有馬トモユキ

#12.時間軸のデザイン

ウェブやスマートデバイスの普及にともなう「科学と芸術の融合」がもたらす環境の変化は、デザインをどう変えたのか。最先端の話題を紐解きながら、ゼロからデザインを定義する革新的なコラム、ついに最終回!

1)どこまでをデザインと呼ぼう

私事だが、武蔵野美術大学で非常勤講師を受け持つことになって、最近はその講義内容について考えることが増えてきた。一度限りのゲスト講師は他の大学で何度かお呼びいただき朗文堂・新宿私塾でも定期的に講師を担当しているが、週に一度のペースで生徒と向き合うのは初めてだ。本業とうまく両立できるか……と少し不安だったが、せっかくのご機会なのでお受けすることにした(ちなみに、先方も考慮してくださったのか講義は土曜日である。金曜に夜更かしは禁物だ)。

もちろん、有望な若手を見つけたいというのもある。いつか一緒に仕事ができたらいいなと思う下心は否定しない。だが、カリキュラムが一番の問題だ。これまで教えてきたことはスクリーンメディアにおけるタイポグラフィの歴史とか、メディアをまたいだグラフィックデザインの展開についてであり、すでにデザインを実践している人に向けたものが多い。新たに美術大学で現代的なデザインを志しはじめた学生たちに何を教えるか考えることは、今のデザインについて考えることと同義のような気がしている。

現在考えている内容は「タイムアクシス・デザイン」という名前だ。そのまま直訳して時間軸のデザインと捉えていただいて問題ないが、それは映像やインタラクティブメディアだけではなく、冷静に観察していくと、あらゆる「現実世界の事象」について考えていくデザインのこととして捉えられる。たとえば印刷物に光沢や質感などのインタラクションが存在することも非常に短いが時間を捉えているし、書籍のカバーをデザインする際に読み手が抱く読後の感情を意識することも、建築におけるサインでエントランスから目的地まで回遊することも当てはまる。理解を段階的に促進していく類いのインフォグラフィックなどもわかりやすいかもしれない(画像1)

画像1 インフォグラフィックスを理解する際の時間軸

 

そして、そうした時間軸の設計はどんなに小さなことであっても、体験を作ることに他ならない。そうした Time Axis = Experience のデザインを念頭にして、講義から課題の制作につなげていければと考えている。

2)体験のデザインが必要な理由

なぜこんなことを志向しているかというと、それが現在、デザイナーが仕事をする上で求められていることだと思うからだ。デザイナーはいわゆる「表層」や「飾り」を担当するだけの職能ではないという思いが、私や、私の周りではとても強くなっている。極端なことを言ってしまうと、書籍や音楽のカバーをよくして売れるような味付けを行うだけがデザインか? という問いである。まだ時間は残されているが、そうした単一に近いタスクは機械学習(あえてバズワードとしての人工知能やAIという呼び名は避けたい)にやらせたほうが効率的である、という結論は下されていくだろう。

囲碁や将棋、コンシェルジェなどの役割を与えられた「エージェント」としての会話など、ゴールが見えやすいタスクはこのコラムでも時々紹介したように、機械学習の得意技だ。人間が想像もできないような将棋の指し方をコンピュータ将棋ソフトウェアのponanzaがしたように、機械学習はそこで十分に創造性と言えるものも発揮できる。売れそうな組み合わせによる映画やコンテンツの企画は、Amazonでランキングを検索して担当した才ある人たちをリストすれば誰でも(それはつまり、機械学習ではより正確に)作成できるのだ。もしかしたら、未来における貧しさとは、リテラシーの貧しさなのかもしれない。それは知識や予算の制約で、計算機という資源を使えずに仕事をすることであり、最悪のパターンは、本当はもはや人間がやらなくていいことをリテラシーの壁に遮られ、やらざるを得ない状況に置かれることである。だから狭い意味のデザインがオートマティックになっていく前に、人間は別のことを志向しなければならないと考えている。

前提として、ここでは機械学習を「全く使用しない」未来は来ないものと仮定するが、ヒントは「体験の一貫性」にあると思っている。まだまだ我々はそうした一貫性が保証されない世界で生きている。たとえば……

例1:ウェブで素敵なスマートフォンの写真を見て購入を決意→携帯電話屋さんで指紋だらけの端末を目にする
例2:検索エンジンが認識しやすそうな言葉を無意識に選んで検索していることに気づく(画像2)

画像2 検索エンジンが認識しやすい言葉の選択

 

これはいわゆる「理想と現実の断絶あるある」の話であるが、最初に述べたことと照らし合わせると、こうしたことこそ時間軸を設計する余地があるように感じている。こうした断続的な事象にきちんとした一貫性を持たせることができれば、それは「環境に応じて変動するユーザの感情を充足させる」という、機械学習アルゴリズムが計算対象を絞ることができない、彼らがとても苦手な、しかし人間ならば可能性がある分野となる。人間だから気づけることを掘り下げること。全体の体験において、個々の接続性を設計すること。このアプローチは「人類に残された仕事のリスト」に含まれている可能性が高いと考えている。

3)小さい仕事にならないように

基本的に新しい技術については前向きに捉えたいと考えていて、それは機械学習についても同様だ。結局のところ、どの仕事も矮小化しようと思えばどこまでも小さくなってしまう。「機械が仕事を奪う」と思うよりも「機械が仕事を援用する」「機械が私たちのやりたいことを手伝ってくれる」と考えるのが創造的だ。実は優れたアルゴリズムをいい仕事につなげている身近な例がある。フォトリアルという、写真と見紛うようなCGの世界である。

CGにおいて、光や屈折の計算をして絵を作るプログラムは「レンダラー」と呼ばれている。製品ごとに向き不向きがあり、反射や透過が得意なもの、木や石の質感をリアルに書き出すもの、非常にリアルに計算するが無限に計算量を使ってしまうもの……(画像3)。CGアーティストは、かたちを作り出す「モデリング」は仕事の半分程度に過ぎないそうだ。あとの半分は、こうした「レンダリング」に費やされる。数ある選択肢から、求めている結果に対して最適な技術を判断していくのが日常的なスキルになっている。だから技術に無頓着ではいられない。

画像3 CGの光や屈折を計算するツール「レンダラー」

 

デザインも、もうすぐCGアーティストのように「うまい技術との付き合い方」を見つけなければいけなくなってくるだろう。機械学習に任せやすいフォーマットを作ることがデザインの仕事の一つになるかもしれない。それでも、あくまでデザイナーの仕事は美観を作ることであり、それに時間軸を加えて考えれば、体験を構想する職業として成立し得るのだ。それは単に企画業と言ってしまうと少し違和感があるかもしれない。デザインにおいては「実際に作って見せる」ことが職能に含まれているから、「企画」と「実行」の壁は融解しつつある。それを含めてデザインと呼びたいと思う。つまりデザインは「実行する企画業」にシフトしていくという提案だ。

私たちはやがて、クリエイティブのプロセスを自動化してくれる、「機械学習」という最後のデザインツールを手に入れるだろう。私たちデザイナーはそれを社会の色々な場面に適用していくこと、それに応じて仕事の輪郭をどう更新するべきかを考え始める時期かもしれない。

このコラムは今回で最終回だが、いつもその時々で気になるデザインに関するトピックを扱ってきた。プロセス自体が大きく変革しつつある時期なので、俯瞰して総評するということがなかなか難しいと感じた。紹介した事例の一つ一つを「変わりつつある世界のサンプル」として見ていただければと思うが、どのような職種でも似たようなことが起きているのかもしれないとクライアントと話していても感じる。この文章が読んでくださる方の仕事の参考になれば幸いだ。

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