ちくま文庫

帝王キングの「私の遍歴時代」
スティーヴン・キング/安野玲訳『死の舞踏 恐怖についての10章』

新たな「まえがき」を増補のうえ全面改訳新版として復活したスティーヴン・キングの自伝的ホラー評論『死の舞踏』(ちくま文庫)。「ちくま」10月号より怪談評論の第一人者、東雅夫さんによる書評を転載します。

 映画公開にあわせて大河ファンタジー〈ダークタワー〉シリーズが角川文庫から復刊されたり、代表作のひとつ『IT』の新作映画も前評判が上々だったり、はたまたツイッター上ではトランプ大統領と丁々発止やりあったり……このところ折にふれ、スティーヴン・キングの名前を目にする機会が多い。
 そんなお誂え向きのタイミングで『死の舞踏』が、ちくま文庫から増補復刊されることになった。
 モダンホラーの帝王キングが、お家芸というべき「恐怖」について語り尽くした大著である本書が、初めて邦訳出版されたのは一九九三年のことだ。原書の刊行は八一年だから、干支でひとまわりのタイムラグがあったわけだが、これはその尋常ならざるボリュームに加え、作中で言及される膨大な映像作品や文芸作品についての基本知識が訳出には必須という難関があったためと忖度される(当時はまだインターネット環境も、現在のようには整っていなかった)。このたびの復刊で、合計四度も本書の翻訳およびメンテナンス(?)を手がけることになった安野玲氏の御苦労には頭が下がる。
 今回新たに加えられた長文のまえがき「恐怖とは」の実に熟れた訳しぶりなど、もはやキング本人が乗り移ったかのごとき名調子ではないか。
 それはさておき、今を去ることかれこれ四半世紀前、待望ひさしかった本邦初訳版を歓び勇んで買い求め、舌なめずりしながら読みはじめた私は……正直いって、いささか面食らった記憶がある。
 語りだしたら止まらないノンストップな言葉の奔流は、いつもの小説作品そのまま。とはいえ、物語の流れに身を任せるのと、評論的文章を読むのとでは、こちらの意識というか心がまえがまったく異なる。
 あっちに脱線、こっちに寄り道を繰りかえし、しばしばアメリカンなジョークや諷刺や毒舌も交えつつ、悠揚せまらぬ筆致で嬉々として自説を開陳するキング先生のマイペースぶりに、手もなく翻弄されたのであった。
 そこで当方も、意識を切り替えることにした。
 キング作品の登場人物の延々と続く独白につきあっているつもりで、読むことにしたのだ。郷に入っては郷に従えである。
 そこにありありと浮かびあがってきたのは、米ソの冷戦真只中の時代に生まれ、世界で最も豊かな国で産出されるホラー・エンターテインメントを浴びるように吸収して育ち、やがてみずからもその一翼をになうべく小説家を志した、内向的で太り気味な「おばけずき」少年による「私の遍歴時代」(これは三島由紀夫の名著のタイトルでもある)だった。
 キング然り、ミシマ然り、物語づくりの天才たちが、みずからの血肉となった過去の作品について率直かつ実践的に物語る著作が、面白くないわけがなかろう。
 幸いなことに現在では、インターネットを通じて、過去の映像作品や文芸作品の多くを、たちどころに検索したり鑑賞することが可能になった。
 著者に倣って読者もまた、ときには読書を中断(脱線?)して、キングが熱をこめて賞讃したり貶したりする恐怖の傑作/駄作群を参照し、然る後ふたたび本書に戻る……といった気ままな読み方も、お勧めしたいところだ。

 ところで、私が本稿に着手した当日の日本は、降って湧いたようなミサイル騒動で大揺れとなった。その光景はまさしく、キングが本書の第一章で活写している、スプートニクⅠ号の打ち上げ成功事件の再来であった。それも愚劣でグロテスクな戯画さながらの……。
 キングが説くように、ホラーというジャンルが「大衆の漠然とした不安」を反映するのだとしたら、現在の日本でこそ、本書は切実に、その真価を発揮するにちがいない。

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