些事にこだわり

重要なのは「マイナ・保険証 一本化」への賛否などではなく「マイナ」という醜悪な語彙を口にせずにおくことだ

蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第14回を「ちくま」7月号より転載します。いまなおメディアをにぎわせつづける「マイナ」という略語が誰にとっての「マイ」かも判然としないまま、むしろそれを覆い隠さんとするかのように醜く繁茂する本邦の惨状について。

 解約するのが億劫なのでつい自堕落に購読し続けている首都圏向けのさる地方紙によると、ついせんだっての朝刊の一面に「保険証廃止し統一/マイナ改正案可決」の文字が二行にわたって比較的大きな活字で印刷され、その下に「参院特別委」の文字が横組みで読める。だがそれにしても、この「マイナ」とはいったい何か。それがいかなる言葉の略語であろうぐらいのことは、およその想像がつく。だが、それにしても、「マイナ改正案」なる雑駁な語彙は、いくら新聞社が「マスメディア」としての機能を放棄しつつある冬の時代だとはいえ、日刊紙の一面に堂々と印刷さるべきものなのだろうか。
 リードに誘導されてその記事を読み進めてみると、「健康保険証を廃止してマイナンバーカードに統一するマイナンバー法など関連法改正案を与党などの賛成多数で可決した」と書かれているので、「マイナ」なる珍妙な語彙が「マイナンバーカード」の略語であることは間違いないといってよかろう。それに続いて「不信の声次々」と書かれ、さらには二十一面を参照せよとも記されているのでごく素直にその頁を拡げてみると、そこには「もはや不信のカード」と四段抜きの大きなリードに導かれて、「マイナ改正案可決」との活字が不気味に躍っており、その脇には「マイナ保険証/強制反対!」というプラカードを胸もとに抱えた女性の大きな写真まで添えられている。
 だとするなら、日常生活ではまず耳にしたためしのない「マイナ改正案」だの「マイナ保険証」だのといった珍妙な語彙が、嘆かわしいことに、この国にはすでに広く流通しているのかもしれぬ。とはいえ、いくらそこでの討議にほとんど信頼を置いたためしのない機構だとはいえ、かりにもこの国の立法府のひとつである参議院に「マイナ改正案」なる粗雑な名前の法律が提出され、その特別委員会での議論の結果、賛成多数で採択されたといった事態が本当に起きていたのだろうか。そこで、いくぶんか本気になって律儀に調べてみると、その「マイナ改正案」なるものの正式名称は「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律等の一部を改正する法律案」というものであることがわかる。だとするなら、それを「マイナ改正案」と呼ぶことは、採択された法律とはいっさい無縁の、新聞記者どもが捏造した大ざっぱきわまりない造語にすぎないことになるのだろうか。しかも、その捏造が、読者の理解を助けるかのような意図によるものらしいところが、いかにも始末が悪い。
 だがそれにしても、たかが新聞でしかないものが、それほど粗雑な語彙の恣意的な略語を、あたかも既知の語彙であるかのように、いくぶんか太目の活字で印刷してしまってよいものだろうか。いったい、その略語性はいかにして正当化されうるものなのか。しかも、いったんは通読してみたその法律には、「マイナンバー」などという単語は、一つとして書きこまれてはいない。二度と目を通したくない陰鬱きわまりないテクストなので読み落としはあろうかと危惧しないでもないが、再読する勇気などさらさらないので、ここではひとまずそう断言しておく。

 ここで、日刊紙が「不信のカード」と呼んでいるものについてみてみると、「マイナ保険証」なるものが、どうやらいたるところで誤作動を惹起しているらしい。そこには、「三月からマイナ保険証を読み取る端末の使用を始めた」というさる歯科医がまき込まれた種々のトラブルが語られているのだが、その殆どについて、業者から「受信データが多いのが理由と説明を受け」、そのつどPCを「再起動」せねばならなかったというのである。受信データの多寡によって「マイナ保険証」なるものが正常な作動を怠り、そのつど再起動が必要だとするなら、歯科医としての業務に甚大な被害が及ぶのも当然だろう。ご苦労なことだ。
 おそらく、こうしたハード面での欠陥は今後もあとを絶たず、飽きずに騒動を起こし続けるに違いない。国民の大多数――とりわけ、年長の男女の多く――が、完璧に機能する電子機器を所持しているとはかぎらないからである。また、スマホというこれまた醜い略語が定着してしまったちっぽけなデジタル装置を完璧に操作しうるとはかぎらない後期高齢者が国民の多数を占めているという現状からして、混乱をまぬがれぬはずもない。
 他方、行政が恥じ入る風情も見せずにやってのけた人為ミスとしては、公金の受けとりをめぐって他人名義の口座や別人の情報が登録されていたり、見も知らぬ人物の写真が添付されていた、等々、の不祥事が一向に減ろうとはしないが、氏名が漢字で書かれた「マイナ」と銀行口座の片仮名との同一性の確認はほぼ不可能だというこうした事態もまた、あとを絶たぬと考えておかねばなるまい。担当の大臣が詫びを入れるさまを想像するだけでうんざりするほかはないのだが、そのつど、行政ではなくそれに従事する「業者」の責任が口にされている。それぞれの自治体が選択したその「業者」なるものが信頼がおける組織とはとても思えず、この地球上の到るところに存在している無数のハッカー集団の手にかかれば、苦もなく情報が流出するのは目に見えている。
 そうした不安材料があとを絶たぬが故に、わたくしが購読している首都圏向けの日刊紙は、「マイナ保険証」の使用にあえて警鐘を鳴らしているのだろうが、参議院の特別委員会でその法案が採択されてしまったからには、それが本会議で与党ほかの賛成多数によって近く法律として施行されてしまうのは目に見えている。では、どうするか。
 そこで、「マイナ」という醜い略語で世間に定着してしまったところのものを、いまいちど考えねばなるまい。それは、「マイナ改正案」の本文が「行政手続における特定の個人を識別するための番号」とひとまず定義されている。だが、この定義はきわめて曖昧である。ここで「識別」といわれているものの主体が、書かれていないからである。だが、いうまでもなく、「識別」の主体は「行政」であり、「特定の個人」ではない。その「番号」なるものは、あくまで「行政」が機械的に割り振ったものにすぎず、ここで「特定の個人」の意志が介入する余地はなく、それに対する姿勢はあくまで受動的である。すなわち、そこには「特定の個人」の自己同一性を保証するものは何一つ見あたらない。
 にもかかわらずそれを「マイナンバー」と名付けることで、「特定の個人」の能動性のごときものが、純粋の「虚構」、つまりはありもしないフィクションとして成立する。そのフィクションの構築に貢献したのが、「マイナ」という醜い略語を連発していた新聞やテレビなどの、いまや凋落が著しいマスメディアであることは明白である。そもそも、「特定の個人」の意志などいささかも反映されていない識別のための番号が、なぜ「わたくしの」にあたる一人称単数の所有格であるMyに導かれた「数」を意味する普通名詞のNumberなのか。

 しかるべき「特定の個人」が行政から送られてきた数字を「マイナンバー」と認識し、手続きに従って受理したカードを「マイナンバー・カード」と呼ぶことは、ひとまず正当な事態だと認識される。だが、彼なり彼女なりの「特定の個人」が行政のオフィスに出向いたとき、窓口の人物から貴女なり貴方なりの「マイナンバー」を聞かれたり、貴女なり貴方なりの「マイナンバー・カード」の提出を求められたりすれば、事態は一挙にグロテスクな様相を呈する。英語でいうなら、それは「あなたのマイ・ナンバー」Your My Numberあるいは「あなたのマイ・ナンバー・カード」Your My Number Cardということになるからだ。それに対する応答もまたMy My Number、もしくはMy My Number Cardとなり、かりにその「特定の個人」の両親や子供たちの「マイ・ナンバー」が問題となれば、Their My Numbers Cards, etc.といったありえない語句が飛びかい、事態はさらなる醜悪さを際だたせることになろう。
「マイナンバー」なる物騒な語句の命名者たち――それが特定の個人とはとても思えぬ――にとって、わが国では英語ではなく日本語が話され、書かれてもいるのだから、いっさい問題はないと判断されたのかと思うが、そんな判断に自足しているから、日本人の英語は一向に進歩しないのだ。代名詞の所有格の活用やその意味作用の表象性をあえて無視し、「マイ・ナンバー」なるものの所有関係を無視し、あたかも普通名詞のように取り扱っているという事態の醜悪さには、ひとまず目をそらすしかあるまい。だが、それこそが命名者たちの真の目的だったとしたら。そして、それに反対するかのような一部のマスメディアが、「マイナ」という醜悪きわまりない語句を、読者の理解を安易にするものと勘違いして多用することで、その大がかりな使用に資していたのだとしたら……。
 ところで、今朝の首都圏向けの地方紙の第一面には、ほぼ三十行分の余白に「マイナ・保険証 一本化」という活字が印刷され、五段に及ぶ黒地に白抜きの文字が、「情報流出リスク 残したまま」という語句を浮きあがらせている。そこには、自分たちが「マイナ」という醜悪な略語をひたすら流通させることで、「マイナ・保険証 一本化」という現実がもたらされたという意識が恐ろしく稀薄である。「マイナ」などという醜悪な略語を新聞紙面によって世間に広めてしまったことの責任をみずから問おうともしない記者たちの社会意識の稀薄さこそが問題なのである。真に反対すべきは、「マイナ」というグロテスクな語彙の使用でなければならない。
 なお、それまで生きているかどうかさえわからない来年秋に施行されるという「マイナ・保険証 一本化」という事態をめぐって、個人的にはこれを徹底して無視しておくつもりでいる。