけた。その中に、髪を一つに束ねた子どものような女学生がいた。顔立ちに見覚えがあるような気がして、少しの間眺めていた。恐らく、自分とさほど年の変わらない少女だろう。青ざめた顔で、自分たち八瀬童子の手元を眺めている。彼女が恐れているのは、この血にまみれた手と青柳、どちらなのか心を彷徨わせたのち、都志見には判断がつかないことだと気がついた。
 宮中は烏山を中心として、玉笛、須城、宮廷を包括している。八瀬童子たちが暮らす屋敷から、玉笛、須城、宮廷はどちらもよく見える。さほど疎遠でない風景だけに、そこで生活する人々とも疎遠さを感じたことはなかった。兄連中の列に加わるまでは。
 八瀬童子の仲間は、八瀬童子だけなのだ。「ご先祖」を悼んで涙を流す人間さえ、遺体を取り扱う八瀬童子に声などかけない。宮中に暮らす人間たちにとって、八瀬童子は身近な仲間ではなく、死そのものの影なのだ。
 目の前の玉笛の女学生たちの視線は、まさに宮廷管轄の人間たちと八瀬童子の隔たりを感じさせるには十分だった。
 幅の広い革布で柳を包み込み、玉笛に落ちた血の一滴まで革布で拭い去った。烏山に向けて兄連中の列が進むと、都志見はもはや玉笛の見物人たちを振り返りはしなかった。

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