昨日、なに読んだ?

File96.思い出の場所を探す本
西山純子『新版画作品集 なつかしい風景への旅』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストはイラストレーターのつちもちしんじさんです。

 川瀬巴水や吉田博という名前は聞いたことがあるという人が最近、知り合いの中でも増えてきている。二人は大正昭和期に浮世絵の復興を目指して制作された「新版画」というムーブメントの代表的な絵師だ。現代生活の中でPCやタブレットの画面に馴れすぎた目で彼らの「新版画」作品を観ると、一枚の和紙へ丹念に摺られた色の美しさにため息が出る。

 『新版画作品集 なつかしい風景への旅』(西山純子著、東京美術)は、「新版画」の入門書として分かりやすく、ふと観たいなと思った時に眺めるのにちょうど良くパラパラとめくっている。この作品集の特徴的な点は、「新版画」の起こりがまず語られ、「夜・朝・夕」「東京」「水辺」といったように、「新版画」が得意とする風景の画題ごとに作品が分かれているところだ。年末だし冬の景色でも観たいなと試しに「雪」の項目を開いてみると、しんしんと降る雪から視界を遮るような猛吹雪まで雪の表現も様々である。そのどれもがいつか見た思い出の景色と重なり合うようで、「何かいいなあ」と懐かしい気分になる。予備知識は不要で、眺めているだけで良さが伝わってくる。それが「新版画」の魅力だ。

川瀬巴水「牛堀」 出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」 (https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/)

 描かれた景色はお寺や各地の名所など今でも多く残っているのだが、現代の景色とは少し違っているようにも感じられる。映画『男はつらいよ』で寅さんが歩いたロケ地は、映画の中の情緒とは実際に歩いてみると違うという話をふと思い出した。
 例えば昔懐かしい景色が、ある街の一角だけに残っていたとする。映画の中ではその場所だけを切り取って映し出されるため、あたかも街全体が昔のままの風景のように感じられる。さらに、季節、時間、天候などの場面設定も加わってくる事で日本人なら誰しもが懐かしさを抱くような日本の原風景が出来上がる。
 「新版画」にも似たようなところがある。大正昭和の時代ともなれば、本当は電柱があったり近代的な建築も建っているはずなのだが、あえてフレームから外したりあるいは描かないでおくという方法が画題によって行われている。また、実際の景色にない日本的なモチーフを合成していたこともあったという。
 演出は、フィクションというマイナスなイメージを抱きがちだが、むしろそういう細かいディテールにこそ本当に伝えたかった想いが込められている。

川瀬巴水「芝僧上寺」 出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」 (https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/)

 「新版画」は過去たびたび国内で展示会が開かれていても、日本美術の文脈では取り上げられず、またあまり話題にもならなかったジャンルだ。「新版画」が盛んに作られた頃もそこまで大きなブームはなかったという。その理由は色々あるが大きな要因としては、前述したように日本らしさを意識して制作された美術品であり、主に海外へのお土産として販売が展開されていたからだ。

 今日では国内でも北斎・広重・写楽などの浮世絵は美術の教科書に載り、色んな広告やパロディとしても使用されているが、西洋化が進む当時の日本人にとって浮世絵や「新版画」は興味の対象ではなかった。
 彫師・摺師・絵師の分業で作り上げる浮世絵ならではの伝統技術を絶やさぬために、浮世絵の復興を目指した版元・渡邊庄三郎。貿易商の経験を持つ彼にとって「新版画」の海外展開は、そういった状況下で生き残りをかけた生存戦略だった。同時に日本人に浮世絵の魅力を伝えようと、江戸の浮世絵師たちの本を浮世絵研究者達と協力し赤字覚悟で出版するなど普及活動にも熱心に取り組んでいた。

 海外には絶大な人気がありながら、日本人には広く知られないまま、結果的には膨大な数の「新版画」が作られた。外国から遅れて理解されてきた浮世絵と同じように、「新版画」の作品もこれから少しずつ日本の中でも浸透していってほしいとファンとして願っている。
 私事ながら数年前から、都鳥という版元で「令和新版画」というアートプロジェクトに絵師として加わり、現代なりのアプローチを模索しながら分業での木版画制作に取り組んでいる。
 外国の方に喜んでもらう事も多くそれは大変ありがたい事なのだが、日本の人にも多く喜ばれる作品を制作できないものかと、「新版画」に携わった先達に思いを馳せながら再び作品集を眺める。

 時が過ぎ、21世紀の日本人にとって「新版画」に残された景色が外国人が観るように遠い存在になり郷愁を誘う。若い人たちにレトロブームがきているのと一緒で、まるでSFのような話だ。

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